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第7話 ✴︎ 「深夜タクシーのお告げ」By根津イーディ✴︎

どうも。気がつけばまるひと月近く「ひとかどアーカイヴ」を更新していなかった、いやできなかった。本日8月、よく晴れた常夏到来の土曜朝である。

ところで昨夜は金曜日であるにも関わらずちょい早め1じすぎにはお店を閉めて帰宅してしまい、その後「ひいらぎ」のタクロウから「モカさんのお店にカレー食べに行こうとしている子達がいるけどやってます?」と電話をもらうことになってしまった。ががん!!涙!
 いつも「誰かカレー食べない!?」って感じでやっているのに、昨日に関してカレー難民を2人も放置してしまった、ミッシー、クラコちゃん、あとカレーとは関係ないがカツコ。ごめんなさい。

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(当店のカレーはれいこレシピ。れいこさんは、我がデビュー作「蝶番」にも出てくる、六本木スナック時代のママちゃんである)

飲食店というのは週に2日も閉めていると「強気だねえ」と言われてしまうようなあれなのだけどーーわたしは”ふくの湯”のおじきにいつもそうからかわれている 笑ーー実のところあまり言いたくないのだが、わたしの肉体のつくりは作家向きのそれであって非常に飲食店向きではない。
そう、はっきり言うとすごく虚弱なのである。

(↑詳しくはこちら。別に面白くもなんともない体調日記です。笑)

当初から、カレーレシピのれいこさんにも「あんた店げなやって体大丈夫と? 何よりそれよ、もつとかいな」と心配されるくらい、このわたしの”虚弱肉体”は店を運営するにあたり課題であった。しかし意外とこの体はこの2か月の起伏の激しい激動スケジュールを持ちこたえてくれたのである。
銀座で働いていた時は2週間に一回発熱、去年は2回も入院したのに、
この2ヶ月は風邪も引かなかった。なのでわたしは人間にとって「生きる喜び」「やりがい」それから「深酒をしない」ということが、これほどに免疫をあげ、体を強くするのだと感心した。

しかし「好き勝手やってる雇われ女主人」から「ガチの女主人」への昇華活動に突然突入することになったわたしのJULYは予想を超える慌ただしさで(詳しくは次の記事「わたしのお店」に書きます!)昨夜わたしはあれ、ちょっと...という肉体の違和感を感じたのである。
それはここ数日、ひどく首や肩が凝って眠れないな、というものと、息がしにくいな、というものだった。わたしの脳みそは7月、ほぼほぼ「ガチの女主人へ」案件に全てのCPUを費やしていたのだが、昨日ふっと自分の虚弱肉体に焦点。それでわたしは「これって肺炎をぶり返しかけてない...?」と言う結論に至ったのである。

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(⤴︎4月。入院時のわたしの基地。この時ずいぶん執筆ははかどった。笑)

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昨日は早い時間から外の看板の件でMR KENJIが来訪してくださって、一つ案件が片付いた。隣のまさこさんが水曜?に飲みに来てくれて激励くださった時に、
まさこさんが「あんたの店なんだから早くまず外の看板も差し替えなさい。そんなの簡単だから困ったら言って」と言ってくださった。

その時に「そうだな、お店の内装とか外装とかやる知り合いしないしまさこさんに相談しようか」と思っていたのだが、わたしは途中で思い出した。この「根津イーディ」最初のお客さんであり、2015年からめちゃくちゃ仲良くしているMR KENJIは建築デザインの専門家であったことを。笑。

けんじさんは「来週からずっと現場」ということで、昨日急いでお店の外装を見に来てくれた。「こういうことにはなるべくお金がかからないほうが、いいからね」
できることは僕が、やっておくよ。
けんじさんはそう言ってくれた。

だからおそらく、今日お店に行ったら少し景色が変わっている。

まさこさんからも「早くした方がいいよあんたのためにもね」と言ってもらって自分もそう思っていたけどどうしていいかわからなかった案件の解決の兆しが見え安堵。この安堵は使い方のわからないガズバーナーの先っちょをいとも簡単に勝子が外してくれた時に匹敵するな。笑。

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(右端、微妙に見切れているのが昨日のけんじさん。笑)

けんじさんが帰ったのが22じ半くらい? そのあたりからわたしはこの体調不良は「肺だな」だと確信していた。折しも1歳の甥っ子が肺やらで再入院したところ。「季節の変わり目とかはぐっと症状出るからね、一度肺炎するともう前までの体じゃないんだよ」と看護士さんが言ってたことを思い出す。そうかここ数日で一気に気候が、梅雨から夏に変わったのだ。
困ったことに「肺」って「休息」しか治療の手立てがないので、これは・・・と思い、1じころお客さんが途切れたところで思い切って閉める。

ああ、誰も今夜これからやってきて「なんだ閉まってるじゃん」ってがっかりしませんように! 人をがっかりさせたくない。

(しかしこの後カレー難民2名と勝子が、おそらく深夜のイーディに訪れてくれていたのである、ごめん!!!)

