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月曜モカ子の私的モチーフvol.197「徒然タイム」(2019.01.08アーカイヴ)

本当はタイトルを「徒然(つれづれ)」にしたかったのだが、念のため言葉の意味を調べてみると、「手持ち無沙汰で退屈なさま」と出て、今の状況を言い表す言葉ではなかった。(しかしやはり”徒然”を使用)
雰囲気で理解している言葉って意外に多いもので実は言葉の意味を調べてみると思ってた感じと全然違う場合があるので、一応必ずちゃんと調べる。
しかし「徒然」という言葉を捨て難いなあと思うのは、
手持ち無沙汰で退屈な「徒然なる状態」がわたしにとって一番至福の時であるから、当たらずとも遠からずということなの、まあわたしにとってその状態は「退屈」ではないけれども。
                            
何が言いたいかというと、ここ数日、母やベスフレやベスプリ(ベスフレ弟)や月モカにも書いた頓狂な叔母やらとバタバタと騒がしい、宴な日々を送り、今ようやく静まり返った90歳祖母宅に帰ってきた。また明日には祖母宅から実家へ移動するのであるが、これまた時折月モカに登場する、江戸末期に建てられた荘厳(シンプルに言えば古い)祖母宅で、今、ようやく「徒然」をわたしは手にしようとしている、徒然を獲得する至福の時である。

※以下、ウダウダと続く感じの2019初回です、みなさまおヒマな時に。笑。

                          
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わたしには一人の時間が必要である。

                            
みんなにも各々そんな時間が必要かもしれないけれど、特にそういう時間が、普通の人よりも格段に、わたしには必要である。どれくらいそうかと聞かれたら、ものすごく愛している男の人とでも、もしかしたら一緒には住めないくらいに。
(ああ、それは本当に相手を愛していないのね)
そう思う人は、一人の時間が必要ではない人である。笑。

                            
もう少し明確に言うと、手持ち無沙汰で退屈な感じの沈黙にたゆたい、いろんなことを深く思考する時間が、わたしには必要なのである。わたしは意外とテツガクテキ、なのである。笑。最近気づいたのだがわたしはアーカイヴが大好き。動いたり決める時は感覚的直感的なのだが、後から(あの時のあの感覚は一体何だったんだろう)とかを、自分なりに納得いくまで考えて整理したいのである。
だからわたしには病院の長い待ち時間や、新幹線の移動の時間が必要だし、用事と用事の間には「隙間」がないといけない。

                            
2019年、今年に入って、あ、よかったな、と思ったことは、自分がそうであるということを自分自身が理解し、自分自身がそれを認め自身に許可できたことだった。

                            
我が家は例のハイスペック母含め、一番下の妹以外は、誰かとずっと一緒にいることで精神的に不安定になったりする人は誰もいない。
すぐ下の妹は10人くらいで一つのシェアハウスに住んでいたくらいだから全く大丈夫、3番目の妹はきっと一人の時間も好きだろうけど夫と2人の子供の育児に追われる日々で一人になれる時間はないのだし、母に至っては月モカに書いたハイスペックで、夫と娘4人を日々気にかけながら孫、自分の母、自分の叔母を見守る、つまり誰かのための24時を過ごしているので当然ひとりの時間などないわけで、本人が予定していたスケジュールが数多のアクシデントによって狂うとかいうこともしょっちゅうであって、それらをケロッと処理しながら、常にHappyでいることができるのが我が母である。(そういう意味では一番下の妹とわたしは「自分時間」角度でみると似たところがある。)

                            
母がそうなのでどうなるかというと、わたしは自分が自分の時間がないと精神的におかしくなってしまうことを「努力不足」であり「わがまま」だと考えてしまっていた。もちろん世間的にはそうではない、でもこの家では、うちのファミリーではそれは「悪」だというふうに。

                            
でも去年、退院してすぐに、3番目の妹がわたしに「我らの母はハイパースペックすぎて私たちはかなわないし、でもかなわなくたってあの人は普通じゃないから自分を責める必要はない」と力説してくれたことで、わたしは随分楽になった。洞窟温泉での出来事だった。3月11日生まれのベスフレは波の音が怖いと泣きだして洞窟温泉には入れなかった。

楽になって何が良かったかというと、無理をしなくなったことである。
家族が祖母宅の仏間に集ってワイワイしている時間に、甥っ子を抱いて一人飯台の椅子に座っている時間や、姉妹&姉妹の旦那陣が我が実家で盛り上がっている時に一人祖母宅で「ひとり徒然」していることに対して「ごめん」という気がしなくなったことである。わたしは、一人の時間が自分にないと、とりあえずいろんなことがにっちもさっちもいかなくなるということを受け入れた。

