ジョディー・フォスター、出てるだけで説得力がある。90年代の彼女の映画が好きな人にとっては。

「ナイアド 〜その決意は海を越える〜」を見た。

60歳を過ぎて、若い頃にできなかったキューバ、フロリダ間の遠泳に再度挑戦する女性を姿を描いている良作。
たんなるスポ根ものではなく、主人公(アネット・ベニング)がとにかく"わがまま"で、嫌な人。他人を危険にさらしてでも、挑戦を成功させようとする姿が爽快です。
挑戦しないと死んでしまう、だから生きるために"わがまま"なんだ。そういう姿が全編映し出されるので、主人公に共感はしないけど感動する、ちょっとめずらしいタイプのスポ根映画なんだなーと思いました。ただ、いろんなフラッシュバックもあり、単にナチュラルボーン"わがまま"、というわけでもないのも気持ちを揺さぶられる原因になりました。

そして、ジョディー・フォスターが出ている。
ゲイで、自立していて、自信満々。こういう役をやらせたら、この人の右に出る人はいないなーと思う一方、この人こういう役しかできないよね? と思ってしまうのも事実。今回も、ジョディー・フォスターがジョディー・フォスターを演じているような雰囲気でした。

50歳近くの自分にとっては、ジョディー・フォスターとの明確なファースト・コンタクトは「ジョディーをみたらカフェラッテ」だ。

当時は思ってもいなかったけど、シアトルのイケてる自立した女性はカフェラテ飲んでる、みたいなイメージっぽい。スターバックスのカップを持ってスタスタ歩いている前の「できる女性」のイメージ。

彼女こそナチュラルボーン「ゲイで自立してて自信満々の女性」なんだろうけど、90年代、00年代は風当たりが強かったんだろうな、と想像できる。
そういう女性であることを体現していかないと死んでしまう。だって、本当にそういう女性なのだから。だから、ジョディーはいつ見てもジョディー役しかできないんだなーと思ってます。
「羊たちの沈黙」「コンタクト」など90年代の彼女の映画は大好きで、このあたりの映画もジョディーの「ゲイで自立してて自信満々の女性」であるこことが名作の基礎になってる。

90年代に行きにくいであろう「ゲイで自立してて自信満々の女性」を貫いてきたのは、80年代、「告発の行方」、「タクシードライバー」で、女性が女性でいるだけで被害者になる役を演じたからなんだろうかなぁとも思ってるのですが、後付です。

今回のナイアドは、ジョディーサイドからの物語も見たかったなー、なんならと思ってます。
が、2000年代の彼女の映画をまったく見てないので、ジョディーがジョディー約しかできてない、、、というのは失礼な想像かもしれません。

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