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祈りを捧げる日に、「memento mori -intro-」を想う

もう、あれから10年以上が経過した。
東日本大震災。未曾有の被害と言われたあの日から、もうそれほどの日が経ってしまったのか、と想いを馳せる。

私は前職にて、仕事のために震災発生直後の被災地へかなり早い段階で入った事がある。
その時の情景…景色だけでなく音やにおい、細かな記憶ですら
未だに昨日のことのように思い出すことができるほど、鮮烈な記憶となっている。

そのため、この日を迎えるたびに、
私は「祈らずにはいられない」のだ。

今日というこの日は、音ゲーなんかも祈りを込めながら「関連性のある曲」を選曲するのがもはや恒例行事化している感もあるわけだが、
そんな震災と関連性のある曲の中でも特に私が特別視しているもの、それは「memento mori -intro-」である。


○「memento mori -intro-」とは

2013年8月14日(お盆)、GITADORAにてプレミアムアンコールとして追加された楽曲で、作曲者はあさき氏となっている。
当時はようやくGITADORAにもクリップ曲が(プレアン限定とはいえ)追加されてきていたということもあり、
GITADORAの息の吹き替えしに喜びを感じていた時期でもあった。

そして、ある機会があってこの曲のムービーをじっくりと鑑賞することがあったのだが、
プレイ中では到底気づくことが出来ないような、
恐らく全音ゲークリップを比べても桁違いな作りこみ方に、ぞくりとした記憶がある。

当然、内容について様々な解釈が可能であり、また私があさき氏の創造を全て理解できているとは到底思えない。
しかし、ムービーを鑑賞することで至った私のこの曲の解釈は、
「東日本大震災を通して形にした、あさき氏の死生観の集大成を表現したものではないか」というものだった。

○ムービー内の表現について①:キリスト教

まず、表題の「memento mori」という題名については、
「死を想え」「いつか死ぬことを忘れるな」といった意味である。
現代では様々な作品などで言葉が使用されるようになったおかげか、知っている人も多くなったのではないかと思う。
ただし、単純ながらも意味は深淵のように深く、人によって捉え方は千差万別になる用語と感じている。

元々は哲学者の考え方の一環だったものだが、中世あたりのキリスト教では歴史的背景として『利用しやすい考え方』として採用されたものである、と私は解釈している。
「memento mori」を謳えば、そこから宗教を管理する側にとって都合の良い解釈を生むことも容易だったのかもしれない。
※…あくまで歴史的な部分に対する持論であり、キリスト教に対してマイナスイメージを与える意図は全くない。

そのため、「memento mori -intro-」クリップ内に出てくる絵・CGは、
概ねがキリスト教をモチーフとしているものではないかと推測できる。


1:04

ここで確認できるこちらの画像は、
「memento mori -intro-」を中心として6つの円が囲むような構図となっている。それぞれの円の中の絵なども、クリップ内で確認が可能だ。


0:11

左上の一本の枯れ木のような絵


0:18

左下の鍛冶場のような絵


0:19

上の女性のような絵


0:29

右上の果物のような絵


0:32

下の骸骨が笑っているかのような絵

ただし、枯れ木と女性、果物はムービー内ではわずか0.2秒前後しか映し出されない。等倍速での観察だとほぼサブリミナルに近いレベルでしか確認ができない仕様だ。

そして右下は「時計」なのだが、これは重要な意味を持つため後ほど詳しく記載していく。


また、クリップ内で度々登場する回転ハンドルを操作する不気味な老人(人形?)を中心とした様々なモニュメント類CGも、1:24にて一括で確認が可能だ。
時計や骸骨は「memento mori」を象徴するものとして芸術作品に使用されていたことも多かった、との事なので、このあたりの配置については曲の題名を示すものとしてかなり納得がいくものが多い。
そして、歯車や、全体と連動して動いている鎖については、恐らくは時計、または「舞台装置」の一環として表現されていると解釈ができる。
関連性や意図についての解釈も、後ほど詳しく記載していく。

○ムービー内の表現について②:14時46分(前)

ムービー内には、いくつかの実写と思われる映像が、
これもほぼ全てサブリミナルに近いレベルのごく僅かな時間で差し込まれている。

0:13(1)
0:13(2)
0:13(3)

