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同性カップルの部屋探し


深いところから水面に浮き出るような穏やかさで目が覚めた。時刻は7時26分。寝返りを打って窓に背を向けるけど、どうやら頭がしっかり起きてしまったらしい。仕方なくあたたかな毛布を蹴って起き上がった。

引っ越してきて2週間になる。オーダーしたカーテンは今週末に届く予定だと、注文に対する丁寧なお礼つきのメールがきていた。

カウンターキッチンのシンクを覗き込んだら、正方形の白いお皿がさっと水でゆすがれた様子で鎮座していた。昨晩日付が変わる頃に帰宅した私が作ってのせておいたおにぎりは、跡形もなくきれいになくなっていた。

同居している恋人の朝はとても早い。
ここに引っ越してくる前に住んでいたのは、もとは私が大学生活のために借りていた部屋だった。退去した年に築50年目を迎えた木造アパート。隣の部屋のテレビの音が漏れ聞こえてくるような防音もへったくれもないような建物で、台風ともなると雨風の音で眠れなくなる。恋人の通勤時間は今住んでいるマンションからのそれよりずっと長かった。

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遡ることひと月前の9月。
次の春に大学卒業予定の私は、7月末に就活を終了。憧れだった会社から内定を得て、1月に卒業制作を提出したらすぐに引越すつもりだった。

予定を前倒したのはナチコの通勤があんまりにも辛そうだったから。

ただでさえ利用者数の多いJR中央線の通勤&帰宅ラッシュは、直立しているのさえ苦しいほど人口密度が高い。数年前、朝7時代の電車から降りると鞄の中で鏡が粉々に割れていた。

社会人1年目とは思えないほど毎日疲れ切った様子の恋人。ふと、

通勤帰宅時間を減らせば、毎晩やつれ顔で帰ってきて髪も乾かさずにベッドにダイブ→爆睡しちゃうこの人のストレス、かなり減るのでは?

と思ったのだ。もうここに住み続ける理由はないし、ひとりならどこか懐かしく居心地がいいこの部屋も、2人暮らしとなるとデメリットの方が多い。

今すぐ引っ越そう!

ということで、思い立ったが吉日。その日のうちに前々から目星をつけていた不動産屋に電話を入れる。希望する物件の条件やエリア、家賃の予算を伝え、週末に相談の予約を入れた。


その日の夜、ぐったり顔で帰宅したナチコに週末の予定をざっと説明する。何事にもあまりこだわりがなく、たいていのことは相手に譲る性格の彼女はふんふん、と頷くのみ。これは話をきいていない証拠。まぁいい、私と今話をして物件がみつかるわけでもないので、予定について「わかった」との返答だけを受け取った。

土曜日、約束の11時に間に合うように家を出る。

希望エリア内に店舗を構える不動産屋には10分前に到着した。名前を伝えると、清潔感ある男性スタッフが笑顔で私たちを席に案内してくれた。名刺を受け取り、席に着く。現在住んでいる部屋の不便を伝え、再度希望条件の確認をする。

うちに転がり込むまでずっと実家暮らしだったナチコは隣で出されたお茶をすするばかりで、話は物件探しの経験がある私と担当スタッフで進めた。
そんなに難しい条件もなく、ふたりあわせれば予算もそれなりだったので該当する物件は10件ほどすんなり見つかった。


雲行きが怪しくなってきたのは一通りの相談が済み、ではいくつか条件に合う物件をという段になった頃だった。


希望通りの部屋はいくつも出てくるのに、管理会社や管理人から内見可否を問う時点で入居を拒否されてしまう。

「正直、お友達同士でのルームシェアって、どうしても嫌がられてしまうんです」

担当スタッフは内見を断った管理会社との電話を切ると、恐縮そうな様子で私たちにそう言った。


友人同士でのルームシェアでは喧嘩別れをしてしまったり、どちらかに家賃の支払い能力がなくなり契約解除に至るケースが少なくないのだと言う。
特に女性は経済的な力が弱く、滞納するリスクが男性に比べて高い。貸し手はそのリスクを避けたがるのだそうだ。


完全に盲点だった。
私たちふたりは、ここで唐突に女同士のカップルであることを自覚させられた。
担当スタッフから、血縁関係者ではないかと含みのある尋ね方をされたが、私たちは事前に、必ず虚偽がない契約での入居をすると約束を交わしていたので、苦い思いでそれを否定した。

そのあと立て続けに3件断られてしまい、遂に私と恋人はふたりきりで話し合うことにした。私たちの関係を明かすかどうかの相談だ。担当スタッフに少し休憩を挟みたいと言うと、笑顔で快諾してくれた。



