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月曜モカ子の私的モチーフvol.245「まとまりのあるものを書きたくない」

なんかエッセイに乗り気になれない。間も無く「がんこエッセイ」も来月号に取り掛からねばならんが、乗り気になれない。まとまりのあるものを書く気にならない。まとめねばならん、ということを考えると途端に何も書きたくなくなる。なのでもう「まとめんでいい」ということを定めて、とりあえずダラダラと綴っていく。

まとまりのあるものを書きたくない、というのは、なんていうか表現が難しいのだけど、この5月に自分の身に起きたこと、それら全てが示唆的でエピファニー的で、店の3周年と新刊の発売を目前に、2019年からの3年をぐるっと一巡りするような多少懐古的な側面もありつつ、圧倒的に2022年的で、ありとあらゆることが同時多発的に無関係に起きているようで起こっていること全部はおそらく完全とても強く繋がっていて、故にほら、このようにまとめる気概もなくただ書き連ねると「何が言いたいのか全く分からない」文章になるから書きたくないんで、
同時にそれをきちっと繋がるようにまとめることをしたくないんである。それは何かに媚びることだ、と強く感じるわけなんで。

リンクツリーなるものを作ってみた。url貼っておきます。

GW界隈。久しぶりに友人で詩人の文月悠光ちゃんとご飯。
とてもいい夜だった。わざわざ同業の友達を作りに出かけたりそういうことはしないが、同業の友人がいるってことの心強さ。またその同業の友人との関わりが月日を重ね、互いを取り巻く様々な人生の事情なんかをこう、併せ呑んで、今も素敵に続いているという奇跡のような関係に感動する。
悠光ちゃんも「宵巴里」の刊行を楽しみにしてくれているがわたしも悠光ちゃんの新しい詩集の刊行を楽しみにしている。

写真は2015年。悠光ちゃんと出会った頃、アラビア。

GW界隈。怒涛のゲラ作業。ちゃんと終えて壷井さんに戻す。

GW明けて、装画のラフ、上がってくる。驚き。
装画の中村さんは、わたしの肖像画を描くとおっしゃっていた、
これがわたしか、なるほど。
そこからもう、ある出来事を認めざるを得ないのだという気持ちになっていって、そこから離れることができなくなる。

それはなんていうか、一般の人が「スピ」と呼んでいるような、ある種の領域、そこから自分は、逃れて生きていくのは難しいのだろうというような、
もはや向かい合うしかない!というようなそんな気持ち。

そう言えばあのアラビアがなければわたしはきっと順当に仕事を重ねて、ベストセラー作家を目指したり、直木賞を獲りたい!とか思って、わかりやすい目標に向かって生きていってたんだろうからね。

↑アラビヤ体験に関してはこの砂漠の方(後篇)で話をしています〜。
前篇は貴船神社と磐長姫の話で古神道もの。

ね。こんなスピ番組にゲスト出演しちゃってるし。笑。
そもそもイーディというわたしのお店の2階にはスピな人が呼んでもないのにやってきて、なんだか一緒に組むことになってしまう。しまうと言っても決めてるのはわたしなんだけど、決裁を下しているのは箱であって、
わたしはなんとなく箱が「そうしろ」と言うようなことを選択し、箱が絶対嫌であろうということをしない。

なので常連の王窪氏が、うちの経営を心配するあまりに「谷中バール」のランチを見に行ってこい、からの「ああいう感じに二階をランチで回したらもっと儲かるんじゃね?」と言ったから、もう建前の言い訳を言うのが嫌になって言った。「そんなことを箱は許さない。箱はこの場所は”芸術”の場所だといってる。ランチバルなんかにしたが最後、一人もお客さんが来なくなると思う。二階でランチでも始めようと思いますなんて野暮すぎる提案、自分からはとても箱にできない」だってまじでそうなんだもの。
箱の意向を踏まえて運営してるから今イーディにはお客さんが来てくれてるんであって、箱が望まないって本能的にわかっていることを「なんか流れで」やってしまったらそれは地獄の始まり。流行るどころか滅亡へまっしぐらであることを女主人のわたしが誰よりもよく理解してる。

なんて言うかな。このまま言い合いになって水商売なめんな、おとぎ話で飯食えんのか、って喧嘩になるかな。そう思っていたのに王窪は言った。
「箱の意思か!!笑 おもしれえ! 箱が二階をバルにすんなってか」
OKわかった。
王窪はかつてないほどに一発で納得して、もうランチの話をそれからはしなかった。そんな王窪の誕生日である5月19日。根津に引っ越してまる一年。

(去年の5月19日に撮って8月に公開した映像作品。撮影と編集を手掛けたのは、かつて情熱大陸のディレクターをつとめていた高橋佑。彼の才能がこの作品の真髄といってよいのだと思う)

