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通勤の電車内にてひとりだけ息を切らしている月曜日(なんでもない日に短歌でタイトルをつける日記4/1~7)

好きな歌集から短歌を、毎日の日記のタイトルに頂いて、一週間分の日記を書いています。たまに自分で短歌を詠むこともあります。

1日

いま君に 似ているひとを 見たのだと 遠い星から メールが届く

『100年後あなたもわたしもいない日に』土門蘭

『秒速5センチメートル』のリバイバル上映を映画鑑賞。なんとなく内容にぴったりの短歌だと思う。『One more time one more chance』の歌詞ともリンクしている気がするし、メールや星を詠みこんでいるあたりも、まさにこの映画を観た後に詠んだような短歌。

『秒速5センチメートル』は好きすぎて何度も観ているが、新年度だし、月曜日だし、なにかの節目にしたいと思って、また観た。ちなみに、今週末『すずめの戸締り』が金曜ロードショーで放送されるらしいが、『秒速5センチメートル』をリピートするほど、最近の新海誠作品は見る気がなくなる……。
やっぱりあのみずみずしさみたいなものは若いころにしか作り出せないんだろうな、だから今となっては設定を凝って、おもしろく装うところに注力するしかないんだろうな、と。あくまで個人的な意見ですけど。

映画も短歌も関係のない話だが、この1年くらいはどうにかこうにか筋肉をつけたいと思って筋トレに励んだ。実際見た感じはある程度パンプアップしたけれど、体重や体脂肪率などの数字はさほど変わってない。体脂肪率なんかはかなりまやかしらしいからなんとも言えないところもあるけれど、なにかの節目ってことで、この辺りで方向転換して、今年はとにかくお腹を絞っていくことに焦点を当てて、運動しようと思う。ぼちぼち走ったりもしようかしら。

2日

春がまた大人に夢を見せながら叶えないままただ過ぎてゆく

『オールアラウンドユー』木下龍也

雨降りが続いたのちにやっと晴れて、やっと桜も咲いたのに、また雨が降って1週間も経たないうちに桜が散りそうだ。ニュースの、そこまでしなくともと言いたくなるようなほど早い時間から場所取りをする花見客を笑いつつ、同じ時間がなにもない自分の生活のうえを流れていく。

気候危機で桜の開花も早まるかと思いきや、雨が増えて新年度に入るぎりぎりまで待つことになるってのは皮肉である。自然に振り回されて、こういうところを支点に気候危機への問題意識を高まればいいのだけど、それもまたひとつの夢なんだろうな。

とりあえず、夏までにお腹の肉を割るために、夕食の米を減らそうと思う。束の間の春は忘れて、夢のおなかは夏に託したい。

3日

傘を差す人と差さない人がいる信号待ちで傘を差さない

『「老人ホームで死ぬほどモテたい」と「水上バス浅草行き」を読む』上坂あゆ美・岡本真帆

雨の日の短歌は選びやすい。自分でテキトーに選んでるだけなのに頭を抱えてるのもバカみたいだが、とりあえず、雨についての短歌はたくさんあるし、雨ってだけでも選ぶ理由をもってある程度しぼりこめる。

ぼくは基本的に傘を差したくない人間なので、雨の日は撥水のアウターを着ていることが多く、一応折り畳み傘はバッグのなかに持っているがあまり出番はない。
特に最近は、先月に友人の服屋で買ったO-のBARTHLOTTO JACKETをほぼ毎日のように着ているから、積極的に雨に濡れようとしている。
傍から見るとアホっぽい。
けど、1着9万円もしたから、使いまくってもとを取りたいという貧乏人根性もあり、今日も信号待ちの間、雨に濡れながらつっ立っている。

4日

本棚に戻されたなら本としてあらゆるゆびを待つのでしょうね

『てんとろり』笹井宏之

最近、アイマスクを買った結果、以前より眠りが深くなったからか、かなり早起きになった。早起きは三文の徳ということで、毎朝なにかしらのエッセイやら書評やらを読むことにしている。その手の読みかけの本がたくさんあって、本棚でぼくの指を待っているはずなので、これを習慣にしていきたい。まぁ、昼は睡魔に襲われているわけだけど(笑)。

今朝、手に取った『ロゴスと巻貝』(小津夜景・著)の速読についての一節がおもしろかった。

わたしも、知識も経験もとぼしかったころの読書はものすごく速読だった。なぜってそれが、わからない本をわかったような気がするところまで無理やりもっていく秘訣だからだ。文章というのは音楽だから、テンポをはずさす筆勢に乗ったほうが文意をつかまえやすい。初手から音符をひとつずつじっくり観察していたらメロティーが聞こえてこないのと一緒で、流れを止めれば意味の輪郭は壊れてしまう。文章の自然は運動のなかに存在する。リズムのなかでこそ、それはいきもののようにふるまう。あおのころ、わたしは作品の意味を理解するより先にそのリズムに共鳴していた。それはまるで医療行為のようだった。読書における癒しのひとつはこの身体性、共鳴による自己のマッサージにあると思う。

速読と聞くと、効率的な勉強術で、あるいは読書のスピードが極めて遅いぼくにとってはドラえもんの道具のようなものを連想してしまうものなので、この一節は目から鱗だった。でも、そういうメロディーの感覚はいまさら養えるものでもなさそうなので、ぼくはのんびり読もうと思う。
そもそも音痴だしな。

5日

郵便配達人(メイルマン)の髪整えるくし使いドアのレンズにふくらむ四月

『シンジケート』穂村弘

ドアの覗き穴から見る新人郵便配達員の4月の初々しさを詠う短歌という理解でいいだろうか。なんでそこで櫛使ってるのかわかんないけど。

『響け!ユーフォニアム』3期の開始を前に、急いで1期2期をいっき見しようとしていて、忙しい。

まぁ、つまり暇ってことなんだけど。

6日

手をあててきみの鼓動をきいてから てのひらだけがずっとみずうみ

『カミーユ』大森静佳

掌に感じる鼓動がみずうみのさざなみのように、長く静かに押しては返すを繰り返す。短歌はおそらく恋愛についての内容で、その鼓動は今日の日記とは関係ないけれど、ぼくは理解を超えた身体感覚のような表現が好きだ。

今朝は武満徹エッセイ選を読んだ。

言語が発達して、ことばの指示機能が先鋭になることで、(私たちが)失ってしまったものは大きいように思う。たとえば、本来そうあるべきではない音楽ですらが、知的な細分化を繰り返して、「私はどうも音楽は解りません」というような不可解なことを(私たちに)言わしめ、それがまた当然のように聞かれている。音楽は知的に理解されるだけのものではない。音楽言語ということが言われるが、これは一般的な文字や言語と同じではないだろう。音楽には、ことばのように名指ししたり選別したりする機能は無い。音楽は、人間個々の内部に浸透していって、全体(宇宙)を感じさせるもので、個人的な体験でありがながら、人間を分け隔てるものではない。

この日記を書き終わったら、『響け!ユーフォニアム』を今日もイッキ見。特に音楽の経験があるわけではないが、そもそも「音楽は知的に理解されるだけのものではない」のだ。(まぁ、音楽家が言葉にするから価値がある言葉なのだけど。)

音楽のエンタメはだいたい全部好きだ。くらいの解像度でいい。より重要なことは、この音楽を聴いて、自然と笑いたくなるとか泣きそうになるとか、海にいるような気分になるとか、そういう感覚の蓄積だということ。

7日

靴下のたるみをなおす要領で俺を肯定したい日もある

『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである』枡野浩一

いろいろと凡ミスが多くて、うんざりしている。

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