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日記 2021.9.23.

今日は休み。15:00から自動車の教習所に行くこと以外の予定はなかった。朝、同居人のけいやと等々力渓谷に行くことを決めた。そそくさと準備をして家を出ていく。

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最寄り駅までの道にて

・1 駅に向かう大通りには、マンションも多くたってきているが、年季のはいった民家もまあまあある。誰か住んでいるのか否かわからない。そんな3軒並ぶ交差点に差し掛かると、掃除機の音がきこえた。どうやらここに人は住んでいるみたいだ。

・2 今も残る民家もあれば、取り壊される民家もある。ここ1年で、3,4軒の建物がすっかりなくなっているのをみた。そんなすっぽり家がなくなった空間に、今まで見えなかった隣の建物の新たな一面をみた。室外機とベランダ。小さなベランダ。しかしよくみると小さな窓しかなく、人が外に出ることはできなさそう。室外機専用のベランダがこの世にあることを、はじめて知った。

・3 団地のそばを通り過ぎようとする。団地の前には2本の木があって、去年の冬にヒヨドリが10匹くらいエサを食べに群がっていた光景に目を奪われたことがある。その木が剪定されていた。その姿はテーマパークにある模型の木のようだった。

駅前のモスバーガーにて

・4 わたしは、照り焼きチキンバーガーを、けいやはかき揚げライスバーガー・新作のフォカッチャバーガーを注文した。ポテトのSサイズも頼んで二人でわけて食べた。フォカッチャバーガーを食べる側からみると、虫型の手作りのロボットみたいだった。

・5 店内のBGMがツボだった。おしゃれなジャズ調の曲なのだが、ふいに「えーらいやっちゃ、えーらいやっちゃ♪」と聞こえてきそうなフレーズが流れてくる。聞こえるたびにすぐ反応しては、ニヤニヤしていた。変だったと思う。

電車にて

・6 電車をおりるおじさんの帽子が目についた。形はチューリップハット。全体はレジャーシートみたいな灰色の素材でできている。つばの上に巻いてあるリボンの部分は、黄色い半透明の養生テープのようなものがぐるぐると巻かれていた。安定感はどうやってつくっているんだろう? 目にはみえない構造も知りたかった。

・7 2両編成の路面電車に乗り換えた。終着駅に近づくと、音がきこえた。一つは足下から「ストン」という音。ドラムのスネアの音みたい。もう一つは運賃箱から。ピピっ、ピピっ↓、ピピっ↑、ピピっ↑ (たしか音階であらわすと、ミミっ、レ#レ#っ、ソ#ソ#っ、ラ#ラ#っ)。なにかの切り替えのサインだと思うのだけど、まさか4回なるとは思わなかった。いつも乗るバスは2回くらいしか音がしないから。思いがけない音は、いつだっておもしろい。

・8 路面電車から次の電車に乗り換える。ドアが開いて待っていたのは、チワワらしき犬。男性の飼い主に抱かれてカバンのなかからキュウっと顔を出していた。しばらくしてみてみると、カバンからスポッと顔を出していた。うっとりとした目で眠そうにしていた。飼い主は写真を撮って、隣にいた同伴の女性に「かわいいね」と話しかけていた。

・9 3回目の乗り換えのため移動する。エスカレーターで持参の玄米茶のむ。どうやら粉末を多く入れすぎたようで、洗っていない水槽のようなにごった色をきていた。ザリガニとタニシが住んでいそう。味はじわりと渋かった。

・10 ふたたび電車に揺られる。窓から見えるのは、ととのった静かな街。それと裏腹に、電車はダイナミックに坂を上がっていく。思わずからだがふらつく。「このまちに足りないものはスピードだぜ!」っていう反骨精神みたいなものをなぜか感じた。

等々力渓谷にて

・11 こぼれる光が美しい。葉っぱと葉っぱが無数に重なって、地面に、川に、きらきらと、やわらかなミラーボールのように、照らしだされる。わたしはこれが大好き。

・12 渓谷のなかに、稚児大師という、弘法大師 (空海) の幼い頃の像がまつられている。短い階段をのぼった先の小屋に、像とさいせん箱と、稚児大師の功績が刻まれた木の立て札があった。道が狭いからか、人が並びはじめる。大きな神社でもないし、初詣でもないのに、人が並ぶのはもの珍しい気がした 。並んでいた人は、わたしとけいやも含めて、20~30代にみえる若い人が多くてカップルがそこそこいた。新しくできたケーキ屋さんに並ぶみたいに、なにか一つでもおもしろがろうと、ここに並んでいる気がする。それがなんだか不思議だった。

・13 さらに渓谷を進んでいくと、かなり高めの階段にさしあたる。階段にはつぶれた銀杏がへばりついていた。最後の一段を登りおえると、等々力不動尊というお寺があった。見上げると木づくりの渡り廊下がかかっていた。塗られた木も美しいけど、むき出しの木も安心感があって美しいなと思った。 

