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『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』とゲーム・オブ・スローンズ(スタニス)とその他もろもろ


”最も個人的なことは最もクリエイティブなこと”、偉大なるマーティン・スコセッシの言葉です。

というようなことをポン・ジュノはアカデミー賞で言っていた。

その観点から行くと、ここ10年近く、最も個人的なことを核として作品を作り続けた映画作家は、グザヴィエ・ドランで間違いないでしょう(異論は認める)。

端的に言ってしまえば、この人はずーっと親子(母と息子)の関係が核となる物語を描き続け、常に1対1の対話を(字幕を脇に追いやるほどの)至近距離で執拗に撮り続け、齢30にして早くも作家として極北化、自家中毒化していくような雰囲気も見せていた。

そんなドラン初めての英語作品、しかも豪華役者陣、
てな感じで謳われていた『ジョン・F・ドノヴァンの生と死』。蓋を開ければ“ドラン印”は健在ながら、これまで以上に“開かれた”作風という印象を受けた。

なんてったって、主演は俺たちのジョン・スノウこと、キット・ハリントンだもん。

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むちゃくちゃイケメンのキット・ハリントン(背は高くないけどな)


先に白状しておくと、私はゴリゴリの「ゲーム・オブ・スローンズ信者」です。なかでも一番感情移入しちゃうキャラクターは、スタニス・バラシオンです。ジョン・スノウでも、ティリオン・ラニスターでも、エドミュア・タリーでもなく、スタニス推し。
「え?なんで?」と思うかもしれないが、そこはちょっと説明しよう。

能力的にはかなり有能な軍人であるスタニス。融通のきかない石頭なところもあるが、そこが却って思想の一貫化につながっており、ゆえに人望もそれなりに篤い。

しかし、シリーズ開始時点では、王都から離れたところで海軍大臣という微妙なポストに収まっているスタニス。なまじ力があるということは、権力中枢からすれば警戒対象となるのだ。悔しいけどしょうがないね、スタニス。

質実剛健なパーソナリティは美徳であるが、他方「華がない」とも言える。
だから地元じゃルックス的にも優れている弟のレンリーの方が支持されがちという、なんとも不憫なスタニス兄ちゃん。

「兄より優れた弟」はいないかもしれないが、「兄よりイケてる弟」はこの世にたくさんいるのだ。

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最近の貴乃花はイケてない


そんなこんな、紆余曲折を経て王都に攻め入り玉座奪還目前、というところで敵方に強力な援軍登場。
これにはスタニスびっくり。まさに「思てたんとちゃう!」展開になり泣く泣く敗走。

捲土重来を期し北部に向かうも、どうにもうまくいかない。そんな苦境に陥り、掲げた志がブレそうになったとき、人は得てして「人智を超えたもの」に頼りがちになる。スタニスとて例外ではなく、彼は「赤の司祭」メリサンドルの助言に傾倒していく。結局それが後に極限状態における「人として決定的な過ち」に繋がり破滅に至る……というなんとも「ままならない人生」を送っているところがシンパシーを誘い、どうにも嫌いになれない男。それがスタニス・バラシオン。


……もうこの話、やめようか。


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強い!渋い!地味!と三拍子揃ったスタニス

そんなこんなで2010年代を通して映像作品(映画もTVシリーズも全部含む)のTOP of TOPと言っても過言でないゲースロのリードキャストとして君臨してきたキット・ハリントン(a.k.aジョン・スノウ)が主役にキャスティングされている、というだけで、こちとら“引き”としては十分すぎる。

しかもキット・ハリントン演じるジョン・F・ドノヴァンは、「TVシリーズで一躍有名になった若手俳優」という役どころ。これはキット・ハリントンのキャスティングが決まった際に脚本が変更されたとのことだが、この“あて書き設定”が非常に効いている。

NHKの朝ドラのヒロインなんかは抜擢と同時に一気に国民的存在になり、放送中は毎日SNSで毀誉褒貶に晒されてメンタル的にかなり辛い思いをすると聞く(だから新人を無暗に抜擢するのは考えものだと個人的には思う。女優本人のその後のキャリアを考えても)。

一国のコンテンツでそうなるのだから、世界的超大作のメインキャストとなれば、それこそ桁違いのオーディエンスからの“反響”がキット・ハリントン本人の耳目には届いたはず。そしてそれが、約10年間続く。

おかしくならない方がおかしいよね。

実際、キット・ハリントンは最終シーズン終了後、ストレスやアルコール依存の問題と向き合うために、一時休息に入ったと後から報道された。
「何も知らないジョン・スノウ」は、一人絶大なプレッシャーと激務に耐えていた。そんなキット・ハリントンの姿が、激変する環境への戸惑いと性的指向の問題なども含め「何も知られなかったジョン・F・ドノヴァン」と重なって見えるのはゲースロファンならずとも、深く心に刻まれることだろう。

多くのゲースロ出身俳優が飛躍を遂げているように、キット・ハリントンには今後も幸せなキャリアを歩んでいってほしいと思う次第であります。

余談だが、ゲースロと同じくHBOの看板ドラマ『ウエスト・ワールド』でエミー賞助演女優賞を戴冠したタンディ・ニュートンも出演していて嬉しかった。めちゃくちゃ物分かりのいいジャーナリストという、多分にご都合主義な役どころだったが、タンディ自身のパフォーマンスとしては100点満点。
クレバーで懐の深い女性像は、まさにメイヴそのもの。

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Season3も期待してまっせ

しかも、このご時世に「テープレコーダーでインタビュー」って、
それはアレか?アレのオマージュか??


閑話休題


『ジョン・F・ドノヴァンの生と死』にはジョンの母子とルパートの母子の「2組の親子」が登場する。

先に書いた通り「母と子の関係」はグザヴィエ・ドランの魂に直結する重要なテーマである。それぞれの親子は世代も違えば、行き着く顛末も180度異なる。特にルパート母子のディスコミュニケーションを経てお互いの愛を確認しあうシーンは、劇半音楽(「スタンド・バイ・ミー」)も相まってエモさ炸裂。

子が母に向けて書いた作文にそのまま音読を当てるという、演出としてはド直球にも程があるが、これはドラン監督のパーソナルな映画。

言うなれば「監督の監督による監督のための映画」であって、その中で「こうありたかった母子関係」をニュアンスに仮託せず台詞で具体的に、ありのままぶちまけるのは、それはそれで間違いではない(作品としての到達点はここでは度外視)。

「作家の映画」とは、得てしてそういうものだ。

迎えるラスト。
過去を乗り越え、全て糧にして吹っ切れたような、ルパートの姿。
ここに至り、グザヴィエ・ドランは色々と“出し切った”ように感じる。
キャリアを通して描き続けた母子の形は、ジョンの母子とルパートの母子を並べることで、「一応の集大成」を見せたとのではないか。
映画単体としてのクオリティは、この際どうでもいいじゃない!

(ジョンの家族が悲嘆に暮れる姿を一切描かなかったのはドランなりの優しさだと思う)

まだ30歳。ここから作家として新しいテーマを“転換”があるんじゃなかろうか。

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ずっと母子の物語を撮り続けても、それはそれで面白いけど

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ほとんど余談、残りは雑談、あと猥談
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