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反出⽣主義であまり語られない視点 - 非自発的人類滅亡

近年、反出生主義に関する文献やインターネット上での議論が徐々にではあるが増えている。しかし、その中で反出生主義者側があまり語らない視点があると思ったので、今回はその紹介をしたい。何をもってあまり語られていないとしたのかは、筆者の目にとまったか否かのため、勝手ながらただの主観だ。あまり語られない話なので、反出生主義の主流の議論からは外れて傍流の論点になる。論点は非自発的人類滅亡だ。

自発的ではない人類の滅亡

反出生主義の議論において人類滅亡を語る場合、その多くは反出生主義が成就したことに伴う人類滅亡、すなわち自発的な人類滅亡に対する批判からくるものが多い。しかし、今回はこの人類滅亡を反出生主義者側の主張を強化する事象として紹介したい。まず、大変残酷ではあるが、我々が望もうと望むまいと人類はいつか必ず滅亡してしまう。そして、自発的ではない滅亡の場合、その多くは極めて悲劇的で多大な苦痛が発生することが予想される。人類がいつ、何が原因で滅びるのかは誰にも分からないが、子どもを産み続ける限りそのいつかは必ず訪れてしまう。また、絶滅には至らなくとも大半の人類が死に至るような事象も想定可能で、その場合であっても耐え難い苦痛が多くの人々を襲うことが予想される。

人類滅亡そのものはほとんど確実に起こることであり、かつその際に多大な苦痛が伴うことにも異論はないだろう。幸い我々の世代にその惨劇が起こる可能性は高くはないが、例えば1世代後に起こるならどうだろう。恐らく、多くの親は子どもを産もうとしないだろう。10世代後や1万世代後なら我々には関係ないと言えるだろうか。否、私はたとえ何世代後であろうと自分の子孫が悲惨な目に遭うことを良しとしない。もちろん惨劇を避けるための努力は大切だが、我々一人ひとりは非力であり、仮に人類一丸となっても宇宙規模の事象には対処し難い。惨劇が起こる数世代前の将来の世代が考えれば良いという反論がありえるが、あと何世代で人類滅亡の危機がやってくるのかという予測は未来の技術をもってしても難しいだろう。

以下に記載する具体的な滅亡要因の深刻度や発生確率は様々だが、深刻度を大きく「大半の死滅」と「絶滅」の2つ、発生確率を「不確定」「おおよそ発生」「ほぼ確実に発生」の3つに分けた。また、人類の滅亡要因は近い未来の順に列挙するが、危機は断続的に発生するため近い未来の危機が遠い未来でも起こり得る点はご留意頂きたい。そして、私は科学者ではないので所々に誤りがあるかもしれないが、その点はどうかご容赦頂きたい。大切なポイントは、以下の事象のうち一つでも起こるのならほとんどの人は激しい苦痛の中で死を迎えることになる。そして、残念なことに人類が奇跡的な発明をしない限り、5番と6番は確実に起きると言われている。つまり、我々が子どもを産み続けるのなら、その子孫の大半がいつかは悲惨な最後を迎えることがほとんど決まっていると言っても過言ではない。

図1

太陽系外惑星への移住

読者の中には、太陽系外惑星への移住を考える人もいると思う。私は専門家ではないため、あまり良い話はできないかもしれないが、説明を試みたい。

まず、そもそも人類が生存可能な星が地球以外にあるかが分からない。可能性が示されている星はいくつかあるが、一つ一つの星の居住可能性はかなり低い。全宇宙の星々の数は膨大だが、地球のような星が発生する確率は極めて低く、この広い全宇宙でも1つ、つまり今の地球が成立しただけでも確率的には十分だと言われている。ただ、居住可能な星が無いとなると以後の説明に続かないので、ここはあると仮定したい。

次に、最も近いと言われている候補惑星の「プロキシマ・ケンタウリb」でも4.4光年、kmにして約40兆kmも離れており、現代の技術ではたどり着くのに6,300年かかってしまう。将来の科学技術の発展可能性に期待しても、10倍速の630年はかかると言われている。コールドスリープができない前提だと1世代30年として21世代のサイクルが必要だ。反出生主義者としては、この宇宙船という逃げられない環境下で世代サイクルが行われること自体が非道徳的だと思うが、その議論は脇に置く。

最後に、仮に移住可能な惑星が発見できて、そこに行く手段が用意できたとしても、ほとんどの人はその船に乗れないだろうという点である。その時の人口は不明だが、仮に今の倍の150億人として、全員が乗れるとは考えにくい。全体の1%の1億5000万人でもかなりの人数だ。つまり、その時のあなたの子孫が1人ならまず乗れないし、100人いたら1人は乗れるかも知れないが、残りの99人は太陽に焼かれる地球に置いてけぼりになってしまう。

まとめ

人類が滅亡する運命にあると知りながら、遠い先の話だからと目を背けることは道徳的に不誠実な態度だ。多くの人類最後の世代が、苦しみながらも「いつか滅亡する可能性が極めて高いことを先祖たちが知っていたとは言え、人類が可能な限り存続し、微かな望みだとしても滅亡を回避するために、人類の営みを続けてきた姿勢そのものに意味がある」と思えるなら、私は<非自発的人類滅亡という観点からも出生をやめるべきだ>という主張は取り下げたい。しかし、苦しむことになる多くの最後の世代は、そうは思わないと考える。私が最後の世代なら「滅亡する可能性が高いと分かった時点で、苦しむことになることはほぼ確実なのだから出生をやめてほしかった」ときっと思うだろう。

いつ、どのようにして人類が滅亡するのかは分からないし、その時期を前もって知ることも難しいだろう。しかし、これはいつか必ず起こることだ。悪く言えば、いつか必ず爆発すると分かっている爆弾を親から子へ、子から孫へと受け渡している状況だ。もちろん、そこに悪意はない。しかし、悪意がなければ良いということにはならないし、結果的に耐え難い苦痛を味わう人が将来いるのなら、何とかそれを防ごうと行動するのが今を生きる我々のあるべき姿ではないだろうか。科学技術の発展でそれを防ぐことは残念ながらかなり難しい。しかし、反出生主義なら今すぐにでも可能だ。


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