見出し画像

聖地・ハリドワール 最終話

エピローグ:ぼったくったのは・・・

アジア人の私と、インド人のドライバーが微動だにせず、午後の日差しの中無言でにらみあっている図は、少なからずその場にいたインド人の興味をひくものであったらしかった。どこからともなく、ワラワラと集まってきたインド人が私たちを取り囲む。

野次馬の中にいた年配のインド人が一人、進み出るとドライバーにヒンディーで話しかける。全く意味を解さない私であったが、何をについて話しているのかはわかった。一体このアジア人と何があったのかを話しているに違いない。

ドライバーと話していた年配のインド人が、こちらを見て何かを言う。おそらく「あんた、いくら持ってんの?」と聞いているのだろう。私は、握りしめていた15ルピーに、財布から最後の1ルピー硬貨を付け加えて見せ、「これが、私の全財産なんだ」と伝えた。周りのインド人も、私の手に握り締められた16ルピーと私の顔を交互に覗き込むように見つめる。

仲介役の老人は、ドライバーの方を向き直し、周りも含めてまた何かをはなし始めた。野次馬たちも何かを話している。ヒンディーで繰り広げられるその光景は私にとってまるで意味をなさない代わりに、音楽を奏でるようなインド版オーケストラのようだった。『なんの話をしているのだろう・・・』取り敢えず断られたら、駅に戻らなけばならない。どのみち、ルピーはこの持っている16ルピーのみ、逆さにふってもこの他はもう1ルピーも持っていない。私がやって来た道を見つめて、帰るための算段を考え始め時だった。

ドライバーが静かに
「乗れよ、リシケシュまで連れて行ってやるから」と言った。半ば諦めかけていた私は一瞬その意味を飲み込むために時間がかかったが、意図せず反射的に「ありがとう!」とお礼を言うと、周りのインド人達がわっと盛り上がる。そして、私とドライバーの間に入ってくれていた年配のインド人が、私の肩にポンと手を置いてにっこりと笑いかけた。

その時私は、「この人たちがお願いしてくれたんだ!」と直感的に理解した。私は、集まってきてくれたインド人達にお礼を言いながら、エンジンのかかったオート力車に乗り込む。野次馬のインド人達に手を振りながら、ハリドワールを後にする。土埃をあげながら、オート力車はリシケシュへと向かって出発した。

道すがら、たくさんのインド人が乗り込んできては、降りて行った。やはり、というか助手席に陣取っているアジア人の私が物珍しいらしく、色々と話しかけてくる。「国はどこか」「名前」「職業」など、乗客が乗り込んでくる度に、定番の質問が繰り返される。オート力車は予想以上にエンジン音が大きく、ほぼ怒鳴り散らしながら話をしなければならない。オート力車はひたすら走る。

砂埃が舞う道沿いの木々の間に赤い夕日が見えた時、私はある事実に唐突に気がつく。『この道のりは、15ルピーでオート力車に乗れる距離ではない』その時点で、オート力車は私のために1時間以上の時間を費やしていた。当時の15ルピーといえば、力車なら10分程の距離が相場だ。

愕然としながら私の脳内では、全ての風景が走馬灯のようにフラッシュバックして、私は全てを理解した。なぜドライバーが最初の交渉で嫌な顔をしたのか、なぜあの野次馬の人たちがあんなに喜んでくれたのか、なぜ仲介人の老人が満面の笑みを浮かべていたのか。完全にありえない金額で、私が交渉していたからだったのだ。こんなに長い距離をたった16ルピーで走っているのは、全てあの野次馬のインド人達とそれを受け入れてくれたドライバーのおかげなのだということに。

そして私は、インドでぼられまい、ぼられまいと思うあまり、逆にインド人から現在進行形でぼってしまっている、ということにも同時に気がついた。

どうしよう・・・言いようのない思いと共に、全身に嫌な汗がにじみでてくるのがわかる。この道のりの相場は、最初にドライバーが主張した通り、50ルピーが相場だろう。いや、むしろ50ルピーでも安い値段だ。それを、16ルピーで値切ってしまった。いくらなんでもひどすぎる。

リシケシュに着くまで、私は追加でお金を払う方法を考えていた。ニケタンでの生活で、お金をほぼ使う必要がなかった私は、防犯のことも考えて極力現金を持たないようにしていた。この時点で私の部屋にあるのは、トラベラーズチェックだけだった。

空ちゃんに少しお金を貸してもらおうかと考えていたのだが、彼女がアシュラムにいる確認を取ることもできない。なによりも、ハリドワールの駅で門番に50ルピーを渡さなければ、こんな気持ちにはならなかったのだ、と自分の軽率な行いを激しく後悔した。

ようやくリシケシュに着く頃には、日もだいぶ傾いた時間だった。私は持っていた16ルピーを渡しながら、結論が出ないままでいた。ドライバーはにっこりと笑うと、その場でUターンをして、もと来た道を帰って行く。彼がハリドワールに戻るまでに、道は真っ暗になっているだろう。

どう考えても利益はでない。それどころか、大赤字だったに違いない。ドライバーがこの長い道のりを、野次馬に言われたから私を乗せたにすぎなかったとしても、割りが合わない事は確かだった。それでも乗せてくれたドライバーに感謝を込めて、彼が見えなくなるまで私は手を振り続けた。

こうして初めてのインドの一人遠足は幕を閉じた。反省点は多々あるが、これが私の旅への原動力となるきっかけになったのは確かだった。そして、ダラムサラには一人で出発してみたい、と湧き上がる気持ちを抑えつつ、アシュラムへの坂道を駆け出していた。


読んでくださり、ありがとうございます。楽しんでもらえたなら、冥利につきます!喜んでもらえる作品をつくるために、日々精進しています(*^^*)今日も良い一日を〜♪