砂嵐を挟みながら、煙を上げる「何か」の施設が映し出されている。
砂嵐を含めて、わずか0.5秒前後、施設の映像は0.2秒程度しか確認できない。


0:19(1)
0:19(2)

容器の中の白い謎の液体にしずくが落ち、波紋が広がると同時に青く発光する映像も確認できた。


0:20(1)
0:20(2)

左右に揺れ動くカメラの映像。
どこかの、何かの施設の内部なのは間違いないが、どことは判別しにくい。


0:30(1)
0:30(2)

砂嵐の後、四角いなにかが積み重ねられたものが置かれている映像。
明確ではないが、これはテレビではないかと推測している。


0:30(3)
0:30(4)

何かが渦巻くようなイメージ。


0:30(5)
0:30(6)

遠目に見える送電鉄塔。そして、砂嵐。

なんと、砂嵐~テレビ~渦~鉄塔~砂嵐までの映像はわずか1秒の中で流れているのである。


0:32(1)
0:32(2)

また何かが渦巻くようなイメージと、白い謎の液体にしずくが落ちて波紋が発生する様子。


「14:40」
「14:43」

そして、とうとうここで初めて時計が出てくる。
ここでは時計は長身が40分を指している状態から、少しずつ時が進んでいく様子を描いている。
短針は、若干隠れておりかつ独特のデザインではあるが、2時のあたりを指していることが確認できる。

恐らく、これは2011年3月11日、当日の14:40~43を指していると思われる。


この直後に、例の老人が現れてハンドルを回す描写が入ってくる。
このタイミングで描写が挿入されている所から察すると、ハンドルが時計と舞台装置に連動しているものではないかと推測できる。

ここまでを整理していくと、
恐らくだが0:13~0:32の実写映像は、震災が起きる「予兆」を表現していたのではないかと推測する。

また、左右に揺れ動くカメラ映像と、並び立って同じ映像を流しているように見えるテレビは、
2日前に発生した2011.3.9の地震を表現しているのではないか、と推測している。

tenki.jpより画像引用

この地震も最大震度5弱と、決して弱い地震ではなかった。
揺れるカメラの映像やテレビの様子も、本震発生前の予兆として表現することは可能ではないかと考えている。
ちなみにこの時点では、全てのテレビに映像のようなものが映っていた。

その後も、老人の手により針は刻一刻と進んでいき、舞台装置は稼働していく。

0:54(1)
0:54(2)
0:54(3)

すると、舞台装置の一つにカメラがズームアップをしていき…


0:54(4)
0:55(1)
0:55(2)
0:56

地球と思われる天体に、手に持たれている「音叉」のようなものが向けられる。そして、それが強く発光していく様子が描かれている。

二股の謎の物体を「音叉」と解釈しているのは、
理科などで共鳴、つまり「振動」を伝える実験で使われるものであり、
地震を発生させようとしている「何か」を表現していたのではないか、と考えたからである。


0:58(1)
0:58(2)
0:58(3)

音叉のようなものの光が、モニュメントへと移る。
これも振動により共鳴が起きている様子と推測している。

そして…。


○ムービー内の表現について③:14時46分(後)


1:10(1)
1:10(2)

謎の液体が、モニュメントと一緒に映りながらいきなり泡立ち始め


「14:46」

時計は、「14時46分」へと向かう。


1:11

直後、一瞬テレビが映し出されるが、いくつかは黒くなっている

※…余談だが、ムービーのこのタイミングとドラムの「かつてないもの」地帯はリンクしている。なので私はひそかに「あの地帯」も震災を表現しているのではと考えていた。


1:12
1:15

水が流れる映像が3秒程度流れる。
※…「memento mori -intro-」内で同じ映像が3秒も流れ続けるのはここだけである。


1:16(1)

本物のサブリミナルと同等のレベルでほんの一瞬だけ、「何か」の施設が通常時以上に煙を上げる様子が流れる。


1:16(2)
1:16(3)

さきほどの建物内部が、さらに強く揺れる様子が0.2秒程度映し出される。


1:16(4)

