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25歳、総合職、恋愛体質OL「彼氏への期待を今後一切しない」を宣言。

こんにちは、みつこです。
ああ、人間わかっていても出来ない事だらけだな。
と感じた最近の出来事について書かせてください。


私には今彼氏がいます。
年の離れた年上の男性です。

私たちはお付き合いしていないことになっています。


社会人4年目を迎える私ですが、
今日まで全国各地、幾度となく仕事の隙間に
男の人に泣かされてきました。
(現在、転勤4回目)

「もう男の人は必要ない。」
「もう恋愛はこりごりだ。」

そう思っては惹かれ
傷つき、悲しみ、別れを繰り返しました。


「もう恋愛はこりごりだ。。。」
そう思った矢先に彼と出会った場所は


港区の婚活パーティ


地方の転勤を繰り返したのち
東京という大都会に住むことが決まり
好奇心旺盛な私は「港区のパーティー」というものを
経験してみたかったことから参加することに。
(一人会場前で立ち尽くし、私が自分の心に問いかけた言葉は「これに参加せずして死ねるか?」ということ。)


今まで出会いと別れを繰り返しては傷ついてきた私。
何度も同じ事を繰り返すうちに
恋愛は今の自分に必ず必要なことではない。
知り合う入り口は恋愛としてではなく、親しい友達になり、いつしか恋愛に発展していくことで良好な関係を築いていきたい。
」と思うようになりました。

そんな恋愛に臆病になっていた私は、今の彼と出会ってから「あ、ちょっといいな。」と思う気持ちを隠し
「今、彼氏は欲しくない。」
と伝え続けていました。

別に恋愛することを拒否していたわけではなく、その人と一緒にいることが自分にとって心地よいのかを考えず、恋に恋して後戻りできなくなる事が怖かったのです。

彼「どうして欲しくないの?」

私「彼氏が出来るとお互いを大事に出来なくなる
  彼氏だから誕生日は盛大に祝わないととか 
  彼女だから毎日連絡はとらないととか
  変な期待が生まれてお互いをいつのまにか
  縛りつけてしまう
。大切に出来なくなる。
  私はただ、目の前にいる人を大事にしたい。」


恋愛で何度も悩み続けた私の本音でした。

今までずっと恋愛で苦労してきたと
冒頭で申し上げましたが「苦労させられた」と
自分が一方的に被害者だと思っているわけではありません。

男性側のだらしなさ等に原因があったものもありましたが自分にも至らない点があったなと毎回お別れした後に
反省することがあります。


恋愛という関係になると
どうしても心が近づきすぎて
相手を大切に出来なくなってしまう。


それが、もう苦痛な時間でしかなかったんです。



恋愛は自分には必要ないとあらかじめお伝えしていた私ですが
ご想像通りこの後、彼の猛アタックに落ちてしまい
恋人としての関係を持つことになりました。


冒頭で申し上げた
私たちの中では二人は付き合っていない。
というのは

そういった私の苦痛な時間を
少しでもなくすために二人で話し合った結果です。
付き合うとお互いを大事に出来なくなると想定した結論です。


このように話し合った結果
本当に相手を大切に出来たかの結果ですが。


この記事を書いたということは
結論、

人間わかっていても出来ないことだらけだな。

ということです。


私は思いました。
結局男の人は付き合って慣れて来ると何もしてくれなくなる。
仕事相手なら一定の距離をあけて上手に接せれるが彼氏になると
 わがまましか言えなくなる。


もう、完全にさっき申し上げた
目の前の人を大切にする。」
この気持ちが消えてしまいます。
何故なのでしょうか。



以上の出来事から私が新しく
今後はこういう風に彼氏に接したい。
と思ったこと、それは

「期待をしない。」


このことを本日から心に刻みたいです。



「私の彼氏は何もしてくれない。」
=恋人に期待しない。


そうしたら、また、小さな気遣いに
気づけるかもしれないし
彼氏のことを一人の人間として大切に出来るかもしれない。


人間わかっていても
人間だから無意識にしてしまうことだらけだけど
このことに気づいたからこそ
そこは理性をもって接したいなと思いました。


最後にTwitterでも話題になった芦田愛菜さんの
『信頼』についての素晴らしい見解を引用して終わりたいと思います。


芦田愛菜
“その人のことを信じます”っていう言葉を使うと思うんですけど、それってどういう意味なんだろうっていうのを考えた時に、その人自身を信じているのではなくて、自分が理想とするその人の人物像みたいなものに期待してしまってることなのかなって感じて。
だからこそ、人は裏切られたとか、期待していたのにとか言うけれど、別にそれはその人がこう裏切ったとか、そういうわけではなくて、その人の見えなかった部分が見えただけであって、その見えなかった部分が見えた時に、それもその人なんだって受け止められる、揺るがない自分がいるって言うのが信じられることなのかなって思いました。
でも、その揺るがない自分の軸を持つのってすごく難しいじゃないですか。だからこそ、人は信じるって口に出して、不安な自分がいるからこそ、たとえば成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりに縋りたいんじゃないかなって思いました。
https://nbpress.online/archives/31134
「芦田愛菜にとって“信じること”とは? 映画『星の子』完成報告イベント」


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