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月曜モカ子の私的モチーフvol.250「"世界は笑う”戦争の気配」

珍しく萩の湯が鬼混みしていたから(いつも混んではいるがこれほどではない)、風呂上がりの一杯を食堂から「道」に変更して、ビールを飲みながら歩いて帰ることにした。そしてわたしは昨日からずっと「戦争」について考えている。10代の頃は眼を凝らして振り返って眺めていたはずが、いつしかわたしの2ブロック先で手招きをしているようになった「戦争」について。

昨日コクーンで観たKERAさんの「世界は笑う」はめちゃくちゃ面白くて3時間45分の長丁場にも関わらずだるさを感じたシーンは一つもないし、だいたいの時間が笑っていたと思う。昭和32年の喜劇人をKERAさんが満をじして描いた「世界は笑う」だけど、結果的にわたしにとってこれは戦争のお話だった。戦争の爪痕を忘れた我々は今、未来の戦争の爪痕に向かって笑いながら歩いてる。始まりはもうあと、2ブロック先。

2022年渋谷、夏の終わり。

無事に「宵巴里」も出たことだし、
2019年の5月までのように、また毎週きっちり月モカをupしたいと思っている。そしてそのためにはそれを生活に取り込まねばならない。
うっかりしていると「月曜日」というものはあっという間に「火曜日」にとって代わられてしまうのだ、ほらもう、23じ18分。
恋などせずに急げよ乙女。シンデレラを追い越して、書き抜けわたし。

なんて言いつつ今日はupが目的地なので、ダラダラ書かずにもう終わりますが「世界は笑う」の衝撃は今もわたしを撃ち抜いたままだ。
だけどもそのおかげで、ずっとどうして良いか分からなかった船パリの、昭和三年以降の物語の描き方がやっとわかった。

いつだって群像劇大円団のKERAさんが「世界は笑う」では少し違った。
それはKERAさんが今この日本に問いたいことがあるからではないかとわたしは思った。(わたしはKERAさんではないから真実はわからない)

そしてわたしは思った。今は「船パリ」を書き始めた2011年じゃない。
船パリが止まった2014年でもない。

だからこそ今から数年に書き上げる「船パリ」は生ぬるい物語ではいけない。

登場人物を全員幸せにしたいと思ったらどうして良いか分からなくなって手が止まったけど、それはちょっと幸せにするやり方が違っていて。
辛いことやキツイことが起こらなければ幸せなわけではないんだな。それらは起こる、いつ何時だって。だからこそどう生きていくのかっていう盤石な心身を培えることが大事なんだな。幸福とは絶対的に個人の内側から湧き上がってくるものなのだから。

「宵巴里」はそういう意味では容赦しない物語だと思うけど、わたしは登場人物の誰一人不幸だと思わなかった。皆、逞しく生きて光ってる。

そういうことなのだろう。だから。
昭和四年以降を生きる「船パリ」のみんなに、わたしは容赦のない物語を用意しようと思う。2022年以降の我々に降りかかる未来がそうであるように。

「世界は笑う」が「船パリ」の舵を大きく未来へ向かって切った。
笑いながら未来の戦争へ向かっていく我らを昭和三年の皆に重ねて。

なので今後わたしは「船パリ」を「船巴里」と記すことにする。

2022年栞酒場のコーヒーカクテル「ボブ・モーゼズ」

<モチーフvol.250「"世界は笑う”戦争の気配」/ 2022.8.29>

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☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。
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