見出し画像

井上光晴 『目の皮膚』 読書感想

井上荒野・著『あちらにいる鬼』を読んだ感想は前回こちらに書いた。
私が興味を持ったのは、井上光晴氏の妻の心中がはっきりと描かれたいないような気がしたことだ。

そのあと、いろいろ続けて読みたい本があったが
井上光晴の短編集を読んだ。
その中のひとつ『目の皮膚』
出てくる風景が自分の生活している地域とリンクしていて
映像が眼に浮かぶようだった。
もしかして、ここに以前住んでいたのではないかと
錯覚しそうなくらい。
特に鳥居を抜けて幼稚園に行き、大学のグランドを通ってうちに帰る辺り。
どこにでもある風景なのだろうか。

井上光晴『目の皮膚』を読んでいるうちに
私の中の『あちらにいる鬼』の妻の心中がはっきりしない部分が少しクリアになった。
こちらの『目の皮膚』に登場する妻はなんともグレーがかった毎日を送っている。すれ違う人にさえ怯えているような。

やっぱり。
キッパリと線引きをして気持ちをクリアに生きているわけではなさそうだ。

『あちらにいる鬼』の中で妻は、「夫の小説の中には、自分も相手の女性もだれも出てこないのだ・・・」とあるが、
『目の皮膚』は、妻の話でと思える。ゆえにこれは・・・

『あちらにいる鬼』の中で妻は、4篇ほど、小説を書いたとあったので
もしかしたら、この『目の皮膚』がそのひとつではないかと
思えるほど妻の心の中の動きを細かに描写している。
幼稚園に送り迎えする主婦があんなにグレーな気持ちで過ごしているなんて信じられない。

『あちらにいる鬼』では、ラストに「サーカス」を題材にされたことを
妻が褒めるシーンがあるが、もしかしたら
井上光晴氏の短編の中の「サーカス」も彼女の小説かもしれない。
それを晩年知ってもらいたかったのかもしれないと思えた。
私の勝手な憶測ですが、あれこれ想像し結びつけながら
時代を経て、小説を堪能した!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?