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日本におけるMMTへの誤解⑤

誤解というよりも、インターネットを見ていると同じ財政赤字支持派(といってよいのか)ではあるのだけど、MMTの原著や論文を読んで、それなりに詳しい人たちと、解説本やYoutube上の解説動画、またはリフレ派の経済学者や評論家(たとえば、高橋洋一さんや三橋貴明さんや森永康平さんや藤井聡さん)が発信するものが主な情報源でMMTに直接的に触れたことがない人たち(いわゆる積極財政派といわれる人たち)との間に齟齬が生じているように思うので、この齟齬がなぜ生じるのか、これについて自分なりに思いついたので、書いてみようと思う。
MMTerがなにを言っているのかよくわからない人にも参考になるかと思うので。

では早速なんだけど、もしあなたが財政赤字支持派だとすると、

あなたは

①国債と準備預金

②銀行の資産と負債(預金)


ここに挙げた2つの項目、あなたはそれぞれどちらに着目しているだろうか?

ここで国債と銀行の負債(預金)と答えた人はおそらくMMTを支持しながらも、同時にMMTとの間に齟齬が生じていると感じているんじゃないだろうかと思う。
そして、そう答えた人は、国債の、マネーストック、つまり銀行預金のに着目しているんではないだろうか。

なぜ、こんな質問をしたかというと、
MMTerは
国債ではなく準備預金
銀行の負債(預金)ではなく資産に着目するからだ。

ちなみに、準備預金とマネタリーベースというのはほぼ同義。ベースマネーとも言ったりする。

マネタリーベースは準備券(紙幣)と準備預金のトータルを指し、マネーストックは銀行預金と流通準備券の総和を指す。(厳密にはm1m2m3m4まであるんだけど割愛)

ここでいう準備券というのは日本銀行券のことで準備預金というのは日銀当預のことなんだけど、このnoteのなかでは準備券と準備預金とする。なんなら略して準備と言ったりもする。
自分としては、準備という言い方が見慣れているので、以降、準備預金も準備券も準備とする。
というのも、準備券も準備預金も実質的に同一のものだから(多分)。↓noteに説明あり

というわけで、MMTerというのはあまり国債には着目しない。
むしろ、(政府側から見た場合)国債は経済的には何の役割もないという。
というわけで、MMTerが着目するのは

準備だ。


準備を知るとモノの見方が全く違ってくる。

準備には国内において主に以下のような機能、特性がある。

  1. 国債は準備でなければ、購入も償還も利払いもできない。

  2. 準備は政府が支出すると増え、租税など収入を得ると減る。

  3. 準備は国内の商取引のほとんどの決済に使用されている。

  4. 租税は準備でしか支払うことが出来ない。

上記4点は日本の中央銀行である日本銀行の内部組織である日本銀行金融研究所が編集している日本銀行の機能と業務に書かれていることに基づく単なる事実でしかない。
ちなみに、この日本銀行の機能と業務は中学生向けに書かれたテキストなので、まずはこれを読んでみることをおすすめするし、むしろここに書いてあることが分からなければMMTを理解することも難しいかもしれない。

さて、上記4項目のうちの、2.から分かることは、準備は政府が赤字支出しなければ、残高が残らないということだ。
ここから分かるのは、政府は赤字国債と同額の準備残高を中央銀行にある準備預金口座内に残すことになる(もちろん、民間から財•サービスを購入、または公的年金や公務員の給与払いをすることで金融機関の準備預金が増えるわけだが)
そして、1.から分かるように、国債は準備でなければ購入できない。
これは極めて重要だろう。
つまり、発行された国債を民間がすべて買って、保有するとなると準備の残高はゼロになる。
しかし、3.4.から分かるように準備がなければ、民間は商取引の決済ができないし、租税も支払うことが出来ない。
となると、国内の決済を円滑に行えるようにするために存在する中央銀行は民間が保有している国債を買って、そのための準備を民間に供給するしかない(国債以外の資産、証券でもいいんだけど、中立性を考えると国債となる)。じゃないと、通貨による経済活動そのものが成り立たない。
つまり、論理上では民間が全ての国債を保有することはできない。

しかも、国債を買うための準備は中央銀行の負債である。
中央銀行は金融機関から証券(主に国債)を買うためにこの償還期限の無い、つまり誰にも返す必要のない負債を無限に発行することが出来るというわけだ。(負債は誰にでも発行することが出来るから)


中央銀行が金融機関から証券を買うと2.と同じく準備が増えるわけだから、2.は準備は政府が支出、または中央銀行が金融機関が保有する資産を買うと増え、政府が租税を受け取ると減るが正しい。

