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チーズケーキに付いていた付箋を捨てられない日

秋をスキップして突然冬が来たような寒さの連続で早速、年末の第一歩を感じ始めました。
一度、年末を感じてしまうと年末、大掃除、断捨離と年の瀬グラデーションをどうしても意識してしまうんですが、断捨離という言葉を初めて知ったのはちょっと前に断捨離ブームがあった時でした。自分にとって必要なものと必要じゃないものを選び残したり捨てたりする事、言葉だけで書くとなんだかベンチャー企業の社長みたいでかっこいいですね。
BOOKOFFに読まなくなった本を持っていく会社代表取締役社長、かっこいい。
先日、お土産でチーズケーキをいただいた。
チーズケーキが入ってる箱の上に付箋が付いていて手書きで簡単な挨拶が書かれていたのだが、その付箋が全然捨てられない。
チーズケーキ自体は秒、ギリギリ分で食べ切ったので、すぐにゴミを捨てようとしたのだが、付箋が強烈に捨てられない。
なんかわからんけど、捨てられない。
この捨てられなさはマンガの帯とかゲームの箱くらいなんか捨てられない。映画の半券以上、JRキン肉マンスタンプラリー景品キン肉マン消しゴム未満。
なんで、そんなに付箋が捨てられないのか。自分の中の取締役社長に問い詰められる。一万円札で作られているわけでもなく、世界に一つだけの付箋というわけでもなく、中条あやみにもらった付箋でもないのに。
手書きの文字からは画一化されたフォントに収まらない癖とか文字の書き方から、その人らしさがにじみ出ていると思う。そういった手書きの文字から、付箋から、その人自身を、その人を感じ捨てられないのかも知れない。
そこで気になるのが今までも付箋をもらってきてる(付箋がメインでは無い)はずだし、毎回、今回のように悩んでいるはずなのにその付箋が今どこにあってどこに行ったのか皆目検討がつかない。散々、繊細さをアピールしているにも関わらず、勝手に悩んで勝手に忘れているのだから、いいかげんなものだと思う。
そんな中途半端な事を僕が思ってるなんてチーズケーキをくれた友人は欠片も想像していないと思うし、たった一行を付箋に書くのに1分もかかってないと思う。
でも、僕は明らかにその1分以上、付箋をどうしようかと考えている。
そういう事を考えたり書いたりする行為が優しさにつながり、ひいては世界平和につながるのかもしれないな、という事をBOOKOFFに持っていく読まなくなった本を選びながら思いました。

うれしくて喜びます