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新生活 in ヨガニケタン

翌日、朝起きて荷物をまとめると、空ちゃんと足取りも軽くヨガニケタンに向かった。急勾配の坂も全く気にならず、一気に上りきってオフィスに向かう。昨日の支配人は今日も健在で、私たちを迎えてくれた。受付を始めると支配人は、シングルの部屋に一人ずつ滞在するか、それとも同室が良いかと聞く。私たちは少し相談した後に、同じ部屋で生活をする事にした。

その時の私は、一人で眠るということが出来ない状態だった。自分ではわからない、精神的ダメージで食事もまともに出来ず、眠る事さえままならない。シングルルームで真夜中の、それも真っ暗闇の中に一人でいるなど考えただけで恐ろしい。せめて、隣のベットで空ちゃんが眠っている事がわかれば、それだけで精神の安定剤になるだろう。

手続きを済ませると、オフィスから少し離れた部屋に通された。2人部屋のその宿泊施設は、割と大きくバスルームも広い。部屋にはベッド・机・椅子があるだけの、簡素な作りで特に何もなかった。入り口は二重になっていて、内側に南国特有の網戸が設置されている。窓にも同じ様な針金で作られた網戸が取り付けられていた。入り口の鍵は自分たちで用意したものを使う。私は成田で買った南京錠の解錠番号を、空ちゃんに教えて使う事にした。

荷物を解いていると、オフィスの支配人がやって来て、フォトコピーがどうとか言う。空ちゃんと写真の事かなぁ?と、予備に持っていたパスポートの顔写真を渡すと、
「違う!フォトコピーだ、フォトコピー!!!」と怒鳴り出した。

その時、彼はココナッツか何か白い色の食べ物を食べていて、私は怒鳴られながら「口の中が真っ白だなぁ」などと、余計なことを考えていた。

支配人の言っているフォトコピーはパスポートのコピーだったのだが、私たちは揃ってパスポートのコピーを持っていなかった。コピーは対岸にある店で出来るらしいのだが、支配人はしばらく考えてから、「今日の昼食を食べたら、2時に門を出た大通りで待っているから来い。」と言って帰って行った。一度振り返って「パスポートを忘れないようにね」と付け加えたので、どうやら私たちをコピーが出来る店まで連れて行ってくれるらしい。

私たちがヨガニケタンを訪れた日は、偶然にもインドの祝日だった。この日はインドの叙事詩「ラーマヤナ」の主人公ラーマ王の誕生日を祝う日で、施設内の至る所でお香が焚かれたり、オレンジ色のマリーゴールドで作られた、ハワイのレイのようなものがぶら下げられていた。

ラーマはヒンドゥー教の最高神の一人、ヴィシュヌの化身だとされている。ちなみにラーマヤナの話はインドで子供から大人まで、大人気のストーリーなのだそうだ。話はざっくり言って、ラーマが奪われた妃のシータを巡って、悪鬼・ラーヴァナとの戦いをめぐる大冒険のストーリーである。これは私の個人的な意見なのだが、ラーマが猿や鳥などの従者を連れて、悪鬼ラーヴァナの住む離れ島に向かうくだりは、ちょっと桃太郎の話の作りに似ている、と言ったら怒られるだろうか・・・

その為、この日のヨガニケタンのランチは、食堂ではなくヨガホールを特別仕様にして開放していた。特別な日に訪れると、それが日常と勘違いしてしまい、特別感を感じなかった事が悔やまれる。ランチを食べようと会場へと足を踏み入れると、日本人の女の子に会った。ちょうど昨日、ヨガニケタンに入門したばかりだと言う。私達はお互いを自己紹介しながら、一緒に昼食を摂る事にした。

ヨガニケタンの食事は、基本ターリー形式である。ターリーとは日本の定食に近い形で出される食事のスタイルで、仕切りの入った大皿に数種類の料理が組み合わされて出される。皿は3つの狭いスペースと1つの大きいスペースで区切られていた。メインのスペースにはライスとチャパティと呼ばれるクレープ生地のようなパン、小分けにされた3つのスペースにはそれぞれサラダやチャツネ、根菜のカレー炒めのようなものが乗せられる。これに、別添えの小鉢にダルと呼ばれる雛豆のカレーソースと、この日は特別にキールと呼ばれるインドの甘いお粥がついた。

インドの料理は辛いと聞いていたのだが、ヨガニケタンの食事はスパイスが控えめで、辛いものがそんなに得意ではない私にとっては嬉しい誤算だった。相変わらず少ししか食べられず、皿の上に装ってもらったほとんどを食べることができなかったが、私はこのスパイスの効いた甘いキールが気に入って、装ってもらった小鉢の大半を平らげることができた。

2時になるのを待って門を出ると、オフィスの支配人が待っていた。私たちがやってくるのを認めると、先導を切って歩き始める。私達は彼を見失わないようについて行く。リシケシュという町は、ガンジス川で2つに分けられている。対岸に町へ行くには、有料のボートを使うか、歩いて橋を渡るかのどちらかになる。

この日は支配人に先導してもらう状態で橋を渡り、店が密集している小さな一角に案内されコピーを取った。ここに来るまでに、彼は私たちと適度に距離を取りながら、しかし私たちが逸れてしまわないように、何度も立ち止まっては待っていてくれた。

ヨガニケタンに戻ると、オフィスの支配人は私たちのパスポートのコピーを受け取り、事務仕事を始めた。コピーを取る為にわざわざ対岸まで付き合ってくれた事にお礼をいうと、ニッコリと笑って「連れて行った事は、みんなに内緒だよ」と言った。

いつもは、無表情でどんな時もにこりともしない彼の笑顔は、あの、偉大なるインドの父マハトマ・ガンジーを私に思い出させた。インドの社会には色々と立場的に制約があるのかも知れない。それとも、立場が上の人間として、あるべき姿のようなものがあるのだろうか。兎にも角にも、私たちのインドでの新しい生活が、ようやくスタートを切ったのだった。


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