・14 お寺のお参りをおえて、売店でソフトクリームを買って、木のベンチで休憩する。目前には、おそろいのオーバーオールを着た、若いお母さんが座ってそのそばに娘ちゃんが立っていた。娘ちゃんは、アイスクリームをじっとみて、「食べたい」とドーナツ片手にお母さんに話しかけていた。くるくるとその場を歩きまわって土にさわる。瞬時にお母さんが止めにかかる。「ぱっぱってしなさい」と手を払うように促して、ウェットティッシュで拭いていた。

・15 2人、絵描きをしている人がいた。一人は50代くらいそうなおじいさんで、座ってキャンバスにお寺をスケッチしていた。もう一人は40代後半にみえる女性で、門の外に立ってスケッチしていた。わたしも絵描きになりたいなあと思ったけど、きっと2時間くらいしたら手がとまるんだろうなあと想像して、尊敬するにとどめることにした。

・16 寺を離れて、さっき上ってきた階段とは別方向にある階段を下ってみる。その先には土でできた道が開けている。歩きながら「この道いいわ!これですわ!」と興奮ぎみでけいやに話しかけた。赤みがかった土はほどよい固さで、ほんの少し湿っていて、やわらかい。足のかたちに沿ってくれているような感じ。 「持って帰って家に帰る道をこの土にしてやりたい!」と言ったら、「持って帰ったらただの土だよ 笑」と返されて、そうだなと思った。ここにじっといるから、なじむ土であり続けるのだろう。

・17 元々歩いてきた階段に戻って山をおりる。そう、わたしは「山をおりた」と思っていた。するとけいやは、「地下に戻ってきたね」と答えた。いままでわたしたちが歩いたきた渓谷は、ざっくりいうと、川が地面を削っていってできたものらしい。わたしが5階にいたように感じていた寺は、実は1階で、いまここを歩く渓谷の道は深い地下だったのだ。一人で歩いていたら気づかなかったこと。

玉川野毛町公園にて

・18 渓谷を歩くとたびたび出てくる「野毛古墳」がある方向をさす看板が気になっていた。最後にそこに行こうと決めた。地図通りに、渓谷を出て住宅街を歩く。ふたたび渓谷にはいると思っていた場所に古墳はない。困っているとまた看板を見つけたので、指し示す先へ歩く。渓谷をどんどん離れ、住宅街の中へ入っていく。本当にあるのかな? と不安になる。大きめの公園がみえてきた。どうやらここにあるらしい。中に入ると、甘食のかたちをした小さな丘で子どもやら大人が遊んでいた。「まさかこれは古墳じゃないよね??」けいやと確認しあっていると、「野毛古墳」と書かれた看板にさしあたる。これだったかー!!とふたりとも降参した。

・19 古墳に登りたい気持ちと裏腹に、喉がかわいたよと体がサインしていた。自販機を探す。公園だからすぐ見つかるだろうと思ったけど、ない。「あそこは野球場があるから、きっとそばにあるよ!」歩く。ない。「あの建物は事務局っぽいから、きっとあるよ!」歩く。ない。「あれも公園の施設っぽいけど、あるかな…?」…歩く。…ない。……………!あった!! あったといっても見つけたのは公園の敷地外にある、個人商店の脇だった。わたしは1年くらいマイボトルを使っている。たまに忘れてきた時に自販機を使うと悔しくて、モヤモヤした気持ちで自販機を利用していた。けれど今回は、すぐに何もいわず飲み物をくれる自販機がありがたいなと思った。これからもマイボトルは使い続けると思う。けど、もし自販機を使うときは悔しさだけではなく、お世話になりますって気持ちもちょっと持ちたいなと思った。

・20 ふたたび古墳に戻ってくる。登るための入り口を探すのだが、なかなか見つからず古墳のまわりをぐるぐる歩く。「いま古墳に登ってる人たちは選ばれた人なんじゃないの?」 けいやはおどけて言った。入り口が見つかると、「選ばれた!!!」と二人で喜んだ。頂上につくと、こんな風に遺品が保管されているよという旨が、看板と足場に刻まれていた。それを眺めているのはわたしたちだけで、子どもは遊び、大人はゆったりとしていた。カラスが「ここはぼくの縄張りだ!」と言っているように変な声をだして警戒していた。メガネをかけてスラッとした小学校6年生にみえる子どもは、興味津々で、恐れる様子もなく、カラスに近づいてじっと観察していた。その古墳は、すごくなじんでいた。観光地的に離れていない、遊び場として人々近くにある。さわれるし、踏むことができる。そのありかたが、とても気持ちよかった。わたしが死んで、この世にその跡が残るときには、この古墳みたいであったらいいなと思った。

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外に出た日記を書いてみると、なかなか止まって書く気持ちにはなれなかった。いまこの時を楽しみたいのだろう。

気がついたことは写真にとっておこうかなと思った。(1枚だけ、ロボ虫的なフォカッチャバーガーの写真をけいやが撮っていてくれた。)

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