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日記 3/20~3/26

月曜日
頭が痛い。後頭部を左右からぎゅっと押されているような痛み。軽くストレッチして痛み止めを飲むと嘘のように痛みが消えた。ストレッチが効いたのか痛み止めが効いたのか分からない。
集中すると涎を垂らしてしまう。ほぼ無自覚で、涎が下に垂れてはじめてハッとする。横山大観の「無我」みたいな顔で涎を垂らしているらしい。コロナ禍ではマスクの着用で思うまま(?)涎を垂らしても誰にもバレなかったが昨今の状況ではそうはいられない。早急に対策をしなければ。

火曜日
お友達から「一緒に自分の国公立後期合格発表を見てくれ」という謎の依頼を受ける。一人で見るのはこわいと言う。なんと言ったらいいのか分からず気まずくなるということが分かったので、頼まれても二度とやらない。たぶんまた頼まれるということもない。

水曜日
漠然と将来が不安で眠れなくなる。でもお友達が自室の壁に余った自分の証明写真を貼りまくってスピリチュアル空間を生み出すことに成功したという謎の報告をしてきて、ひと通り笑ったあとしょーもな、ってなって何故かちょっと悲しい気持ちになって寝た。
そのお友達は「猫を飼っている美少女(東京住み)」というていのtwitterアカウントを持っていて、「『猫』という普遍性あるコンテンツ」と「『美少女』という情報発信の主体」によって、フォロワーを「単なる猫好き」と「単なる変態」の篩にかけるという探究活動を趣味にしている。めちゃくちゃ変な英語を話すアメリカ人(たぶん日本人)男性が釣れたよってうれしそうにLINEしてくる。ちなみに彼女は猫を飼っていない。趣味が高度過ぎて一体何がしたいのか分からない。一番の変態はまず間違いなく君だよ(称賛)。

木曜日
詩用のtwitterアカウントを作った。はじめてtwitterに手を出したわけである。お友達のくれる偏った知識をもとにこのデジタル弱者がtwitterアカウントを作ったのだ(しつこい)。作ったはいいが、情報が絶え間なく流れてくると処理しきれない感があって、ものすごく疲れる。そのうち慣れるだろうか。いまいち仕組みがよく分からない。同年代のデジタルネイティブたちのなかでひとり異邦人であるような気がする。
かかりつけ医に県外の大学に進学することを告げると「その大学俺の知り合いいないわ」と言われる。偏見だけどお医者さんって総じて大学の話好きな気がする。

金曜日
お友達Bが別れを惜しんでくれているが、ずいぶん大袈裟に悲しまれる。今生の別れのような惜しみようである。どうも何か勘違いしているようで話を聞くとお友達Bはお友達Aに私の進学先を訊ねたそうだ。お友達Aは私の進学先を知ってはいたが律儀な性格なので「勝手に喋ってもいいのか」と躊躇したのだろう、「めっちゃ遠くの大学」と中途半端にぼかした結果、お友達Bは「アルゼンチン国立ブエノスアイレス大学」みたいな遠すぎるところに進学するものと勘違いしていたらしい。そんなに遠くないよ。国内だよ。

土曜日
流山おおたかの森へ。TX沿線の繁栄ぶり。延線で土浦もTXの恩恵にあやかれるだろうか。土浦から常磐線で県北へのアクセスが増えればいいが。つくば中心エリアと土浦が繋がるのは移動が楽な面もあるが土浦の小さな個人店舗への影響がすこし不安でもある。「土浦ってどこ?」ってなりそうだけど、土浦駅周辺は古本屋さんとか昔の街並みとか飲み屋街とか弓具屋さんとかあるし、何より秋には花火大会があります。学校終わりにあてどなくさ迷っていたら、突然古い蔵のある家々が並ぶ狭い小路に出たことがあった。自転車好きな人は気に入るかも。ささる人にはささるディープな街(?)なのでTX沿線の方ぜひ。

日曜日
高校のときに書いていたようなものはもう書けないだろう、となんとなく予感している。
アジカンの後藤さんのラジオでレミオロメンの藤巻さんが出演なさっていたときに、藤巻さんが「桃じゃなくて桃の木を育てている」とおっしゃっていてものすごく腑に落ちた。私の小学校が梨農園に囲まれているように立地していて、梨農家さんにお話を聞くことがあった。たいへん小柄なおばあちゃんが切り盛りしている農園で、小柄な彼女が収穫しやすい高さに梨の木の枝が伸びていた。収穫直前に台風が来て実に傷が付くと価格が落ちるし、最悪地面に落ちて売り物にならなくなるという。「梨という自然に依拠した産物に頼っている以上、人間は人間のできる範囲のことをするのみ。台風は天災」という趣旨のことを淡々と語っていた。帰り際「これ食ってデカくなれ」という趣旨のことを言いながら私たちのリュックに大量の梨を詰めた。梨の木を剪定して、梨の木に肥料を与え、害虫に気を配り、気候を案じながら梨が実るのを待つ。おいしい梨ができる。私が周囲に満ちる言葉を吸収して言葉を吐き出す。私に言葉をあたえる存在が滲むようなものを書きたいと思う。表現における希望ではなくて、周囲とのありようとしての理想かもしれない。高校のときとも違う対人関係を築きたい。あとは子供たちのカバンに梨を詰め込むようなこと。小さめの大志。ギャルの精神。

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