早送りで流れていく雲。


1:17

揺れ動く木々。
双方ともに、あの老人が背景に映し出され、早送りのようにハンドルを急速に回していく。


1:18~1:20

上から下に流れていく水流。
恐らくだが、堤防を越えた水を表現しているのではないかと推測している。


1:20

本物のサブリミナルと同等のレベルでほんの一瞬だけ、マンホールとひび割れたアスファルトの写真が映る。


1:22

0.5秒ほど、「何か」の施設が強く煙を上げている様子が流れる。


1:29
1:32
1:34


その後も、水流・雲・木々の揺れが複数映し出されていくが


1:32(1)
1:32(2)
1:33

間に「memento mori -intro-」のロゴを挟み
木々にぶら下がっている胎児のようなものが映し出される。

ここは多数の解釈が可能である。
私個人的な解釈としては
1.この出来事は、当事者に「memento mori」という意識が生まれる瞬間となる(木は脳のシナプスの暗喩)
2.これからを担う、生まれてくる子達に「memento mori」を繋げてあげなさい
こういったメッセージが込められているのではないかと考えている。

正直、不気味な画像ではある。
一見、胎児の死を表現しているのかとも考えたが、へその緒が木に繋がっていることを踏まえ、また間に曲名を挟んだ表現となっていたため、単純な死を表現しているとは考えにくいと推測した。
また、曲も終盤となっている地帯であり、最後にメッセージを込めたのではないかとも推測した。

ただし、この胎児のシーンですら、わずか0.5秒程度しか映し出されない。


最後は、骸骨・鎖・音叉のモニュメントが消え去った後でも
舞台装置を回し続ける老人が映し出され


謎の液体に、またしずくが落ちて
波紋が広がる映像で締めくくりとなる。

以上が、冒頭で書いた
「東日本大震災を通して形にした」という根拠について、
クリップ映像の流れや意味を咀嚼して推測したものである。

○memento mori 『-intro-』とは何を意味しているのか。

改めて、memento moriとは
「死を想え」「いつか死ぬことを忘れるな」といった意味である。
当然ながら、これは震災を教訓にして死を意識し、回避するための気持ちを持てという意味もあるだろうが、
あさき氏のことである、当然ながらこれには哲学的要素も深く絡めていることは間違いない。
しかし、また別のテーマへと変わってしまうので、ここではmemento moriに対する解釈は語らない。

そもそも、曲名に添えられた『-intro-』とは何を意味するのだろうか。

まずは先ほどの胎児の映像でも記載した、
memento moriの「意識の誕生」を『-intro-』と表現した、という考え方である。

この震災という出来事が始まり、すなわち『-intro-』である、
memento moriを人生の『-outro-』まで奏でていきなさい、
というメッセージ性が込められているのではないかという解釈だ。

しかし私は、それ以外にもこの『-intro-』という言葉は
あさき氏が自身に向けて刻んだ「戒め」の意味もあるのではないかと推測する。

ご存じの方も多いと思うが、あさき氏の楽曲は「死」が見え隠れする表現が多い。
当然、悪く解釈すればそう感じる、という程度の話に留まるのだが、
1stアルバムのタイトルを飾る「神曲」は明らかに仏教的な死生観を表現した怪作となっているし、
個人的には「赤い鈴」「この子の七つのお祝いに」「雫」など
このあたりの楽曲も色濃く「死」が表現されていると感じている。

あさき氏はそういった楽曲を多く作成してきている。
独特の死生観が備わっているといっても過言ではないだろう。
しかし、その彼でもってしても、
あの震災は自身の根幹を揺るがす衝撃的な出来事だったのではないだろうか。

ただの想像に過ぎないが、自分の死生観を見つめなおし改め戒める、
そういった自分の内面を『-intro-』と表現したのではないだろうか。

私は、恐らくあさき氏をまだまだ理解できていない。
なので、ここに記載した内容は妄想程度の個人の感想として留めていただきたい。

○あの日を想えば、死を想える

memento moriという概念は、すでに完全に自分の中に共存している。

誰が忘れるものか。
あの情景を。あのにおいを。あのけたたましい捜索と解体の音を。

誰が忘れるものか。
不可解な道端の魚の死骸を。非日常に酔いしれ「もっと揺れろ」などと口走った馬鹿野郎への怒りを。

誰が忘れるものか。
インフラが安定しない不安を。あの日の後、久々に食べたラーメンの泣きそうになるほどの美味しさを。

誰が忘れるものか。
心の整理がつかぬまま「相続」という手続きをする人の震える声を。
民間施設に大量に停車する自衛隊車両の群れの心強さを。

誰が忘れるものか。
震災直後でも、前を向いて歩こうとする人の強さを。


○さぁ、「memento mori -intro-」をプレイしに行こう。


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