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月モカ!!vol.276「歯と神社と模様替え」

先週は朝いちで月モカを書き終え、ようやくルーティーンが整い、先週のタイトル通りいろんなことが「くるくる回り」始めるかと思っていたが、
非常に重たい案件が月曜の深夜に舞い込んで来て「そのこと」で生活のリズムが完全にしっちゃかめっちゃかになる1週間を過ごした。なんとかリセットして月曜には通常に戻したいと思っていたが、本日木曜である。悔しい。
悔しいがこれが今の自分の力量である。金曜の深夜には無事、ラジオ深夜便で「はじまりのものがたり」が朗読されました。ありがたい。朗読してくださったアナウンサーの鹿島さんありがとうございます。聴いてくださった方、ありがとう。2月18日の「#日曜TUBE📚」でも振り返りました、よかったらお聞きください。

ところで去年の9月頃から続いていた歯の治療が2日前の火曜にようやくひと段落を迎えた。この半年で確信したことは「歯と運気」は切っても切れぬ関係があるということである。よく、歯を見たら金持ちかそうじゃないかがわかるといわれ、一般的には(特に欧米では)「歯の治療にはお金がかかるから」と言われるが、ひょっとしてお金があるから歯をきれいにできるのではなく、歯をこまめにケアしてるからお金があるのではないかと思うくらいに「歯」と人生のバイオリズムは比例している気がした。
2021年に根津に引っ越しをしてきてから2023年9月までの2年、知らない町で馴染みの歯医者を見つけられなかったことで、わたしの歯の根は”負”が蓄積されどんどん腐っていったわけだけれど、2021年も2022年も人生をサボっていたわけではなくむしろ常に前年より頑張っていた。もはやその時のわたしに何か欠けていたものがあるとしたなら「歯の治療の重要性」を意識しなかったことではないかと思うくらいだ。笑。歯の治療の優先順位をわかっていないうちはまだ不運の淵から抜け出せてなかったというような感じ。

そう考えるとお金のあるなしはわからないが充実した生活、豊かな人生を送っているように感じる人は皆よく「歯医者へ行く」という予定を口にしている。芝居などで貧乏神っぽい演出をするとき、役者は歯を汚したり、歯抜けの雰囲気を出したりする。どちらにせよここは日本で歯の治療は保険適応で済むので、わたしは毎回、千円程度のお金を払うだけでよかった。
だとしたらよっぽど安いパワースポット巡りである。
(巡り、としたのは治療が何本かの歯をめぐったので)

火曜、眠れなくなり栞と朝から、久しぶりに燕湯の近くのラパンへ。以前ここへ寄った後友人の死を知ったので遠のいていたが、こんなにも悪いことが今日これ以上は起らないと思えた朝に、
ようやく喪を払拭しに出かける。

歯の治療と部屋の模様替えは人生を自分に教えてくれる。
歯で言うと、なんでも「良くないものは早いうちに芽を摘まないとコトはとりかえしがつかないことになる」ということ。
10月から1月初めまで3ヶ月に渡った根の治療。もっと早く病院に行ってたら治療はあんなに痛くなかっただろう。歯の根がコールタールのように黒くなって、人体の中でこんな色を生成できることを恐ろしく思った。ギリギリで間に合ったので歯を抜かずに済んだが場合によっては歯を一本失うところだった。やっぱりそうなんだな。マイナスのものを払拭し、負をポジに転じるとき、絶対に大切なのは初期初動でありスピードなのである。
そして憂鬱なことを先送りにしてはいけない。先送りする分、それは根から腐ってゆくから。わたしは今後人生を歯に投影しよう、そう思った。
歯石がつく前に落とし、虫歯にならないように磨く。
これを習慣づければきっと、トラブルに対しても同じように防げるようになるはずだ。防げなくても、足元を掬われるようなことにはならない。

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精神的にキツイ、きつかった1週間を終えた今週月曜の朝、月モカよりわたしが優先したのは部屋の配置換えだった。この「気」を根こそぎ替えたいと思った。なるべく新しい気がスッと入ってくるよう、ベランダ側の窓の内側に開けたスペースを作り、その対角線となるところにちゃんと気が抜けてゆくよう、ベッドを押して手前にもスペースを作った。

