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北海道で住み込み農業バイト、2ヶ月間の記録

前回に続き、ボラバイトの記録パート②。前回のエントリからだいたい2週間。当初の予定だとちょうど折返し間近というところで、ボラバイト日記パート②を更新しようとして書いた内容…を交えつつ、その更新が滞り1ヶ月が経過、ついに帰途に着く道すがらに改めて記録したもの。

仕事

8月前半はキャベツの収穫から箱詰め、かぼちゃの収穫。8月半ばにはそこにかぼちゃの出荷を加えてのローテーション。
8月も後半になれば、暑さは落ち着くもののかぼちゃ収穫ラッシュに突入。
たまに草取りなどもはさみつつ、9月は連日かぼちゃの収穫、時々キャベツ。
そして、9月下旬はジャガイモの収穫。 

キャベツ畑

かぼちゃの出荷

ジャガイモを運ぶトラクター
ナウシカで、ペジテが小さい王蟲を囮にしたシーンを思い出した…もちろん、ジャガイモの大群が押し寄せてくる、なんてことはない。

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当然、と言えば当然だろうが、2ヶ月いたところで、ひとつの作物ができるまでの一通りに携わることはできない。人手が必要なのはやはり収穫。

ボラバイト先の社長の言葉を借りれば、「農業は1+1が3にも4にもなる」。そもそも規模の経済による影響が顕著な生業であり、場所は北の大地、北海道。日本随一の大規模農業。これからの農業を学びたいのなら、もっと他の地方を目指す方がいいかもしれない。

仕事上の人間関係

1ヶ月程度働いて、特に感じていたのは田舎の人間関係に幻想を抱きすぎていた、ということ。のんびりしてて、もっと頭を空っぽにできると思っていたけれど、実際は、体育会系やブラック企業の悪習のような前時代的な空気が色濃い。

個人的に、最近の社会問題に対する若い人たちの活動なんかをよく注視しているのもあって、そういった悪習には関わることはもうないと思っていた。が、人の価値観ってそう簡単には変わらんよね、ということをつくづく思い知らされる。そして、そういう価値観に触れるたびにコミュニケーションに齟齬が生まれて、かと言ってそれをどうこうしようという気概もないので、なんとなくボラバイト先の地元の人とのコミュニケーションが億劫になる。

ああ、頭の中がお花畑だったんだな。。。

その後、さらに1ヶ月働く中で僕自身の人見知りが解け、地元の空気になんとか馴染んだことでいくらか働きやすくなった。

最終的には、「明るくなった」「変わった」などと言われて、引き止めてくれるホストの家族や別れを惜しんでくれる地元の人の存在もあり、また数年後に来たいと思うようになった。

また新しい場所に行くと、またコミュ症が再発する。相手の視点に立って見たら、得体の知れない根暗が特に口にするわけでもなく「僕を受け入れて」という目を向けてきている、のだ。それは扱いづらいよね。そう思うと、一緒に働いてくれたみんなに感謝する他ない。

1ヶ月前にnoteを更新していれば、不平不満のみのエントリになっていたことを思うと、更新しなくてよかった。

食事

前回のエントリでも書いたが、その後もジンギスカンや果物やとれたてのマグロと贅沢三昧。恐るべし、一次産業コミュニティ。仕事の休憩中にも、大量に間食してしまい、元の食生活に戻すのに苦労しそうだ。

個人の食事は、最後までインスタントと缶詰めで乗り切ることになった。農業バイトに来る直前に買った料理本は最後まで出番なし。慣れない生活の中で慣れないことはできない。それも共同生活なら尚のこと。

セブンイレブンの「北海道限定あんかけ焼きそば」が美味すぎて、ハマる。
長谷川ストアの焼き鳥弁当もいい。ご飯の上に串が並んでいて、要するに食べづらいわけだが、それも含めてB級グルメ感があってよかった。

取り敢えず、料理の練習も兼ねて食生活改善は急を要する課題。

寮生活

8月は最大6人、9月は最大7人となかなかに大所帯だった。3,4人が理想だけど、そういう注文をつけても仕様がない。あまり好きになれない人間も中にはいたが、概ね良好な人間関係を持つことができたように思う。

トータルで男性7人、女性6人と出会うことができた。特に9月は社会人も増え、いろんな生き方をする人たちに出会えたことがよかった。

個人の時間としては、こちらのnote更新やnotionでつけていた日記、読書などに全く手をつけられなかった。北海道に来るまで、1日6時間のコールセンター業務しかやってなかったのだから、当然普段より疲労がたまっているわけだが、それにしてももう少し適応させていくべきだった。

あと、寮生活、ではないのだけど、車の運転…今回の滞在先ではマウンテンバイクを借りて、少し遠出することもできたが、如何せん行動範囲が狭い。

自転車で片道20kmこいでたどり着いた海岸

今後もボラバイトするつもりなら、車の運転できるようにならなきゃなぁ。。。

総括

函館、札幌、帯広、釧路を回って北海道を離れる。が、旅行をしたいのではなく、旅をしたいのでもなく、見知らぬ土地での生活をしたい、ということなのかもしれないと気づく。
人見知りゆえに、この土地には自分を受け入れてくれる人がいる、という人間関係を行く先々で作りたいということなのかもしれない。さながら、マーキングのように。

そして、見知らぬ街を歩き、自転車に乗り、その土地の本屋に入り、たまにその土地の旨いものを食べる。そうすることでやっと、他人とは違う生を感じられるし、昨日とは違う今日を生きられる。

その土地に馴れると出会った人たちには別れを惜しまれるけれど、その土地を離れないと自分がそこでの生活に埋没していく。ひねくれた、難儀な性格に育ってしまったものだなぁ。

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