笑い転げることだけが「楽しい」ではない

久しぶりだよね〜いつも何飲むっけ?わたしこの晩柑ハイボールにしよっかなあ、とうきうきしながらお酒を頼み、届くまでメニューを見ながらこの後の盛り上がりにわくわくして、冷たいグラスに五指を濡らしながら乾杯!さて何を話そう?相手の近況に耳を傾けながら頭の引き出しを漁ったところで、私は慄然とした。
…目の前にいる旧友に話したいことが、なにもない。というかノーコンテキストですぐに話せる楽しい話が、マッジでなにもない。

ここ数ヶ月の私はといえば、毎日山場を迎え続ける案件・増殖する事務作業・いきなり振られる知らん仕事等々に押し潰されてほぼ日中の記憶がなく、かといって夜は年度末&年度初めの仕事関係の飲み会が夥しい件数にのぼり、連日のレモンサワーで胃腸と脳を破壊されてこれまた記憶がなく、いまになって振り返れば2月あたりから5月ゴールデンウィーク終わりまで人類滅亡の危機でもないのに勝手にコールドスリープしてたんか?といった具合で(記憶がないのでコールドスリープ用のバカデカカプセルに入ったことも覚えていない。推測。)。ようやく少しだけ仕事が落ち着き、熱い湯船に浸かって身体が解凍され目が覚めたっぽいこの週末に上記の出来事があり、いかに自分が切羽詰まって余裕も余白もない生活に追われていたか気付いた次第だった。

別にCS(コールドスリープ)間の休日もひたすら気絶して過ごしていた訳ではなく、映画を観たりヒプマイのコラボカフェに行ったりお笑いライブへ行ったりなにわ男子のライブDVDを鑑賞したりとまぁまぁ積極的に文化的生活を送っていたはずなのだが、その体験に付随して感じたり考えたりしたはずのことがすっぽり抜けている。これ、本当はまずいんじゃないか?恋人がご馳走してくれたおすしの味、実家のそばの畦道の青い匂い、いやこんなにロマンチックなことでなくたって、コインランドリーの固いベンチの感触や美容室帰りの地下鉄の風、些細だけどすこし芯の残る特別な日常をこそ、奥歯で何度も噛みしめたい。ほのかに甘い滋味深さを、舌にひろげて感じていたいのに。
大事にしたいできごとの消化が追いつかないほどに、ここ最近の日常は情報過多でジャンクだ。大切な人との距離も近過ぎるゆえに自他境界が曖昧になり、相手が指先を切れば自分の心がちくりと痛むように感情が外に振り回されるし、深夜居酒屋のテーブルにならんだ空のグラスにだけ響くちいさな声で「あなただけに」とこっそり交わした秘密の会話をよく咀嚼する前に朝が来て、また口いっぱいに仕事が押し込められ血糖値スパイクで意識が飛ぶ。
観光名所の順路出口付近に置かれている、擦り切れそうな現地スタンプをパンフレットにぎゅっと押す手が大好きだ。だけど実はそれだけではすこし足りなくて、持ち帰ったそのパンフレットを、たまに年末の大掃除の時にでもファイルから取り出して眺めることで、ようやく押印手続は完了する。そこで思い出はきっと本当に自分の一部になる。

「そうなんだ」
「うん」
2杯目に頼んだコーン茶ハイに口をつけると、すこしだけ静かな時間が流れた。やっぱりうまく話題が続かなくてああなにか手っ取り早く刺激を、といつもの癖であれこれ手繰ろうとしたけれど、そのまま黙ったままでも穏やかな様子の相手を見て、もしかすると話し続けることって義務ではないのかも、 と当たり前のことに気付いた。
旧友は沈黙をただ、わたしと過ごしている。
喉元まで出かかった固い言葉は、幸いにもえずくことなく食道を通り胃に落ちて、ゆっくり消化を待っている。時間はキャベジン。大きく息を吸おう。

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