部屋の配置換えは前から自身の成長のテストにすごくいいと思っている。
2年以上前からほぼ同じ家具のあるこの部屋で「新しいレイアウト」の発想を思いつくか。そしてそれが前より良きものであり「なぜ前回こういう風にできなかったのだろうか」と過去の自分を訝しがれるほどにベストであり今の自分にとっての最善策であるか。果たして部屋はそうなり(まだ散らかっているので写真が今日はない)ベッドを動かしたことで届かないところに蓄積していたここ1年分の埃たちも一掃することができた。これはある意味、部屋を歯だとしたら根の治療みたいなものだな、そう思った。うっかりしていると知らない間に「負」は積もってゆく。いかに積もる前に祓うか。
古神道は言い得てる。運を良くするためには、自身の生活や暮らしの中に佇んでいる穢れを祓った方が早い。きっと上がってくエネルギーよりも、下に引ひっぱるエネルギーの方が重たいから、それらをきれいに禊げば、人生は自ずと上昇する。

佐藤さんが引用しているこの言葉がすごく腑に落ちていて、今まではこうなる↑たびに過去の愚かな自分に落ち込んでいたのだけど、今はそれを成長と思えるようになった。1年前の自分が愚かすぎて死にたいって思うので、同じようなトラップにぶつかったときに「意地でも同じ轍は踏まない」ってなって新しい選択ができるんだよね。そう思って去年ひと月かかった上に臨時休業しないと解決できなかった事案を、今回は1週間で、早じめやシフト交代などはあったが店は閉めずに終わらせ、去年は思いつかなかったレイアウトで部屋の模様替えをした。これはある意味、同じ素材、同じ環境の中でも智慧を絞ればもっと新たな「X」の道を開拓できる可能性があるってことだ。
同じ状況で同じことを試すからこそ自身の今を可視化できる。模様替えはそういう意味ではとても好き。

というわけで、基本的にはこの考え方も好きである。なぜなら新しい材料が増えたらそれも含めて判断しなくてはいけないし、その情報がなかった時に下した判断はすでに古いからだよね。

まあそんなわけで自分が上手く言語化できない感性をいつも短く表現してくださっているのでいつもこのお方の呟きを「全くその通りだな」と思いながら眺めている。TwitterでRTしたりすると誰がどこで「それって俺(わたし)に向かって言ってるの?」とか「自身の正当化?」とかって思うかわからないのでしないが、このように文脈の中で引用できる月モカなのでは今後も大いに引用したい。

小野照崎神社

わたの原 八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ 天の釣舟

小野篁(おののたかむら)

【大海原、(そこに浮かぶ)多くの島々を目指して漕ぎ出していったと(都の)人に告げてくれ。漁師の釣り船よ】

いつも「湯どんぶり栄湯」にいく際にタクシーで通るこの神社のことが少し前から気になっていたけど「わたのはら 八十島かけて」の句を詠んだ人が祭神だと聞いてすぐに行く。雄大な船出の冒険の句に見えるが、これは小野篁がボロボロの船で遣唐使に出されそうになった際に抗議をしたため嵯峨天皇の怒りを買い流刑になった、その流刑の際の句らしい。

なんの意味もわからず小学校で口に出して繰り返し暗記した百人一首。
「わたの原」と聞くだけで残りがすらすら出てきたことに何か感じ入るものがあったので、参拝。おみくじを引いたら【争い/ 勝ち退くが吉】と書いてあった。勝つも負けるも、わたしが誰かと争うわけじゃないしな・・・と思いながらも「退きたい」それだけは強く思った。

これは大変その通りなのだが、それらネガティヴな要素を持ちこむ人間が、自身にとっては簡単に切り離すことができない大切な仲間の場合もある。
( 正確には「あった」)ネガティヴな要素を嫌いな奴が持ってくるなら解決は簡単で、そうじゃないから人生はくるしい。
それでもそこで前進する選択をできなければ、いつか自分がその人間を「あの時お前と関わったから今こうなった」と責めることになるだろう。

最近最大の思いやり、最大の愛情は「自愛」だと考えている。
自己犠牲的な思いやりは、のちのち絶対に衝突に繋がるから。
これは母に習ったことだけど「相手のためにお財布は見えないところに置きなさい」店のポストの暗証番号は定期的に替えている。教えた人を信じていないのではなく、何かあった時に疑われる人を減らすため。共同経営者の栞とのやりとりも細かいところまでLineなどでアーカイヴしている。記憶は曖昧になってゆくから共有できている間に記録する。(Lineは吸われてもいいような内容のみ)「信じている」という言葉が「信じていたのに」「裏切られた」という被害者意識に満ちた呪いに変わらないよう、常に自分で自分を守ることが、関わってくれる全ての人へ自分ができる精一杯の配慮だといまの自分は考えている。

<月モカvol.276「「歯と神社と模様替え」」>
※月モカは「月曜モカ子の私的モチーフ」の略です。


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