カミングアウトの判断基準はそれぞれ違えど、周囲に対してあえて公言する必要はない、と言うのが私たち共通の認識だ。普段は特に同性であることを意識せずに生活してきたふたりにとって、その場で「同性カップルです」と発言するのは、互いの承諾を得てから行うべきことだった。



彼女も私も精神的に参っていた。愛煙家の私と並んで、めったに吸わない彼女までも煙草をくわえていた。


私は少し怒っていたかもしれない。
2件目か3件目の内見お断りの電話の後、カップルなら婚約状態だと言えば審査が通りやすいことを知ったのだ。このことに無性に腹が立っていた。教えてくれた担当スタッフに対して、ではない。

その事実の背景にある世間的な感覚に対して怒っていた。

カップルに別れがない保証などない。
それは私たち同性カップルにも当てはまる。ある意味平等な権利だ。婚約は婚姻という制度(目的)に基づく手段で、思い描く将来に相手がいる事実と、相手の将来に自分がいたいと願うような約束だ。

目的がないことを嘆きはしない。背が高く生まれたかった、白い肌に生まれたかった、男性を愛せる女性に生まれたかった。正直、そう思ったことはある。
だけど、どれも同じように無理な願いだ。


男性は身長180cm以上でなければ結婚できないという制度があったら?
背の高い人が好き、などという女性を白い目で見たことはなかった?

女性はDカップ以上でなければ結婚できないとしたら?
おっぱいしか見てない男性を、他に見るとこねぇのかよバーカと思ったことは?

私たちはなぁ!!
そういうことを言われてんだ!!!

と、なるわけですよ。

紙切れ一枚がなんだ、と。


話を元に戻す。
普段口数の多くないナチコが、こんなに難しいもんかぁ、とぽつり、弱音を吐く。口数の多すぎる私は、悲しいやら悔しいやらで、母に電話をかけてまで愚痴り散らす。煙草2本分かけてようやく落ち着き、彼女にお伺いを立てる。

どうする?恋人だと言って、何か変わるかな

彼女は確かに同意して、珍しくちょっと怖い顔をした。


席に戻ると、担当スタッフから朗報があった。ひとつ、見学OKの物件が見つかったと笑顔で話してくれる。小休憩の前にピックアップして、電話がまだ繋がっていなかった物件だった。ただ、そこは退去予定があるのみでまだ満室状態のため、外観しか見られないと言う。

ひとまず胸をなでおろすが、外観だけで判断はできない。内見可能な物件探しを続けることになった。その判断が下ったところで私は質問をした。


同性カップルに物件を紹介したことはありますか


担当スタッフは一瞬言葉に迷った様子で考えた後、男性同士のカップルならある、と簡潔に答えた。
そのふたりは、同性愛者に寛容な管理人の物件で、無事契約を結べたそうだ。
私はまたうんざりした気持ちになった。そして、同性カップル向けの物件を紹介しますと銘打った不動産屋の存在に納得した。

はいはい、マイノリティね、と。

一般に、つまり、大多数の人からすれば、私たちが同性カップルですと言ったところで、口ではなんとでも言えますよね、となるのだ。同性カップルだと言って審査が通りやすくなるのであれば、実際はただの友人同士でもカップルだと言ってしまえばことが楽に進む。そりゃそうだ、と理解はするがやはり悔しい。


結局、カミングアウトは空振り。内見可能かどうかの問い合わせは10件を超えたが、手元に残ったルームシェア可能な部屋は3件のみだった。

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玄関の壁面にあつらえられた幅広いシューズクロークを開け、鍵と定期券を鞄の外ポケットにねじ込む。いったん消した玄関の照明を、ふと今日のスケジュールをひととおり頭で反芻してまた灯す。
今日は私の方が帰りが遅いのだ。

私たちは、手元に残ったみっつの物件から、1LDKの5階建てマンションを選び、契約した。

最上階で日当たり良好、防音もばっちり。乗り継ぎは少々面倒だけど、比較的空いている電車で通勤帰宅ができるようになった恋人は帰宅後の口数が少しだけ増えた。


私は内定をもらっている会社に来年の春、就職予定だ。お給料があがれば数年後、もう少しアクセスのいいところにまた引っ越せばいい。

面倒な思いをすることを覚悟して、悔しい気持ちになる心の準備をして、私たちはまた、生きにくさと戦うような気持ちで穏やかに住むための場所を探すだろう。

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