ナースになる!学生と仕事の両立
ナースの味方! もみじです。
看護師の皆様お疲れ様です。これから看護師を目指す方へ、お疲れ様です。
准看護師、正看護師なるにあたって、仕事をしながら学生をすることについて書いています。その時の参考の1つに読んでみてください。
私の場合は、私立高校の衛生看護科でした。田舎で衛生看護科のある高校が県内で3校だけだったこともあり、そこを選び3年目に准看護師の免許をとり卒業後すぐ働く人もいました。
何故、高校の衛生看護科を選んだかは下記に載せています。
https://note.com/mo_0917/n/n01aac38c043f
次に正看護師になる学校です。
県内に1校しかなかったこと、料金もかかり県外に出て働きながら正看護師になる人も多く、私も県外に出ることを決め、奨学金を借り働きながら学校に通うことにしました。
働く病院選びは、先輩方が就職した病院、(過去に何人行ったデーターをみたり)働いてる先輩のコメントをみたり、病院の説明を読んだりしました。
家族とも話し合い
「どうせ県外にでるなら、関東に出て勉強してきなさい!」
と母にすすめられ、関東の大学病院に決めました。
そして、学校は受験したけど受からず就職だけしました。同期は働きながら勉強、私は外来勤務を2年経て3年目に専門学校に入り、昼間は学校、夜は救急室で勤務をしました。
救急は1次2次救急でしたが、時折3時救急もありました。若かったこともあり、少々寝る時間が少なくても3年間はあっという間でした。
先輩から、叱られることや教わる事はたくさんありました。
実際働いてわかる事や、実践することで見える事も多々あり、たえずメモを取り、次の患者さんが運ばれて来るときには同じミスをしないよう頭でシミレーションをしたり、同期で救急勤務をしてた仲間がいたので聞いたり、マニュアルを読んだり、先輩にもよく聞いていました。
命を扱う現場、1分1秒が時には命取りの現場です。
先輩との連携もとても大事で大切です。
しかし時には理不尽なことがあり、日によっては先輩と波長が合わない日もあります。そんな日はトイレでこっそり悔し涙を流す日もありました。
日々色んなことがあります。
それもこれも、今となってはいい思い出でぜんぶ宝物です。
関東での暮らしはというと、大学病院の寮で二人一部屋でした。
学費は親に頼み、仕事の稼ぎで生活をしていました。
共同キッチン、共同お風呂にトイレ、共同公衆電話、電気ガス水道料金だけは病院もちでした。なのでそんなに生活にはお金がかかりませんでした。
ただ、二人一部屋の相方と性格が合わないと最悪です。相手が夜勤明けで寝てるときに、日勤勤務で帰宅するとかなり氣を遣っていました。
生活を始めた最初はお互いに、氣を遣いますが、慣れてくると言いたいことをいう人もいます。マイペースの私は何か相手の氣分を害していたのか、結構チクチク言われました。
限界一歩手前で、実家に電話をし帰りたいと1度だけ言ったことがあります。母は話しを聞き一言
「せっかく関東まで出て、者になってから帰って来なさい」
の応えでした。母らしい言葉だと思いました。そんな時 寮母さんから、他の部屋で相性の合わない子が出たからと、私はその一人と一緒の部屋になりました。お互い一人っ子同士で生活は快適になりました。
今でも時折連絡をとっています。
私と同室だった子は、結果誰とも氣が合わないことがわかり、寮で一人暮らしとなりました。
学校と仕事と寮生活、山あり谷ありでしたが、生活力が身につき、人間関係や人を視る目も少しずつ養われていきました。
そして大切なこと、働きながら学校にいく看護師は、3年目実習期間に入り無職になります!
先輩から前もって、2年で300万は貯めておくこと!
生活に余裕があり実習中も不安なく暮らせるとアドバイスをくれました。
私は実習中、3年生の秋まで、先輩の知り合いのクリニックでバイトをしていました。なのでお金に不安はありませんでした。
バイトを辞めたあとも、国家試験の勉強に集中できました。
過去問題を解いて解いて解きまくりました。
最後は問題文の始まりを少し読んだだけで、そのあとに続く文章がわかるほどになっていました。そして合格、正看護師となりました。
正看護師となり、初めて病棟勤務になりました。
続きはまた次回に。
最後までいつも読んで下さりありがとうございます。