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お箸の国の人だけど・・・

その日、私はご飯とカレーを目の前にして、志し半で挫折しかかっていた。『郷に入っては郷に従う』をインドの旅の中でやり遂げたいことの一つとしていた私はその日、初めてインド式の食事法に挑戦していたところだった。

インドでは、食事は手で直接つかんで食べる。日本を出発する前は、日本人もお寿司やおにぎりは手で食べるのだし、食べる物が違うだけで大丈夫だろう、と思っていた。が、しかし。そう簡単にはいかなかった。

よくよく考えたら、日本で手で食べられる様なお寿司やおにぎりは、ちゃんと掴みやすい形にしてあって、食べる時に崩れることもほぼない。加えて、極力手が汚れないような大きさや食べやすい工夫が施されている上に、手を綺麗にするためのおしぼりまで用意されている。

インドの食事は大抵の場合は、サラサラしたカレースープとパラパラしたインド米の組み合わせである。ナンやチャパティの時は、カレースープに浸して食べるので問題ないのだが、カレーとインド米の組み合わせはやばい。

サラサラのカレーにパラパラのインド米。どう混ぜてもまとまらず、手で掴むことすら難しい。まして、口の中にどうやって運ぶのか。手はカレーとご飯でベタベタになって、ライスはカレーと混ぜたところでまとまり感は全くない。インド人はどうやってこれを食べるのだろう。私は目の前でぐちゃぐちゃになったターリー皿を見つめて、いわゆる詰んだ状態だった。

ところでヨガニケタンの食事は、朝食はチャイとオートミールと言った軽いもので1日が始まり、昼と夜はガッツリとしたインド式定食のターリーが出される。

インドの食事は面白い。食堂でターリーの皿を用意して待っていると、給仕の人がバケツに入ったご飯を持ってきてよそってくれる。量も相談して決めることができるので、たくさん食べたい人もちょっとしか食べられない人も、全員がハッピーになるシステムなのだ。ちなみにある程度食事が進むと、トップアップをしにきてくれたりもする。

私が苦戦していたランチのターリー皿には、パラパラとしたインド米がしっかりと乗せられていた。もちろん、米好きの私が米を多めに頼んだ結果である。

『日本食の様にはいかないなぁ・・・』と渋い顔をしていると、事の成り行きを見守っていた日本人滞在者が助け舟を出してくれた。ターリーを手で食べるには、ちょっとしたコツがいる。

1、皿の上に、混ぜるスペースを作る
2、小分けにしたご飯とカレーを右手で混ぜる。
3、右手の真ん中3本の内側に、混ぜたカレーを一口分のせる。
4、口元まで持っていったら、親指で押し出して口の中に入れる。

とジェスチャーで見せてくれた。その通りにやってみると、とてもスムーズに食事が進む。私は嬉々としてお礼を述べて食べ続けると、彼は続けてこう言った。「手で食べるとさ、ご飯がすごく美味しいって感じるよね。」私はこの時は気がつかなかったのだが、後々、彼の言葉がしみじみとわかる様になった。

スプーンやフォークはとても便利な道具だけれど、口に入れた瞬間、金属特有の感触が口の中に広がる。食べ物の温度も微妙にわからないことがあって、火傷をする時もある。けれど、手で食べ物を口に運ぶと、優しい温かさを感じて食事をとることができる。もちろん、口の中を火傷することはまずない。体温のせいでしょう、と言われたら、きっとそうですね、と応えてしまうけれど、気持ち的にも不思議と違う感覚があるから面白いと思う。

ちなみに、インド人は食事の際は『左手は使わない』とされているが、私が見た限りでは食事の補佐程度に左手も使っていた。インドではトイレで用を足した後に左手でお尻を拭く。そのため左手は「不浄の手」とされ、基本的に使わない。食べ物や物の受け渡し、他人と握手する場合は必然的に右手を使う。

足も不浄とされるので、他人に触らせることはタブーとされているらしい。以前一緒に働いていたインド人が、足が痛いと言いながら見せてくれた時があった。私がうっかり彼の足に触れそうになった時、突然大声で「触っちゃダメだ!!僕たちの文化では、他人に足を触らせることはできない!」と私を跳ね除けたことがあった。自分の体なのに不浄な物として扱うとは、なんとも不思議だなぁと思う。

手でご飯を食べる、というのはどこか懐かしい気持ちになる。温かくて優しい。私はこの食べ方がいたく気に入ってしまい、それからなるべく手で食べる様になった。そのうち、ニケタンの食堂では、ヨーロッパ人も手で食べ始める人がでてきた。初めは少し驚いたけれど、手で食べる喜びは国を問わず世界共通なのかも知れない。

読んでくださり、ありがとうございます。楽しんでもらえたなら、冥利につきます!喜んでもらえる作品をつくるために、日々精進しています(*^^*)今日も良い一日を〜♪