そんな5月19日。志磨さんのライヴに行った。場所が渋谷Quattroというところがとても示唆的。色んなことを一旦"THE END"にせねば行かんと強く感じたのでそういう装いで。セットリストの1曲めは「世界の終わり」をモチーフにしたアルバムからの1曲だった。示唆的。

東京キネマ倶楽部からのこの3年について考え、そして弔った。
The endという言葉にふさわしく。

5月19日の深夜に放浪の女が扉を叩いて、それはセットリストのわたし的なトリ「Heat of gold」の歌詞そのもの。
「僕は生きて帰れるか」と尋ねて首を横に振るなら「運命よ、お前は僕の敵だ!!!」と言いたい。

翌日の出勤。夕寝をしたら寝過ごした。示唆的。
なぜかっていうとわたしは寝過ごすってことを人生でほぼしないんである。
18時に寝て目覚ましを21時にかけたつもりだった。かけそこねたのか、無意識のうちに止めたのか、わからない。おきたら23じ半だった。示唆的。
完全に考えさせられる。運命と、それが僕の敵か否かについて。

クリムトを自宅から動かした日、蒼ちゃんがクリムトを着てきた、示唆的。
大量のだるま。が、3周年の引き出物になるなんて。示唆的。
そもそも達磨自体が示唆的なものじゃないか!

示唆的。示唆的。
つまり5月、本日までに起きたことに示唆的じゃないことなどなかった。
気のせい、という人がいるでしょう。
その人は宵巴里の表紙を見てから、またご意見聞かせてください。
あの装画がわたしなら。
示唆的と思う全ての感覚が全て、示唆そのものなのだ。

最後に、全然痩せないことについて、ほとんど現在過食めいた食生活をしてないから非常に不思議に思い調べた。
(代謝が落ちる年齢ということを指しい引いてもこれはおかしい)
スピ的な意味で言うと能力が拡張してゆくと受信器である器が大きくなる。
とある。なるほど。
…とか言ってもしか霊障とか、ネガティヴィエネルギーを吸いやすくなってるとかだと怖いから2019年の業務提携人のスピリレイさんに連絡。

「あーモカコさんのそれはまさに、能力拡張に合わせて体が大きくなるやつですね、だからみんな霊能者ってふっくらしてるじゃない、
わたしみたいに」

なるほど。
わかるんですが再来月あたりに新刊を出す小説家、中島桃果子としては、どちらかというとカリスマ的なビジュアル必要と思うんで、これ以上デブになるわけにいかんし、とりあえず5キロは痩せないと作品に説得力が持たせられないんですよ、内容的にも。
なんかヒーリング必要ならしてください遠隔で。
そう言うとレイさんは、

「あ、ヒーリングとかじゃないんですよそれ、塩ですね。ブラックソルト」

ちょうど家にあるから持っていきますね。
霊能者がふっくらしてるのはいいですけど、
中島桃果子が太ってるのは全体的に、違うんで。
(わかっています、誰よりも〜)
世の中美醜とかそういうことを言ってるんでなくて相性の問題である。
グラムロッカーは太ってるのちょっと違うし、
美味しい料理作る人がガリガリもちょっと違う。
おしゃれじゃないデザイナーちょっと違うし、
やたら美しすぎる学校の先生もちょっと違うというよりは色々難しそう。
つまりは適切かどうかの話であるんです。
そしてその適切さすらも個に委ねられ流動的なんです。
つまりは太ってることを許されるグラムロッカーはいるし、酒が下手でも人気のバーテンダーっている。
なんでつまり、中島桃果子の場合はさってこと。
あの人はこれ許されるけどこの人がこれはちょっと違うよねっていう範疇の話。

そんなわけで今夜レイさんにブラックソルト貰う。

驚いたのは。2019年の6月。イーディ始める直前に、わたし十番の塩屋で、キプロス島のブラックソルトを人魚気取りで購入して、
2019年の冬まで毎日営業前に舐めていたんだよね。
その時の体重ってば今より8キロマイナスなわけでして・・・笑。

示唆的!!!笑

今の自分はデブですが今の自分、好きだよ。笑。

そんなわけでまとまりのあるものを書きたくない。
示唆的!!というまとめ方を強引にしつつ、まとめない。

1週間空いたので2つ貼ります。まずは【ON AIR】から。

昨日は【OFF AIR】でした。

そんなわけで今からレイさんにブラックソルトもらってきます。
これだけで激やせしたら・・・・示唆的!!!笑

長く絶版になっていたわたしのデビュー作「蝶番」と2012年の渾身作「誰かJuneを知らないか」がこの度、幻冬舎から電子出版されました!わたしの文章面白いなと思ってくれた方はぜひそちらを読んでいただけたら嬉しいの極みでございます!