共有未満

粘土板の備蓄が切れて久しい。最後の一枚になんということもない言葉を押し当てて、それを丁重に乾かしてからもう随分経った。シェアするべき内容も相手もいない今、私自らが私と訣別し火星へと発っていった同胞たちの言い分の証明となっている。
思えば粘土板に精神を刻みつけようとすることも、紙を木から製造して伝えたいような、伝えたくないようなことをそこに書き連ねるようなことも、ずいぶん奇妙な風習であったことであるよ。けれども「朝の占い程度のことだ」と歯磨きをしながら言い捨てた彼だって昔は日食を恐れた。「そうだちょうど占いでしかなかったんだよ」と粘土板でも送りつけてやろうかと思ったが、彼も火星に行ったしやはり粘土板はもうない。
これも随分と前の話だが、私と彼の孫だという青年に会ったことがある。夕暮れの中、髪の色も肌の色も、姿かたちが我々とは随分遠い気がしたが、どこか彼に似ていると感じた。きっとどこかが私にも似ているのだろうと思った。「語るということはあなたがた古代の構造の名残ですね」「その通り。時間軸に絡みついて離れないし、ある種の呼吸のような祈りの形だ」青年に向かいつぶやくように返した彼に強烈な嘘を感じた。青年は何も言わなかったし私も何も言わなかった。それは嘘だね、そうであってほしいんだろう、とあの時言っていたら何か変わっただろうか?
宇宙船の出航する浜辺で青年と別れた。鯨の座礁の記録が多く残る浜から発つというのも妙なことだと思った。民間の船のほとんどが認可されていない違法船だと聞くがもうなんだって良かったのだろう。多くの船が遠くない岩壁に墜落したそうだが私は青年が火星に無事辿り着いたと知っている。
かつて私はその浜辺に鯨の骨を見つけた。彼もそこにいたのである。私と彼では繁殖することのできない時代のことだが。彼は自身のミトコンドリアに捧げる歌というような妙な歌をつくっては歌っていたし、私は私で生涯意味もなさない文字列を砂浜に綴り続けるのだと確信していた。私も彼も若かったし、青年はずっと青年であるはずだ。浜辺をこのままずっと歩いていけば朝になって、そうして数えられるほどの夕暮れと朝を何度か繰り返したのち、この浜辺はずっと昼間であり続ける。私はそれを確信している。

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