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言問通りでタクシーを拾う。個人タクシーはいつも嫌な思いをするから拾わないのだが、あまりにタクシーが通らなかったのと、息がしにくかったので、個人で妥協。そしたらその運転手さんはとてもいい人だった。

運転手さんはしきりに「今日早く閉めたのは良かった。その英断は良かったよ」と褒めてくれ「店は毎日来るけど、体は一つだからね」と言った。「人はね生きているだけですでにすごく頑張っている。だからもう少し頑張ろうと思ったらその段階でオーバーワークなんだよ」73歳の運転手さんはそう言った。そういう風に言ってくれる人がたいがいそうであるように、この運転手さんも命に関わる大病を、数年前にしたらしかった。

それから運転手さんはわたしに向かってしきりと、
「絶対にお客さんを色でひいてはいけないよ」と繰り返した。

「そのままのママさんで、変な色気を出さずに頑張んなさい」

もはや途中から、これってエピファニー(ある種の啓示、ご神託)なのかな? と思えてくる。笑。

もともと自分には強いポリシーがあってそれは来てくれる人みんなに「人として」愛を持って公平に接すること。もちろんお客さんに男女の性差はあって好む会話とか求めていることが違ったりしてそれはいい。大事なのはこちらがそれを逆手にとって接客しないこと。

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わたしは長く水商売もアルバイトでやっていたが、自分を「芸術家である」と考えていたので、だからこそいつもフラットに正直に「色」を使わないことをモットーに仕事をしてきた。正直、色を使った方が楽なシチュエーションって水商売ではたくさんあった。だけどそうせず、自分の道徳の方位磁石の指す方にコツコツ歩いてきて、それが、ケンジさんもそうだし、時々来てくれる神楽坂や六本木時代の古いお客さまたちに繋がっている。例えば彼氏ができたりしても正直に紹介できるし、それを踏まえて「おおマジか!」と笑ったり喜んだりしてくれる人たち。

だからこそわたしは1月に銀座のママに「客と寝てる」と言われたときすぐ、お店は続けられない「辞めます」と告げた。おそらくママは図星だから辞めたのだと思っているだろう。
ママは次の日わたしを引き止め「だってあなたが言ったのよ、入店時に。客全部と寝てるって」と言った。イカれてるし狂ってる。
そんなこと絶対言ってないし。その前にやってないし。やってないこと言うわけないし。6年間傍で見ててわたしの ”人となり” わからないかよ。6年間ずっとわたしは、そう思われてたんだ。”寝てる前提”の従業員として雇用されていたんだ。それはさらなる衝撃をわたしに与え、わたしは2度とその6年を振り返らない。

金持ちの娘だから銀座はどうせ小遣い稼ぎでしょとか、アタシの客にあなたの親友の実家のテーブルを売りつけようとしている、とか、いろいろと勝手な思い込みで誤解されていたけどこの誤解は雇用時の起点に戻る誤解で、解決のしようが見当たらなかった。人を疑う人は、疑う分人を騙している人だ。わたしはそう思う。
騙しているから同じこと自分がされないようにって躍起になるんだよ。

これまでもわたしは一度も色でお客さんを引いたことがないし、
水商売でそうしてたのだから町場のBarでそうするはずはよりよりない。

けれど運転手さんは繰り返しそう言ったのだ。
「今のあなたのその等身大の感じを大切にね」
「絶対に色でやってはいけないよ」

もはやその言葉はお告げのようにわたしの細胞に刻み込まれた。
2019年8月3日、深夜1じ20分。

そんな早閉め金曜日。
クラコちゃん、ミッシー、勝子(勝子は実は勝子と呼んでますが男です)、ごめんね。時系列は遡って、このひと月を振り返る 第8話「わたしのお店」に続きます!

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[photograph by...HORIEMON(おおむね)]

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