見出し画像

インド旅行・ヨガのアシュラム

翌日、隣のカフェで朝ごはんを食べた後、空ちゃんが下調べをしていたアシュラムへ出かける事になった。ガンジス川の通りから、メイン通りに入って上流方面へと歩いていく。

通り沿いにあった崖の麓に門があり、その門をくぐると崖の上へと続く急勾配の細い坂道があった。その心臓破りの急斜面を上りきると、小さな門番室があり、インド人が一人その中におさまってこちらを見ていた。

私たちが滞在したいと伝えると、彼は中にオフィスがあるから行け、と私たちを通しながら、黒電話で何かを話し始めた。おそらく内線電話か何かで、オフィスにつながっているのだろう。門を抜けると開けた場所が広がり、ちょっとした異空間を醸し出していた。ジブリ映画に出てきそうなその空間の先に噴水や花壇があるのを横目で見ながらオフィスを探す。

だいぶ遠回りをした後に、入り口の門のすぐ目の前にあったオフィスに辿り着くと、中にいた年配の男性は親切に施設の中を案内してくれた。ヨガをする道場や瞑想ドーム、食堂、図書館、宿泊施設にレッスンの内容など。この宿泊施設は、ヨガニケタンと呼ばれるアシュラムで、日本人や白人が多く滞在する施設として人気がある。

アシュラムとは、「精神的な修行をする場」という意味らしい。インド人には人生をヨガという修行で表すことができるという考えがあり、アシュラムで過ごす1日24時間を全て修行とみなして過ごす。肉とアルコールは一切禁止の食生活を送りながら、ヨガで体を鍛えて瞑想による精神統一を行う。宇宙と自身の精神をつなぐための修行である。

日本でヨガは、健康ブームに乗っかったエキササイズの一つとして人気があり、私もまた、健康のために始めた運動の一つだった。しかし実はヨガは瞑想を行うための体作りの運動で、瞑想を長時間続けるための筋力と体力づくりが目的であるらしい。

私たちが滞在した当時のヨガニケタンでは、朝晩にヨガと瞑想のレッスンが1回ずつ、日に計2回ずつ週6日。食事は3食つく上に午後3時過ぎに、軽いスナックとチャイがつくおやつの時間まである。施設内には浄化設備のついた、飲料用の水汲み場まで設置されている。セキュリティの門番は朝から夜まで常勤し、門限の後に門を施錠するという安全面も配慮された施設だった。

私たちは入門する事を決めたのだが当時は予約受付のようなものがなく、今日入門するなら受け付けるが、翌日入居は受け付けないので明日また来い、という話だった。今日は、ヨガのレッスンを夕方から予約しているし、今夜の宿泊費もすでに支払っていたことから、明日また出直す事にした。調べたら、今では当日受付は行っておらず、インターネットでの事前予約が必要らしい。

なによりも一番安心したのは、オフィスの支配人の後ろに「1日350ルピー」という滞在費の値段がデカデカと貼られていた事だった。(ヨガニケタンで出会った友人によると、つい数年前に彼女が再び訪れた時は値段がずいぶん上がっていたと話してくれた)値段交渉とは、どこまでするのか疑問だった私には、嬉しい張り紙だった。

崖の端に根付いている木々の向こうには、ガンジス川や対岸を綺麗に見渡せる。暖かくなり始めた遅い午前の時間を、清々しい風が通り抜けていく。門番に軽く挨拶をして、崖を切り開いて作られた様なアシュラムを後にすると、明日から始まる新生活に心が躍った。

夕方になって、予約していたヨガのレッスンに2人で向かう。入り口で、新聞屋がカフェのオーナーと何かを話しているのが見える。私たちを見た新聞屋は、さらにドヤ顔になって何かを訴えていたが、オーナーにあしらわれて帰って行った。察するに、私たちを紹介したマージンをせびっていたらしい。

新聞屋はあれから毎朝宿にやって来ては何かを言ってきたが、ほとんど意思疎通が出来なかったので、私たちが入り浸っていたカフェにまで立ち寄る様になっていたらしい。別に新聞屋に紹介されたわけではないのだが、たくましい彼の行動力に私たちは感心せざるを得なかった。

ヨガのプライベートレッスンは楽しいものだった。いかにもインテリ風なお洒落なクルタを着た小柄な先生は、始終私たちのポーズを褒めてくれる。大人になってからは、褒められるという事がなくなってしまった私にとって、ひどく新鮮な時間を過ごした。西に傾いた太陽が、部屋をオレンジ色に染めていく。屍のポーズで横たわりながら、今日は夕ご飯にフルーツを頑張って食べてみようかな、などとぼんやり考えながら、暖かい光に包まれて幸せを噛み締めていた。


読んでくださり、ありがとうございます。楽しんでもらえたなら、冥利につきます!喜んでもらえる作品をつくるために、日々精進しています(*^^*)今日も良い一日を〜♪