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憲法は「建前」か

「バイキング」というTV番組は、「生ホンネトークバラエティ」というサブタイトルが付けられている。

ここで、DOMMUNEを始めとする巷間話題になっているかの番組については問わないが、そこにある「ホンネ」という言葉が気になっている。

かつて、「本音」を語ることには、ある価値があった。ぼくがここで念頭に置いている「かつて」とは今から20年ほど前の話だ。

1998年、当時の文部大臣・町村信孝は、当時、流行していたナイフを持つ子どもたちに対して次のような「緊急アピール」を表明している。

私は、いま、全国の子どもたちに訴える。
最近、君たちの仲間によるナイフを使った事件が続いている。
人を傷つけること、まして命を奪うことは、絶対に許されない。
命を奪われた人たちは、二度と帰ってはこない。
亡くなった人たちや傷ついた人たちのお父さん、お母さんや家族の悲しみがどんなに深いものなのか、それを知ってほしい。
そこで、君たちに訴える。
ナイフを持ち歩くのはもうやめよう。

けれども、これは、全く意味をなしていなかったはずだ。ナイフを持った周年たちは、このテキストの象徴するような「建前」に対して反発を抱いていたのだから。このような建前の欺瞞を崩しうるカウンターとして、本音は有効であった。しかし、いつしか、そんな建前は崩壊してしまった。大人としての「建前」を持てない別の文部大臣は、06年、いじめ自殺が相次ぐ世相に対して、次のような声明を出す。

弱いたちばの友だちや同級生をいじめるのは、はずかしいこと。
仲間といっしょに友だちをいじめるのは、ひきょうなこと。
君たちもいじめられるたちばになることもあるんだよ。後になって、なぜあんなはずかしいことをしたのだろう、ばかだったなあと思うより、今、やっているいじめをすぐにやめよう。

無残なまでに大人としての「建前」を失った文部科学大臣は、もはや反発をする対象ですらなくなる。ついでに言えば、サブカルチャーに政治という文脈が流入していくのが僕の目に見え始めたのは00年代に入ってからで、僕はここには大いに連関があると思うのだけど、説得力のある資料をみつける時間がなかったので、とりあえず保留。

いつの間にか、「本音」がこの国のメインストリームとなり、「反知性主義」のような言論がメディアでもてはやされるようになると「建前」は全く廃れてしまった。そして、「本音」が「ホンネ」に変わったこと、つまり、「『本音』であるかのように見える振る舞いを求める同調性=『ホンネ』」が、一つの大きな力を持つようになったことが、10年代ということなのかもしれない、と思う。実際、僕は当該番組を見続けているわけではないので、よくわからない。あくまでも、推測に過ぎない。

さて、「日本国憲法」は究極の「建前」であり、だからこそ効力を失っているから、「本音」を重視する人々は、それが「建前」であることを嫌い、その文言を変えようとしているように思える。例えば、「国際平和」「国際協調」に関する記述が前文から大幅に記述され、自民党改憲草案を見ると、それは、「現実的」であるのではなく、ある「建前」を排除しようとしているのではないか、と感じられる。彼らが廃したいのは、理想主義ではなく、そこにある「建前」なのではないか、と感じる。

では、建前とは何だろう? 建前の語源を検索すると、次のような文言にあたった。

建前(たてまえ)の語源・由来について、もともと建前は、建築で柱・棟・梁などのおもな骨組みを組み立てることを意味した。主要な骨組みという意味から、基本となるもの、さらに表向きの方針へと意味と用法が転じた言葉である。http://yuraika.com/tatemae/

「本音」は基本ではなく、「建前」こそが基本であるとするならば、それは、この社会において、ひどく脆弱であると言えるかもしれない。毎日、俳優が読む憲法を聞きながら、この国に有り得べき「建前」を考えている。それは、「公共」と換言できる類のものだ。そして、それこそが作品において憲法を扱っている理由であり、最近、自分は「建前」というフィクションをつくりたいから演劇をしているのではないか、と思っている。

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