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いつか夢を語ることを忘れた大人たちへ

夢のようなもの

パティシエになりたい、消防士になりたい、漫画のヒーローになりたい。
子供たちは無邪気になりたいと夢を語る。

小学校6年生の時のことだった。
課題を出された、「夢を叶えた自分の姿を紙粘土で表現してみよう」と
そんな課題だった。

私は、母に相談した。
車を運転しながら語った母の言葉を今も覚えている。

「~士といった資格を取って名乗れる職に就くとよい。
死んだ父は頭が良ければ一級建築士になりたかったと言っていた。」

そうして私は小学校6年生にして一級建築士という夢を持つことになった。

課題で作った自分の姿は、机に座ってペンを持つ自分だった。
小学校6年生にしてはやけに現実的な夢だったようで、自分の作品がとても地味に見えたのを今でも覚えている。

それから私は、その夢のため、進学校に行き、建築デザインを学べる大学に行くわけだが、私は建築士にはならなかった。

私が10年近く思い描いていたそれは、夢だったのだろうか。

いざ、就活をしたとき私は一級建築士になりたい理由を持てなかった。

それ以外に選択肢は無いんだと思い込んでいたから理由なんて考えたことがなかった。
その時の私は、もっともっと多くの選択肢を持てていた。
選択肢を持ちすぎて何も決められなかったのだ。

そうして、社会人2年目の秋、私はまだ夢を探している。

現実を知り選択肢は消えていく

私は将来の夢を決めるとき、安定した職を手にしてそれなりに稼ぐには資格が必要だという現実を見た。

周りの子供たちが憧れや理想から夢を発見しようとしている中で、
私は歪に現実主義であった。
「自立して、立派に稼いで行くんだ。」それが原動力だった。
将来の夢を作文に書いた、後付けの理由は嘘だらけだ。

これが大人になるということなのだったのだと今になって思う。

無邪気に夢を語れていた頃は、それになれるかどうかなんて考えてなかったはずだ。
ましてや、漫画のヒーローが何円稼いでいるかなんて考えるわけもない。

だけど大人になって、多くを知るにつれて、
なりたいものではなく、なれるものを先に、
やりたいことではなく、やるべきことを先に考えるようになる。

なりたいって言ったものに対して、どうやってなるの?を問われるようになる。
そうして、途方もなく遠い夢に挫折し、手に届く範囲の現実の中で生きることを強いられる。

と思って自分で選択肢を消していく。
夢を語らなくなっていく。
あの高校に行く、あの大学に行く、テストで何点取るんだ。

そんな生活の中で夢を見ることを忘れた大人が世界にあふれている気がする。

語ればいい変わればいい

夢は語ればいい、明日言うことが変わったっていい。
実現できなくたっていい。
本当は何になりたいのか問いかけ続けたらいい。
いつかその先に本当に心が燃える何かに出会えるはずだから。

語らなければ始まらない。
ただ心の奥底で消えていくだけだ。

私は今、人が自分の在り方を考え続け自分らしく成長できる場を作りたいと思っている。

今の私はそう思っている。
それがきっと大事なことなんだと思う。

一級建築士だって立派な夢だった。
ただ選択肢を広げたらもっと心が動くものが見えただけだ。

だからもっともっといろんなものを見たらもっともっと心が熱く動くものが見えるかもしれない。

常に自分の衝動の真ん中に。
熱い炎の行く先に進んでいけたらそれでいいと私は思うんだ。






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