なので、前述の4項目は正しくはこのようになる。

  1. 国債は準備でなければ、購入も償還も利払いもできない。

  2. 準備は政府が支出すると増え、租税など収入を得ると減る。準備は政府が支出、または中央銀行が金融機関が保有する資産を買うと増え、政府が租税を受け取ると減る。しかも、このための準備を中央銀行は無から無限に供給することが出来る。

  3. 準備は国内の商取引のほとんどの決済に使用されている。

  4. 租税は準備でしか支払うことが出来ない。

  5. そして、2.の性質を利用して行われているのが公開市場操作(これは日銀自身がそういうふうに説明している。日本銀行の機能と業務を参照)。

つまり、国債に着目しても何もわからないが、準備はこれだけの役割を持っていて、上記からだけでもこれだけのことが分かる。

国債、マネーストック、銀行預金に着目する人は、おそらくはお金の量に着目し、それが何らかの問題を起こすのだと考えているのだろうと思う(そもそも世の中のお金の量とは何なのか)
しかし、MMTはお金そのものの機能、特に国家の法定通貨である準備に着目している。

銀行預金は銀行が無から創造できるお金だが、これは法定通貨ではなく、どこまで行っても銀行の負債に過ぎない。法定通貨と同じ円という単位を用いているだけだ。
政府は銀行預金を自らへの租税支払いに受け取るだろうか?
答えは否だ。
これの説明におかしいと感じた人もいるかもしれないが、事実、政府は銀行預金を受け取っているわけではない。
しかし、我々は銀行預金を振り込むことで納税していると考えている人もいるだろう。
銀行は我々の租税払いを代行しているわけだが、銀行は我々の租税払いの代行に準備を支払っている。
中央銀行の口座内に銀行預金は存在し得ない。
少しややこしいかもしれないけど、面白い話をすると
銀行は融資を求める者に資金を融通するために無から預金を創造する。
そして、融資を受けた者ははこの無から創造された預金で銀行に租税払いを代行するように要求することができるし、銀行はそれに応えなければならない。
しかし、租税払いに必要なのは銀行自身が創造した銀行預金ではなく、中央銀行が創造する準備なので、銀行はそのための準備をどうにかして獲得し、保有していなければならない。
これは要求払い預金の引き出しも同様で、我々は無から創造された預金を準備券として引き出すことを銀行に要求することが出来て、銀行はそれに応えなければならない。そして、銀行はそのための準備を保有していなければならない。
だから、所要準備という法律が存在する。
しかし、準備の量は、金融機関をはじめ民間には増やすことが出来ない。

だから、銀行預金、つまりマネーストック(流通準備券は除く)にできることは限られている。
むしろ、できないことのほうが多い。
国債を買うことも、租税を支払うことも、銀行間決済に使用することもできない。

これらができるのは、準備だけである。

しかも、準備は政府か中央銀行にしか増やすことが出来ない。


ということは、ここから得られる結論はひとつ。

政府、または中央銀行は民間の準備需要に合わせて、準備を供給するしかない。


しかし、


準備は通常、マネーストックと比べてとても少ない


というのは、中央銀行はこの準備の量を調整して、インターバンク内にある短期金融市場の金利(日本でいうところのコール市場)を自身の政策目標金利としているからである。
コール市場というのは、中央銀行のインターバンク内にある短期金融市場のことで、ここでは主に金融機関同士が自らの準備需要(決済需要と所要準備という法律を守るための需要)を満たすために準備の貸し借りをしている。

そして、民間銀行にとって、この準備需要というのは、

決済需要と休日夜間の所要準備を満たすための需要

この2つしかない。

ということは、少しでも余分な準備があると、インターバンク内の金利は目標金利を大きく下回り、ゼロにまで低下してしまうということになる。

しかし、この準備というのは、政府の支出、つまり、年金の支払い、社会保障の支払い、公務員の給料の支払い時期になると増えてしまう。
また、その一方で、連休前や給料の引き出し時期になると一斉に準備券(現金紙幣)が引き出されることで減ってしまう。
そして、引き出された準備券はまた銀行に戻されることで(これは給料が現金払いだった時代には特に顕著だった)準備は大きく増えてしまう。

だから、中央銀行は常に準備の量を公開市場操作によって、適正な量になるように調整しなければならない(ならなかった)。

そして、ここからがMMTの出番となる。

中央銀行が自身の目標政策金利を正の数値に保とうとする場合、追加で発行されるだけの余分な準備はないことになる。
しかし、民間は追加で発行された国債を買うことが出来た。余分な準備はないはずなのにである。
なぜなのかというと、中央銀行が追加で発行される国債と同額の民間保有の国債を買い、準備を供給し、そうやって供給された準備で民間は新たに追加された国債を買っていた。(ちなみに租税払い時も同じ。民間には納税するための余分な準備預金は無いから、そのための準備預金を中央銀行が供給するしかなかった)

