リシケシュにトオルあり
「今日は、何か予定はあるの?」
朝食を食べ終わった後に食器を洗っていると、年に数回はヨガニケタンを訪れる、というインド旅行のベテランの馬場さんが聞いてきた。特に予定がなかった私がそう応えると、知り合いに会いに行くんだけど一緒に行かないか、と声をかけてくれる。
聞けばその方はここリシケシュで、ずいぶんと長いあいだ暮らしているという。そして、馬場さんとその方とは長い付き合いらしい。空ちゃんも私も、他の日本人滞在者も、インドに住んでいるというその人に興味が湧いたため、ほぼ全員で会いに行く事になった。
身支度を整えて出かけようと外で待っていると、馬場さんが日本の雑誌を数冊手に持って現れた。インド生活の長い知り合いに差し入れなのだ、と言う。
ニケタンから出てしばらく、のどかな道を行く。しばらくすると馬場さんが、「ここだよ」と言って戸口の前で中に声をかける。すぐに返事が聞こえて、にこやかな笑顔の女性が出てきた。朗らかに笑い、突然大人数で訪れた私たちを嫌な顔一つせずに迎えてくれた。
「良かったら、中でお茶でもどうですか」と、誘われて図々しくもお邪魔する。中に入れてもらうと、一人の男性が座っていた。私はその男性を見て、驚きに近いがどこかでやはり、というような気持ちになった。
分厚いメガネをかけ、痩せた体に纏う白いインドの服はヨガの修行者を彷彿させる。髪は乱れているのに、その雰囲気と合間ってまるで違和感がなく、むしろその髪型によって生きる仙人のように見えた。彼の名前はトオルさんという。その横に、私たちを出迎えてくれた女性が座る。彼女はトオルさんの奥さんだった。
仙人のような佇まいで物静かな雰囲気のトオルさんに比べ、奥さんは朗らかで明るく親みやすい人だった。奥さんは、「何もなくてごめんなさい」と言いながら、お茶と今朝焼いたという手作りパンを出してくれた。私は手土産も持たず、お邪魔してしまったことを後悔した。
馬場さんが雑誌を手渡すと、奥さんは喜んで受け取っていた。彼女は読書好きだそうで、年に数回開放されるヨガニケタンの図書館に、本を読みに行くのだそうだ。「でも本は家で寝転んで読むのが、良いんですよねぇ」とにこやかに笑う。
ヨガニケタンの図書館には、滞在者が残した日本語の本が棚に並んでいる。私は何も予定がない日は、この本を目当てに図書館が開いている午前と午後の数時間、ずっとこもって読書をして過ごす時間がお気に入りだった。ニケタンの図書館は本の貸し出しがなく、図書館でのみ本の閲覧が許可される。
海外に長期間住んでいると、日本語の活字を読む機会が減る。今ではインターネットがどこでも走っているので、ブラウザを開けばいつでもさまざまな情報が日本語で読めるようになった。しかし、当時のインドでは個人宅のインターネットの普及はほぼ皆無だった事実がある。メール一つ送るのでさえ橋を渡って対岸まで渡り、それからかなり歩いた先にあるインターネットカフェまで行かなくてはならないほどだった。
本を読むことが好きな方であれば、活字を読めないというのはほぼ拷問に等しい。加えて当時のインドでは、紙でできた本やノートは簡単には手に入らないという状態だった。これは、私が絵を描こうと思って紙を探しに出かけた時に知ることになる。どの店を覗いてもノートの類は売っていない。やっと見つけた小さな手帳は、手触りの悪い薄い紙が段ボールで閉じられた様な、いわゆる『粗悪品』と呼んで良さそうなものだった。
本屋も一応は在るのだが売っている物はインドの神様に関わる本のみで、英語版とヒンディー語で書かれた2種類だけが、広い店内に数少なく置いてあった。雑誌や娯楽の読み物などは大都会であれば手に入りそうだが、リシケシュのような小さな街では難しいのではないか。
インドのリシケシュで暮らす、という選択はきっと不便に違いない。けれど、トオルさん夫婦は便利だけれど忙しい日本より、不便だが自由な日々を選んだのだろう。そして、不便であるからこそ、小さなことでも感謝して喜べるのかもしれない。馬場さんが渡した雑誌を大事そうに抱えて、にこやかに話す奥さんを、私はとてもほのぼのとした気持ちで眺めていた。
読んでくださり、ありがとうございます。楽しんでもらえたなら、冥利につきます!喜んでもらえる作品をつくるために、日々精進しています(*^^*)今日も良い一日を〜♪