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挑戦と、挫折と、○○の物語

はじめに
この記事は「クライマーズ・ハイ」の読書感想文です。ネタバレを含みます。それを知って読んでも面白い作品だと思いますが、ご了承の上、読み進めてください。

「クライマーズ・ハイ」を読んで


人は誰でも「人生」という山に登っている

この本を読み終わって最初に思い浮かんだのは、そんなどこかで聞いたことがあるような、ありきたりの文だった。

物語は、新聞記者である主人公・悠木の2つの時間軸で進行する。衝立岩(ついたていわ)と呼ばれる難所に挑む「現在」と、未曽有の航空機事故の全権デスクを任された「17年前」。いずれもこれまでの人生で経験したことのない大きなものに挑むという形のリンクを持ちながら展開されていく。

1985年8月を舞台とした「17年前」の物語は、日本航空123便墜落事故をベースとした事実とないまぜになったストーリー展開で進行する。

事故当時、悠木は40歳。5年前に後輩を亡くした一件を機に、『相手に絶対を求め、それが果たされないと知ると絶望的な気分に陥る』性質に気付く。それは家族に対しても同様で、とりわけ息子に対して愛情が憎悪に変じ、理性を失うこともある。
奇しくも、私も今年40歳になり、同じ年頃の息子もいる。悠木ほどの激情や家族との距離感はないにせよ、父親という立場だからこそ共感できる葛藤は多い。本書の刊行は2003年だが、その当時に読んでいたらこの気持ちはわからなかったと思う。

それまで生涯一記者、遊軍的な仕事をしてきた悠木は、事故発生後、「日航全権デスク」に任命される。歴史的大事故の記事に関する全てに責任を負う役割は、悠木の経験・能力のキャパシティを超えており、上から下から、社内外から、様々なプレッシャーを受け続け、自分の仕事や考え方、判断の本質を問い続けられる。
この過程で書かれる、新聞社内の締め切りとの闘い、派閥争い、人間関係など、昭和の喧騒をリアルに感じさせる文章の数々。「もらい事故」といった表現。スクープ取りの緊張感。とりわけ、凄惨な現場を見た若手記者の変貌、胸の内は、筆者・横山秀夫がまさに当時群馬の地方新聞の記者であり、御巣鷹山に登っていたからこそ書けるものだと思った。

その後、事故遺族との接触、後輩の遺族に突き付けられた『命の重さ』を通じて、悠木は自身が記事を通じて何を伝えるべきかを確信していく。

「現在」の物語では、17年前に衝立岩に一緒に登る予定だった同僚・安西の息子との登攀(とうはん)が描かれる。
同僚との約束は果たされないままとなるが、その息子との交流を通じて、悠木自身の息子との関係も変化している。こっちの時間軸に悠木の息子は直接登場はしないものの17年前の関係から改善した様子が伺える。
大きな挑戦の物語であるとともに、安西の息子との登攀を通じて描かれる2つの父子の物語でもある。

谷川岳・衝立岩は実在の場所であり、作中に登場する昭和35年の遺体収容も実際の出来事である。山になじみのない人は「衝立岩」で検索して実際の画像を見ておくと読む助けになると思う。

「魔の山」「墓標の山」といった異名を持つ難所に、57歳になった悠木は挑む。岩に臨む緊張、恐ろしさ、その一方での落ち着き、心の澄み渡り。『これがこの世で最後の会話になる』かもしれないからこその自分の心への正直さ。
私にはこういった経験はないが、命を懸けて山に挑戦したことのある人であれば理解できる気持ちなのだろうと想像した。

「17年前」の日航全権デスクの任は結果としてうまく乗り越えられず、熱いものを残しつつも挫折ともいえる結末を迎えることになるが、「現在」は苦戦しながらもパートナーの助けを借りて衝立岩の難所を登りきる。

難所を超えたところで17年間の出来事が去来する場面は、これまで来し方を振り返りつつ、クライマックスにふさわしい前向きなもののように感じた。

人は誰でも「人生」という山に登っている

「クライマーズ・ハイ」の状態で一心に登り切ってしまう人もいれば、『下りるために上る』人もいる。その挑み方や心持ちは人それぞれなんだろうと思う。瞬間瞬間では挫折とも思える経験だとしても、やり直しがきくこともあり、その経験を新しい力に変えることもできる。
誰もが孤独に挑んでいるように思えるが、実は誰かと繋がり合い、支え合っている。

タイトルにつけた○○はきっと読んだ人によって入る言葉が違うと思う。
「再起」、「親子」、「仲間」、「いのち」、エトセトラ。

私はこの言葉を入れたい。

挑戦と、挫折と、『つながり』の物語


以上

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