そして、重要なのが、この準備は中央銀行の負債ということである。
しかも、この負債には国債と違い、償還期限がないのである。

しかも、これらの事実は貨幣乗数理論による信用創造(いわゆる又貸し説)を相当怪しいものにする(否定しているわけではない)。

エリック・ティモワーニュ氏の説明では、この中央銀行の発行する準備の性質と正の目標政策金利下では、貨幣数量説に基づく貨幣乗数神話、つまり中央銀行が貨幣乗数を用いてマネーストックの量を管理しているというのが、そもそも不可能なんじゃないかということになる。


というのも、貨幣乗数に基づく信用創造では、まず最初に中央銀行が金融機関から国債を買うことによって、準備を供給し、それをもとに金融機関は貸し付けをおこなっていくことになっているわけだが、前述したように、目標政策金利を維持するためには、そもそも余分な準備が存在してはいけないわけだから、中央銀行がそんなオペレーションを行うわけがないし、実際にこれらは現実世界の中央銀行家によって、否定されている(これがMMTが経済学者に嫌われる理由の1つなんだろうな)。

貨幣数量説に基づく、信用創造が相当怪しいものになるわけだから、同じく貨幣数量説に基づくインフレ理論
”世の中のお金の総量が増えると、お金の価値が減ってモノの値段が高くなる”、それがインフレだ”(いやまあ、この説明自体も貨幣数量説に基づけていない全くのデタラメなわけだけど)
も相当怪しくなる(否定してはいない)。

さらに、準備が国内の商取引の決済に使用されているとなると、民間が商取引の拡大(経済成長)を望んだ場合はどうだろう?
商取引の拡大自体はマネーストックの拡大、つまり信用創造による銀行預金の拡大によって可能になるわけだが、この拡大された商取引の決済は準備でなければ行えない。
となると、民間が商取引の拡大を望み、マネーストックを拡大させたのならば、中央銀行はそれに合わせて準備を供給するしかない。
そして、それと同時に国債を金融機関に売ることで、余分な準備を取り除かなければならないということになる。
でなければ、金融市場の金利は必要以上に低下してしまうことになる。

つまり、準備に着目して考えると、民間の商取引、経済成長、さらには租税に至るまで自体が中央銀行の裁量とオペレーションなしには成立しないことが分かるわけだ。
ここまで書いたことすべてが準備の性質、機能、役割を知り、論理的に考えると必然的にたどり着く結論である。
ここには経済学が入りこむ余地すらないように思える。

だから、あなたがMMTとの間に齟齬が生じていると感じのならば、その理由は見ているもの自体が違うからだ。

変動為替相場制を採用していて、自国通貨建て国債を発行している国は債務不履行には陥らない。
という説明を受けるとまずは、国債に着目するかもしれないが、国債の量から分かるのは過去の政府の赤字支出の累積と、政府部門以外の部門の純金融資産を形成していることくらいしか分からないし、銀行の負債である銀行預金の量からは経済が拡大してきたということしか分からない。
むしろ、正常な状態(正常な状態があるかどうかは別として)で経済が成長しているかは、銀行の負債ではなく資産、借入方を見ないことには分からない。

国債と銀行預金ではなく、準備銀行の資産(今回は銀行の資産には全く触れてないけど、というか自分の今の知識ではこのへんについて語るのは相当キツイので)を見なければならない。
現にMMTのオリジネイターであるW・モズラーの代表的な著書であるSOFT CURRENCY IIでは、大部分を準備と準備にまつわる法律や、その法改正の経緯(この経緯が重要)、中央銀行のオペレーションに割かれている(だから、MMTにデフレから脱却するための政策的提言を求めている人からすると、肩透かしを喰らったような気がするだろう)。

とまあ、まとまりきらなかったけれど、国債でなく準備に着目するといろいろなことが見えてくるということ。

まとめると
準備は中央銀行の負債。
しかも、この負債には国債のように償還期限が設けられているわけでもない。
つまり、返す必要のない負債、永久債。
しかし、租税により常に償還されている。
準備は中央銀行にとっては自身の負債なので、この負債を無から無限に増やすことが出来る。
けれど、インターバンク内の短期金融市場の金利がゼロになるから増やしすぎてもいけない(いやまあ、今はほぼゼロなんだが)。
準備は民間の商取引の決済や、租税払いに使われているので、そのための準備を中央銀行は民間から国債を買うことで民間に供給するしかない。
そして、この需要を中央銀行自身は決定することは出来ない。

つまり、国債はデフォルトしないのだから、インフレになるまで政府は支出していいといった制約ではなく、上記の準備の特性と役割から発生している制約をMMTerは重視しているように思う。
それが冒頭に書いた両者間にある齟齬を生みだしている。

今回はここまで。

参考文献
日本銀行の機能と業務 日本銀行金融研究所

Eric Tymogne   Money And banking series



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