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値段の付け方・屋台のマンゴー 前編

前編:マンゴーの値段

ヨガニケタンの受付をした当時、私たちはとりあえずで1ヶ月の滞在を申し込んでいた。折角インドに来たのだから、どこか違う土地にも行ってみたいという気持ちがあった。居心地の良いニケタンで滞在延長しても良いし、どこかに旅に行っても良い。それは1ヶ月後に決めよう、と空ちゃんと話していたのだった。

ヨガニケタンの生活はとても充実していた。朝早くから起きて瞑想やヨガをしたら、夕方のヨガが始まるまではフリータイムとなる。町のチャイ屋に行ったり、洋服屋さんを冷やかしたり、お寺に行ってみたり、気の向くままにアシュラムの敷地内にある図書館で本を読んだり、昼寝を楽しんだり。時にはアシュラムの滞在者と一緒にラフティングに出かけたりと、毎日働き尽くしていた私にとって、初めて自由と呼べる楽しい日々が続いていた。

そして、私がその日常の中で日課としていたことがある。近くの屋台店にインドのフルーツを買いに行くことだった。ニケタンを出て少し歩くと、川沿いにはさまざまなお店が並ぶ通りが現れる。その通りには、同様に複数の屋台店が出ている。揚げ物、フルーツ、アイスクリームに生搾りのジュース屋などなど。その光景はまさにインドの真骨頂だった。

4月も半になると、インドはマンゴーが旬の時期に入り、屋台には大ぶりの黄色のマンゴーがどっさりと積まれるようになる。美しく張りのある皮を切ると、果汁が溢れる様なみずみずしい果実が表れる。その滑らかで柔らかく、甘い黄色の果肉はもはや、この世のものとは思えないほど美味しい。生まれて初めて食べた完熟のマンゴーの衝撃は凄まじく、私はこの黄色の果物にすっかり魅せられてしまった。

日に1個、マンゴーを食べてるにつれ、私の体調は少しずつ良くなっていく。それは、ただ単に『マンゴーをもっと食べたい』という私の食欲からだと思う。『出来たらもっと、マンゴーを食べたい。この美味しい食べ物をもっと、もっと食べたい』と思う気持ちは日毎大きくなり、それに伴って食事の量も多くなっていく。リシケシュに到着した当時の事が嘘の様に食欲は旺盛になり、アシュラムの食事も残さず、それどころか、お代わりできる様になるまでに回復していた。

私がマンゴーを買いに足繁く通っていた店は、川沿いの商店街の通りに出ていたフルーツの屋台店だった。その屋台の店主はいつも小綺麗にしていて、小洒落たシャツを着こなし、髪もしっかりとワックスでセットし、金色の腕時計を身につけていた。若干染み出るギラギラ感が拭えないが、シャツはいつもアイロンがかけられていてシワひとつない。

身だしなみに気を使うその店主は、英語を流暢に話し「マンゴーは1つ5ルピーね」と口早に果物の値段を説明していく。そして無意味に背中を触ってきたりと、インド人らしくセクハラも忘れない。もっぱらセクハラの対象になっていたのは、見目美しい空ちゃんだったので、私はその横で必死にマンゴーを選別していた。

屋台のマンゴーが衝撃的に美味しくて、私はこの1個5ルピーのマンゴーを毎日買いに出かけた。そして、うっかり言い値でマンゴーを購入する羽目になる。それは、警戒心が途切れていたということに他ならなかった。

ヨガニケタンの日本人に囲まれて安全な生活を取り戻した私にとって、デリーでの衝撃的な2日間は遠い過去の産物となり、記憶の彼方に埋もれ始めていた。そう、この値段がかなりふっかけられていた、ということに気がつくのはそれから1週間ほど経った後だった。



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