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聖地・ハリドワール 第3話

インド式・お金の借り方

電車が停車して駅に着くと、目の前に座っていたインド人のおじいさんが、にこやかに外を指差す。目的地のハリドワールに着いたよ、ということらしい。私はお礼を言って、電車を降りる。駅は他の駅と比べ物にならないくらい大きく、駅舎を出るとマーケットが広がり、たくさんの人で溢れかえっている。ハリドワールは巡礼地にふさわしく、活気に溢れた土地だった。

遠くで何か鐘のようなものが鳴っているのが聞こえる。そして、何かの呪文を唱えるようなくぐもった声が、スピーカーのような機械を通して流れているのも聞こえる。きっと、沐浴場から聞こえるのだろう。

人の流れに沿って出口に向かおうとすると、ヨガニケタンの門番をしているインド人に偶然会った。挨拶をすると、返事もせずに突然彼は私に「50ルピー貸してくれないか」と聞いてくる。家族が病気でとか、給料が少ないとか、ゴニョゴニョ言っているのだが、よくわからないうえにしつこい。

門番だし、顔見知りなのだし大丈夫だろう、となぜか私は思ってしまい、未だに謎なのだが、なぜかこのインド人に50ルピー渡してしまった。そのおかげで、もとより現金の入っていなかった私の財布には、わずかなルピーが残るだけとなったのだが、帰りの電車賃が十分残っていたので悠長に『大丈夫だろう』と思っていた。しかしこの後、私は後悔することになる。

門番と別れて一度駅を出発していたものの、帰りの電車の時間を確認し忘れていたことに気がついて、慌てて駅に戻る。時間を確認していざ出発しようとすると、あの門番が、駅構内に併設されたマーケットでスナックを買っている姿が目に飛び込んできた。そして、私が渡したであろう50ルピーを使って商品を受け取っている。

人混みの間を縫って繰り広げられたその光景を見た瞬間、私は貸したお金が帰ってくることはない、と直感的に悟った。そんなことよりも、よくよく知らない顔見知り程度の人にお金を貸すことが間違っていたのだ。話のネタにする他ないだろう。

その予感の通り、あのお金が私の元に帰ってくることは、もちろんなかった。後々、親切で物知りな青年医師に聞いた話によると、彼はアシュラム内で他の滞在者にも同じことをしていたらしい。青年医師にも何度かせびっていたらしく、トータルで200ルピーほど貸した、と言っていた。その後何度か取り立てたものの、門番はのらりくらりとかわした挙句にある日アシュラムから忽然と姿を消した。彼にとって、「借りる」という言葉に「返す」という意味はないようだ。

帰りの電車は2時間後に出発する。なるべく明るい時間帯にリシケシュに帰るためには、その電車で帰る必要がある。残り少ない時間を有意義に使おう、私は門番に背を向けると、遠くで鳴り響く鐘の音を聴きながら、人混みの流れに身を任せて歩き出す。人の流れは、そのままハリドワールの沐浴場として有名なガートに続いていた。

ガートの脇に、小さな受付があるのが見える。私は少し離れたところから、他の巡礼者達がどのように参拝するのか、まずは眺めることにした。参拝する人達は受付で荷物と靴を預け、そのまま沐浴を始める。私も見習って貴重品以外の荷物と靴を預けてみることにした。

荷物を預けると、木でできた札と一輪の花を渡される。荷物の引換券のようで、表面には数字が書いてあった。木の札をポケットにねじ込むと、他のインド人に混じって水に足を浸してみようと、見様見真似でインド人に混じって足だけの沐浴をする。花は献花する場所に、そっと置いた。平日の昼間からたくさんの人がお祈りをしている。普段は何をしている人たちなんだろう・・・他の人から邪魔にならないところに腰をおろして休憩を取りながら、私はぼんやりとそんなことを考えていた。

そろそろ引き返す時間だ、と思い私は受付で荷物を受け取ると、駅に向かって歩き出す。ところで、私はかなりの方向音痴である。来た道を引き返すだけ、という時の方向感覚が実は一番弱い。この時、私は駅と反対方向に歩いているなどとは夢にも思わずに、駅に向かったつもりでひたすら歩いていたのだった。



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