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メンヘラな私が、突然Instagramをやめた理由

モブ子/25歳/会社員 総合職・全国転勤(3年間で3都道府県への転勤経験あり)/関西出身/男みたいな考えしてるねと言われすぎている/最近の悩みは美肌を目指すがゆえに肌を刺激しすぎる事でかえって自らの手で肌荒れを起こしてしまうこと/自粛期間にハマったものはアニメ「ジョジョ」

Instagramを、やめてみました。

こんにちは。
ポジティブメンヘラこと、モブ子です。
とってもパワーワードですね。

ある界隈では、「メンヘラ」であることで有名な私ですが。

そんな自分が、
大好きなInstagramをやめる日が来ることは絶対にない。
そう思っていました。

私がInstagramを辞めた理由を書く前に、
「そもそもメンヘラってなんなんだ。」
という認識あわせから行なっていくべきか迷います。 

なぜなら、自分は多方面の友人から
メンヘラと呼ばれていますが、
「そんなに、私のことメンヘラメンヘラっていうけど
 じゃあ、メンヘラってなんだと思う?」と聞き返すと
面白い事に、人によって考える答えが違うからです。

そうですね、
その話はまた今度ゆっくり考えて書きます。

私がInstagramをはじめた理由

私がInstagramを、始めたのは大学一回生の時。
クラスという制度がない中の大学生活で始めて出来た貴重な友達に
話題つくりとして、作り方を教えてもらったことがきっかけでした。

Instagramは2010年にサービスがスタートし、
私がアカウントを作った
2013年には利用ユーザーが1億人を突破。

「周りの人がやってるから始めた。」
このような私と同じ理由でInstagramを始めた人は
少なくはないのではないでしょうか。

Instagramが日常の一部

ストーリーズ機能が登場してから
Instagramは素敵な一瞬を
写真や動画で投稿できるようになりました。

私がよくストーリーズに
投稿していたのは


乾杯する時の動画
(みんな片手にスマホ)

色んな友達との写真
(感謝の言葉を添えて)

「な、こっち見て、いえーい、ははは、沖縄でーす」の動画
(ブルーシールのアイス美味しそうに食べてるのに、わざわざ呼ぶなよ。)

綺麗に出来た自炊の写真
(そうじゃない日は、しめじをバターポン酢でいただく。)

自分自身の振り返り
(通称病み投稿、メンヘラという認識の根源)などなど。

素敵な1日を過ごした事や
頑張っている自分を
「この瞬間、誰かに伝えたい!」
そう思って、日々、寝る間も惜しんで
Instagramを利用していました。

思えば、今までの自分は、
本当に自分が好きだから行動する
よりも
こういう見え方が美しいのでは
という想いで
自分の行動をとっていたように思います。

私という人間をわかってほしい

Instagramに自分の生活の嬉しい楽しい
キラキラした日常を投稿することが好きでした。

が、

それでだけでなく、私はInstagramに
自分の思ったこと全て
包み隠さず写真と文字で投稿するようになりました。

楽しい日常だけ過ごしているわけではなく
色んな事に悩んでいることを
等身大の自分
みんなに知って欲しかったから。

実際にその投稿していた時は
「自分を知ってほしい。」という
明確な意識はなく、
「これを投稿したら、どう思われるだろう?」という
無意識の考えをもって投稿していたように思えます。

ですが、このような想いをもっているのは
私だけではないようで。

Instagramには自分の特技を友達にむけて載せる人もいるし
私のように楽しい日常ばかり公開する人もいます。

ある会社の先輩曰く、
自分がInstagramをやる意味は
自分は誰と仲が良いのか知らせるため。
とのことでした。
自分の交友関係の多さを知って欲しかったのでしょうか。

自分だけではないという事に
少し、安心。

自分の全てをわかってもらう事は不可能。

等身大の自分と自分の趣味や考えを知ってもらうために、
私はInstagramの投稿を続けました。

社会人になって全国転勤の職につき、
家族とも友達とも離れて暮らすのは寂しかったし

まだまだ、社会について勉強中である中で
「自分にはまだ何もない」と感じることが怖くて
楽しいことや、嬉しいことを投稿することで安心し
そのままの、等身大の自分を受け入れてくれる居場所を
探し続けていたのかもしれません。


そんなInstagramの投稿をつづける私に
日々、送られて来るDMは、

また病んでるん?
元気出せよ!
ご飯いこーや!

い、いや。ちがう、ちがうのだっ。
私はもうこの件については自分の中で問題解決し終わって
なんなら、相談できる友達もいるし、
頼れる会社の先輩だってちゃんといるんだっ。


元気がないんじゃなくて、
ちゃんと頭で考えてるんだようっ。



私がInstagramをする意味は
思い悩みながらも成長していく私がいること。
楽しい毎日だけ過ごしているわけではないということ。
それを、みんなにわかってもらうこと。
たったそれだけだったのです。


ついに、Instagramをやめました。

自分の友人や会社の同期全員に、
私の悲しみや喜び、趣味を理解して
全てを受け入れてもらうことは
不可能であるという事に、25歳になり気づき始めました。 

というか、意味がないという事に気づきました。

例えば、会社の同期は
仕事中の一生懸命な私の良さを知っている。

大学の友達は
笑いが大好きで飲み会が大好きな
明るい私を知っている。


全部違う私だけど
全部本当の私であることに変わりはないし
自分だけがわかっていればそれでいい。


いくら同じ星の元で生まれたとしても
生まれた場所や育ち方も違う
フォロワー約200人の皆様に、
全てを受け入れてもらうことは不可能だ!


私は私だから、
知っている所だけを理解して
関わってくれればそれでいいんじゃないか。


それに、私も私に関わる全員の全部を
理解することは出来ない。
下ネタで盛り上がる飲み会は嫌いだし
DIYは作るのが面倒くさいし、買った方が早い。
話してて楽しい友達の毎日の弁当の献立など
心底どうでもいい。私はコンビニパスタが好き。




…そうなると、Instagramをする意味って

なんなんだろう。


もう、自分の全てを受け入れてもらう
意味はなくなった。


次は自分と似た見知らぬ人と繋がるための
ツールとしてInstagramを利用してゆくのだろうか。

顔を合わせた事のある人用のアカウントは
ログアウトして見れなくした。





ある界隈では、メンヘラで有名な
モブ子の自分探しの旅は続く。

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