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バクシーシ

ヨガニケタンからの対岸へ渡る、もう一つの移動手段は徒歩で橋を渡るというものである。ヨガニケタンからボート乗り場を通り過ぎて、上流に向かうと現れる吊り橋を利用する。

私は事あるごとに、出来る限り船で渡る方法を選んだ。私がボートの方を好んだ理由は、「対岸までのショートカット」というのは言い訳で、この橋があまり好きではなかったというのが本音だった。歩くのが嫌、という訳ではなく、この橋を利用しようとすると、子供たちにバクシーシを要求されるのだ。

インドで旅行者が辟易してしまう一つに、バクシーシと呼ばれる施しの要求がある。この橋のふもとは子供達の溜まり場になっており、彼らは誰彼構わずにバクシーシを要求していた。学校に通っていても良さそうな年齢に達しているにもかかわらず、子供たちは日がな一日そこにいる。インドの就学率の低さを実感した時でもあった。

新聞屋の爺さんに紹介してもらった宿の近くに、小さな店がある。その小さな店は小学校の脇にあり、空ちゃんと水を買いに毎日訪れた。ある日、学校に併設しているグラウンドで子供達がサッカーボールを追いかけている姿を、フェンス越しに見かけた事があった。その時、フェンスの外側から小学校低学年くらいの男の子が、その様子をただ見つめていたのを私は目撃していた。

汚れたシャツと半ズボンに靴を履いていなかった事から、彼が学校に通う事ができない状況なのは察しがついた。彼がどの様な気持ちでグラウンドを走り回る同世代の子供達をみていたかはわからないが、ひどく胸が締め付けられたのを覚えている。

メランコリック気味な気もするが、年端もいかない子供達がそのような生活を強いられるのが、私には衝撃だった。リシケシュの橋を渡る時、群がってくる子供達とあの時見かけた男の子がかぶってしまい、私を憂鬱にさせる。

少ないながらも、インド人にならってバクシーシを渡そうとすると、子供達は全員が全力でこちらに向かってくるのでとても対応しきれない。これが、往復2度起こる。そして1度あげてしまうと、毎回バクシーシをせびられる事になる。インド人は頭が良く、一度見た顔は決して忘れない。私は、バクシーシを1度あげてしまった事で、ある少年に毎回つきまとわれた時期があった。彼は、そのうち私がバクシーシを施さないことに怒り、橋の真ん中まで私についてくると、突然
「お前なんてこの橋から落ちて死んでしまえ!」
と大声で私を罵った。子供の罵詈雑言にも凹む小心者の私が、それ以来もっぱらボートを使うようになったというのは言うまでもない。

後々、インド生活が長い人に相談すると彼は一言、
「バクシーシを、一切あげないと決めるのも一つの手だよ」
とアドバイスをくれた。私はそれ以来、金銭のバクシーシを一切止める事にした。お金を施す事で徳を積むという観念が奇妙に映った当時の私にとって、バクシーシがとても違和感のある行為に見えたからだ。

インドにはインドの文化があって、バクシーシも一つの文化なので、それを否定するつもりは毛頭ない。人それぞれに価値観や物の見方があるので、良い悪いでは計り知れないものがあると思っている。ただ、当時の私は、このバクシーシにひどく戸惑っていた。自分にとって納得のいかない事は、例え良しとされていてもやらない、と決めただけだった。そしてそれには、私なりの理由が2つあった。

理由の一つは、バクシーシの制度に対して発生する副次的な問題について、納得がいかないということだった。インドのバクシーシは様々な方法があるのだが、一般的に行われるのが金銭による方法である。そして、道端でバクシーシを要求する人たちのおよそ9割は、目に見える形で五体不満足の人が多い。これは、カースト制度による職業選択に自由が無いインドで、物乞いの家に生まれた子供は準じて物乞いをして生きるという運命を背負わされる為だと聞いた。バクシーシをより多く施してもらうことを目的として、生後、親によって五体不満足にされるのだ。

もう一つの理由というのは、バクシーシの組織化である。バクシーシには地域毎に取りまとめる総取りなる人物が存在する。つまり、彼らは子供達が集めてきたバクシーシを一旦回収した後に、子供達に分配しているのである。どれくらいの割合で子供達に還元されているのかは謎であるが、少なくとも取り仕切っている大人達が大部分を懐に入れているだろう。つまり、私がバクシーシを子供達に施しても、子供たちにそのお金が回る割合が低いのである。

また、私が読みあさっていたインドに関する本の中では、このバクシーシにまつわる話がいろいろあった。特に印象的だった話は、想像を遥かに越えていた。ある旅行者が滞在していた町で、いつも同じ所でバクシーシをせがむ両足のない初老の男がいたそうだ。旅行者が観察すると、朝は8時過ぎから現れて、夕方の5時きっかりにはいなくなるという事実がわかる。

この初老の男は朝、スケーボーのような台車でさっそうと現れ、8時から夕方5時の間は悲痛に満ちた表情でバクシーシを通行人にせびる。しかし5時になると全てを片付けて、足はないのだが、足取り軽く消えていくのだそうだ。その旅行者いわく、彼は8時に「出勤」して、バクシーシをねだる勤務に励み、5時に「退社」するのだそうだ。嘘のような話だが、インドならあり得なくもない話である。

聞けば、バクシーシの精神があるインドでは、このような「業務」で大金を築いて銀行口座はもちろん、今では携帯電話も持っているホームレスもいるという。否、ホームレスではなく、ホームレスを職業にしているプロと言った方が良いだろう。もはや、この業務は演劇に近いものがある。人生という壮大な舞台で、彼らは自分を演じることを楽しんでいるとしか思えない。

バクシーシを得る為に、不自由な体にさせられて生きなければならない運命にもめげず、彼らはたくましく元気に毎日を生きている。私がインドの文化が苦手だと思いながらも、惹かれてやまないのは、人々の力強い生命力に魅せられているのかもしれない。

読んでくださり、ありがとうございます。楽しんでもらえたなら、冥利につきます!喜んでもらえる作品をつくるために、日々精進しています(*^^*)今日も良い一日を〜♪