とりとめ川

年末実家に帰ったとき、夕方多摩川の河川敷で一人カップ酒を飲んだ。暗くなるにつれて頬が裂けそうな寒さが強まり、尻の下の枯草に湿りが出てくるのをパンツ越しに感じる。さみーばかさみー。京王線が轟音を立てて高架を辷り抜けた。そのひと時だけは思考が根こそぎ奪われ、通り去った後の濃く煮出された静寂は苦くておいしい。コンビニで温めてもらった酒がじんじんと主張しながら喉を通り、ついた息はすぐに揮発する。年の瀬のあの何とも言えない心許なさも相まって、絵に描いたような侘しさがそこにあるが、なにかわくわくするような気分もアルコールと共に内側にこもっていくのを感じている。野外で酒を飲む習慣は無いが、こんなに気持ち良いものだったとは。

「まだ経験していない」というのは、何物にも代えがたい大いなる価値である。未知に足を踏み入れたときのあの感覚。全ての細胞が集中し、心臓が血液に揉まれて跳躍し、眉間が粟立つそれ。時には膜を破られる痛みを伴うけど、自分の世界と内側が拡張されていく体験には不可逆性の美しさと快感がある。記憶消してもっかい谷崎潤一郎読めたら私幸せだろうな。ちなみにエヴァは記憶ありで何度も見たい。消されたらとりあえずアニメから見始めて、最終話2話前くらいで絶対挫折してその後一生見ない気がするので。

2020年は未知との遭遇が少なかったと思う。いや、もちろん昨年(今もか)の状況は直近の人類史の中で言えばかなり未知なんだけど、未知の日常は意外とすぐに肌に馴染んでしまって、その制約は「また知ってる天井か…」の毎日を私にもたらした。ひいひい言いながら秋締切の賞に作品を応募して、そこからずーっと似たような仕事して、同じゲームして、本読んで、気付けば2021!?数字でかくね?となったところで意識を取り戻したわけだ。初体験が無いと日々の流れに区切りがつけづらい気がする。感動は一種の思い出として記録されるからかな。いや感動を伴わなくても思い出になるけど。吉祥寺の漫画喫茶のカップルシート、私はあの激痛を一生忘れません。

小さなことでもいいから、週に一度は未知を経験しよう!と意気込んで新年を迎え、とりあえずオーストラリアのブランドで4万円の指輪を買った。いや普通に買い物やんという感じだが、自腹でアクセサリーに1万以上払ったことがないのでかなり"シビ"れた。しかもECサイトの表記がすべて英語(当然)なので、果たして自分が正確な住所を正しい記入箇所に入力できているのかがめっちゃ不安。peypalで400ドル決済しちゃったんですけどこれちゃんと届くのか…と毎日メールを確認している。届いたらアップしたいな。
あと藤井風を初めて聴いた。良かった。MVによって人相が全然違うのでまだ完全に本人を捕捉できていないものの、AppleMusicに落としました。母親が好きそうだなーと思いLINEで教えてあげようと思ったら、半年以上前に逆におすすめされていた履歴を発掘した。しかもそのメッセージに返信すらせず別の話題に変えてた。こういうところなんだよな。外出自粛でコンフォートゾーンに引きこもるクセがついてる。反省した。心だけは自由に、どこでも行けるようにしておきたい。



【気づき】真新しい藤井風を聴きながら文章を書いていて思ったことがあった。聞き慣れない音楽聴きながらだと書けないわ。高校生からずっと聴いてる八十八ヶ所巡礼だとめちゃくちゃ集中できるのに。聞き込みすぎた音楽は無音や心音と同一となり、耳栓になってるってことなのか。なんかいいな~。お前らは俺の血液だ。

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