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インド式・宿案内

私たちが直角になって座席に積み込まれたそのバスには、他の乗客はほぼいなかった。白人の大男の他に、前方にインド人が2〜3人いるだけで座席は空席ばかりが目立つ。バスが出発すると、空ちゃんは窮屈に耐えかねて、通路を挟んだ反対側の席に移った。

漆黒の暗闇の中を、バスはクラクションを鳴り響かせて走っていく。バスの車内にはインド音楽も大音量で流され、軽いお祭り騒ぎだ。私は、寒さと騒音で眠れないまま一晩中、直角のシートに身を埋めるより他はなかった。

インドのバスは例外なく、走りながらずっとクラクションを鳴らしている。ど田舎で育った私にとって車のクラクションとは、知り合いに会った際のあいさつとして使うくらいの認識だったので、このインドのクラクションの使い方にそれは驚いた。インドでクラクションの役割は、「今ここを走っているよ。気をつけてね」という意味合いらしい。人だけでなく、動物が飛び出してくる様な所だからこそ必要なのかもしれない。

出発してから数時間後には、私は割れた窓を眺めながら何も考えられなくなったオブジェと化していた。どれくらいの時間が経ったのだろう、突然、バスはスピードを緩めて大きく円を描く様にカーブすると、真っ暗な空間に停車した。前方に座っていたインド人達が手際良く降りて行くのを見て、私達もバスを降りる。

外は相変わらず真っ暗で、停車したバスの横にある小屋には灯りがついていた。覗くとチャイを売っているらしく、テーブルや椅子が置いてある。後ろの席にいた大男が、丁度チャイを飲むところだった。とりあえず大男と離れた席に、私は背負った荷物を下ろすのも忘れて腰をかけた。日本語はもちろん、英語を使って会話をする力が残っていなかったからだ。

空ちゃんはそんな私を見かねて、チャイを一杯買ってくれた。芯まで冷え切っていた私の胃の中に暖かいチャイが流れ込むと、少しだけ元気が出た。チャイ屋のおばさんは、人気の少ないその小屋の中でヤカンを木の棒で叩いてリズムを取りながら、「チャーイ、チャイ。チャーイ、チャイ。」と大声で呼び込みを始めた。容赦無いおばさんの大声、でかいヤカンの放つ打撃音で頭痛がしてくる。

なぜ・・なぜこんな暗い明け方の人がいない時間帯に、大声を張り上げているのか・・・私は疲れて何も考えられなくなった頭で、必死に答えを探していた。

ドサっという大きな音を立てて、目の前に新聞の束が投げられたのに驚いて顔を上げる。歳を取ったインド人の男がこちらを見て「何人だ?」と聞いてきた。私がぼんやりしたままでいると、空ちゃんが代わりに日本人だと答える。その新聞屋の爺さんは色々聞いてきたのだが、精も根も尽き果てた私はもはや何の役にも立たず、空ちゃんと新聞屋が繰り広げる会話を横で聞いているだけに留まっていた。

その新聞屋の爺さんは、「いい宿があるから案内してやる」と言い出した。

インドでは、こう言った案内がよくある。彼らは、旅人を近くの宿に案内することで旅人から案内料を、そしてホテル側からは紹介料と呼ばれるマージンをもらっている。Wマージンが手に入るだけでなく、ホテル側から手に入る紹介料の一人あたりの金額も違う。その結果、旅人側の要求に沿った宿ではなく、ホテル側からもらえるマージンの金額の高さによって彼らの言う「良い宿」に案内される。更には、連れて行かれた先がホテルではなく、頼んでもいない土産屋で、買うまで監禁されたという話もある。

今、考えると本当に無謀な賭けで、絶対にやってはいけなかったが、私たちはこの誘いに乗った。初対面で馴れ馴れしく世話を焼く様なインド人は、9割り信用してはいけないという教訓がある。けれど、この時の私は、横になれれば宿の状態などどうでも良い、と思えるほど疲れ切っていた。ここ2日間ほとんど眠れていない。私の脳は、考える事を全て放棄していた。

白人の大男は無言でチャイを啜りながら、私たちの行末に見入っている。新聞屋について小屋を出ていく為に、私は無言でよろよろと立ち上がった。空はまだ暗い。今頃になって、半分に欠けた大きな月が周りを照らしている事に気がついた。新聞屋の爺さんの先導で、チャイ屋からすぐ手前の土手を登ると、水の流れる音が聞こえる。川に沿って作られた土手に、幅の広い道が整備されていた。

月明かりが私たち3人の陰を、乾ききった土手の道の上に形作る。水の流れる音に引かれて目を凝らすと、月の光を反射しながら大量の水が流れているのが見えた。

私が幼少期を過ごした家のすぐ後ろには、小さな川が流れていた。子供の時、その川の流れる音を聞きながら眠るのが好きだった。不思議とずいぶんと満たされた気持ちになり、私の中から不安や恐怖は消え去っていた。おそらく、水の流れる音を聞いた事で、安心できる場所を思い出したからだろう。

夜明け前の漆黒の中、夜空に浮かぶ月が照らす世界は、私に昔観た絵画を思い出させていた。まるでキャンバスから切り抜かれたようなその空間の中を、私達はただ、川の音を聞きながら黙って歩いていた。その川が、あの有名なガンジス川だと知ったのは、それから数日後のことだった。

読んでくださり、ありがとうございます。楽しんでもらえたなら、冥利につきます!喜んでもらえる作品をつくるために、日々精進しています(*^^*)今日も良い一日を〜♪