そしてまた、それを自分が受け入れて認めたことによって、家族にわかってほしいという気持ちも消えた。

                            
以前、我が家で持ち寄りランチをした時に、マヨネーズの話になって、
「マヨネーズってたくさんかけるとそれだけで悪いことをしている気がする」という話になった。わかるわかる、今となってはカロリーとか気にはしてないんだけど、マヨネーズを大量に使う時「あえてかけてやる!」みたいなジャンキーで悪ぶった気分になるよね、とか話していたら、ある役者の女の子が「それがさ、うちは全くそんな家じゃなくって、マヨネーズってとっても“いいもの”っていう風に育ったから、みんなが言うその罪悪感わからないんだよね、美味しくて手頃で、サイコーって感じ」と言った。その時わたしは「へえ!」と思った。
だってやっぱり(本当は健康には良くないし、こんなにかけちゃいけないんだけど)とか思いながらかけていたから。

                            
わたしにとっての「徒然タイム」はマヨネーズに似ている。
家族の前でマヨネーズを大量にかけると、誰も何も言わなくても、何だか責められている気がして、
「わたしにはマヨネーズが必要なの、それがわたしなの、よおお」となんか取り乱したり泣いたりしながらマヨネーズを摂取する。そこに(ごめんね、努力が足りないってみんな思ってるかもしれないけどわたしは母みたいにはできないの)というそれがくっついてくる。
26歳も年上の母が精力的に日々をこなしているんやからへばってんとお前もやれよ、というそれ。
徒然タイムは睡眠を減らすと確保できるという容易な解決策があるので、笑
これまた1日の内に9~10時間くらい寝ないと稼動できない自分は、より追い詰められていく。一人の時間がないとダメ? その上に10時間寝る? だったら帰ってくんなよ、別に東京にいればいいじゃん、と言われそう、という感じに。でもわたしは家族と居たくないわけではないのである。

                            
いわゆるこんな感じだからわたしは海外旅行に行っても朝から出かけたりしない。感じたことが大きければ大きいほど、次の日は1日ホテルでその感情をアーカイヴしていたかったりする。大体の人はこう思う。わざわざ外国まで来て何でホテルに1日いるの?もったいなくない? だけど、わたしが帰国後強く覚えているのはそういう瞬間だったりするのである。だからあまり誰かとの旅行には向かない。

                            
でも夏の洞窟温泉以降、自分のそういうところに関して、自分で自分を追い詰める気持ちがすごく減った。

                            
そうすると人は面白いもので「マヨネーズの正当性に対するディベート」もしなくなる(笑

「わだじにはぁ、じとりの時間がぁ・・・」と泣いて訴える前に、自分でその時間を確保する。予定が詰まっている時は思い切ってリスケしていく。

                           
『わがまま』というのは角度の問題で、多分、その人にとって日常を健やかに送ることができる要素を守るのは「わがまま」じゃない。
その時間があることで、家族といる時間をより大事にできるのなら「わがまま」じゃない。誰かを大切にするためにも、まず自分を大切にするのはきっと「わがまま」じゃない。だから親切も社会貢献も、正義も、誰かへの思いやりも、力量以上のことをしてメンタルが破綻してしまうくらいなら、やらない方がきっと相手に対して親切なんだろう。できないことをしようとして無理にして不安定になって家族に当たったりしてしまうくらいなら、最初からそういうのはできない人、として、できるところだけ一生懸命やっている方が、ある意味家族思いなのである。
それがいわゆる身の丈を知るとか、自分のことを人は一番知らないとか、そういうようなことなのだろう。

                            
そこらへんのジレンマでわたしは去年、インフルエンザになったり、入院したりしたりしたんじゃないかなあって今はすっごく思っている。だから今年は多分無敵じゃない?インフルとかにはかからないわ!と思っているのだけど、実は渡り廊下を経た「頓狂叔母宅」ではノロが蔓延している。

                            
パソコン設定手伝いで、そこに飛び込まざるを得なかったわたしは二重マスクで臨んだのだが、ノロの根源の「頓狂叔母」はあろうことかマスクをしていなかった。「マスク(してよ)・・・」と言ったら叔母は、
「わたし咳してないから」と答えた。
保菌者強気!笑
身の丈を知ったわたしは、叔母の頓狂さに対抗し、明日からの健康を勝ち取れるか。笑。

             <イラスト=MihoKingo>
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本年度も月モカをよろしくお願いします!

☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。

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