見出し画像

値段の付け方・屋台のマンゴー 中編

中編:親切な屋台の店主

いつもの様にフルーツを買いに行こうとアシュラムを降りていくと、門を出たばかりの道の反対側にフルーツの屋台が出ているのが目に飛び込んできた。普段はそんなところに出ていないし、屋台の店主も普段私が通っている店主の様に小洒落た洋服を着てはおらず、辛子色のドーティと呼ばれるインドの普段着を身につけている。

つい駆け寄ってしまったのは、私の大好物のスイカが置かれていたのが目に入ったからだった。声をかけると、優しそうな目をした店主が何かを言ったのだが、よくわからない。彼は英語を話さず、ヒンディーで話している様だった。

スイカは食べたいけれど、一玉がなかなか大きい。アシュラムまでの坂を登るにはちょっとキツそうだなぁ、などと考えながら、ふと横を見るとマンゴーがあったのでとりあえず一つ買うことにした。私はヒンディーが全くわからないので、5ルピーを店主に渡してマンゴーを指差す。すると、その店主はビニール袋を取り出してマンゴーを3つ入れたのだった。

私がびっくりしていると、照れ臭そうに笑ってマンゴーの袋を差し出す。私は、意を決してスイカも買うことにした。皆んなで食べればきっと残ることはないだろう。10ルピーを渡すと、店主は5ルピーを返そうとした。スイカは5ルピーだったらしい。私はそのお釣りを受け取らずに、インド式に両手を合わせて店主にお辞儀をする。勉強になった、ということと彼のような人こそお金を受け取る権利があるという敬意を込めた。

アシュラムに戻って皆んなでスイカを食べながら、私は考えていた。なんとかして、セクハラ店主に反撃したい。いや、むしろインドに居ながらうっかり値段交渉していなかった自分を奮い立たせたかった。そして私はまず、一般的な物の値段を知ろう、というひとつの結論に至る。それが、その時の私にとって一番必要な情報であり、一番脆弱な情報でもあったからだ。

『とりあえず、いろんなお店を覗いてみよう。値段の相場を知る必要がある。そして、あのセクハラ店主に仕返ししなくては!』と私は揺るぎない決心をしていた。

それから1週間、道を挟んで門の反対側の木陰で、その屋台は毎日店を開いていた。私は彼から毎日マンゴーを買う。何度通っても、優しい眼差しの店主は値段を釣り上げることも、セクハラをしてくることもなかった。そして、1週間経った時、彼は商売場所を変えたのかピタリと現れなくなった。

インドでも、この店主のような誠実な人や親切な人はいる。だが、それ以上に小賢しいやつが目立つのは、親切な人や誠実な人はいつの時代も、どの国でも共通して『控えめな性格』だからという理由ではないだろうか。英語を話すインド人の9割を、私は信用していない。それは今でも変わっていない、自分自身を守るための私なりの保身策でもある。

この旅から10年後、私はインド人の多い職場で働くことになる。インドに住んでいないインド人であっても、平気で嘘をついたり、その嘘を嘘だと思っていない節がある。あからさまな嘘がばれない、と思っているのは何故なのか、理解しがたい。ちなみに何気にセクハラもしてくるので、おそらくインドの文化なのだろう、と理解しておく必要があるのかも知れない。

意識して値段を見始めると、値段の相場がだんだんわかってくるから面白い。チャイの値段、フルーツ、オート力車などなど。値段交渉が必要な商品に関して、おおよその値段が見えたところで、私の反撃は始まったのだった。


読んでくださり、ありがとうございます。楽しんでもらえたなら、冥利につきます!喜んでもらえる作品をつくるために、日々精進しています(*^^*)今日も良い一日を〜♪