多面的な見せる自分と見せない自分
外面、内面を持つ人は多いと思う。その差があまりにあると良くないと思って、私は今までは出来るだけその差が無いように行動しようと心がけてきた。
今晩、友達とオンライン忘年会をやろうという事になっていて、それについて色々考えていたら、ふと気が付いたようにこの、人々の色々な面について思いが生じた。女性は自分の為や周りの人々の為にお化粧をする事が多いと思う、洋服を選んで見せたい自分や、見てもらう事を考えた自分の姿を工夫して外に出かけたり、人と会ったりする。男性も少なからず身の嗜みをして同じような工夫をしていると思う。
私はアメリカの小都市の隅に住んでいて、東京にいた時よりも普段の洋服などあまり気にしなくなった。また今年はコロナの影響もあって、自宅で過ごす事がほとんどで、身の嗜みを気にすることはとても少なかった。
今までも遊んでいたオンラインゲームでは機能が別に良くなるわけでもない外観を変えるコスチュームやアクセサリ、武器の見た目を変えるなどのスキンを買う事がある。あまり活発にオンラインでの交流をしているわけではないのだけれど、スキンなどをカスタマイズして自分が思った好きな格好をさせる事が出来ると、なんだか楽しい。
会社の会議で少し滑稽な事があった、ズームで会議をしていて上はスーツなのに下は短パンだったのがチラッと見えてしまった事。いつも真面目でクールな人なのに、奥さんから呼び出しがあって、可愛い応答をする所を見てしまった事とか。
で、これらの事と、多分今晩するだろうのカメラ越しのオンライン飲み会、見せる自分と見せていない自分に多面性があるなとおもった。現在沢山のSNSで、使い方によっては、特に有名な人は、色々な性質のSNSやその他の現実での多面をきちんと切り離して、それぞれの面での「見せる」と「見せない」を分けようとしつつ、それはドンドンしにくくなっているとおもう。大体十数年前までは一人一人の多面性なんてあまりなかったかもしれない。
お金を稼ぐために仕事をする者としての一面、家庭内での役割としての一面、ある人に恋をする人としての一面、職人や芸術家としての一面、一人で思いにふける思想家としての一面。そしてFBでの一面、オンラインカラオケでの一面、MMOのキャラクターを操るものとしての一面、その他のSNSでの一面。分けているようでわかれていない、でも同じではない。それぞれの面で見せたいもの、見せたくはない物が色々重なっていたり、相反していたりする。
意識が別れてしまっている多重人格とは違っていて、どちらかというと演技にハマる役者が色々な役を演ずる様な、でも演ずる具合は真剣にってな感じで。
今日はそのことについて思いついてしまい、考えてみたくなったので書きながら考えました。この事について何がもっと考えたいか少しだけはっきりとした気がする。