見出し画像

やがて海へと届くを読んだ。

セブンルールで新井賞を知ってから、受賞作品を読むキャンペーンがわたしの中でゆるゆると続いている。


彩瀬まるさんの『やがて海へと届く』を読み終えたので、感想を書く。


その日は前日とは打って変わって、気温が高くなり、半袖一枚でもじんわり汗をかいてしまうくらいだった。コロナウイルスの影響で、マスクをつけて電車に乗っていた。
もし、新井賞キャンペーンを打ち出していなければ手に取ることのなかった本だと思う。
ポップを見ていたら、背表紙の要約を見ていたら、きっと私は読んでいなかった。

明るくさっぱりとした性格のすみれが東日本大震災でいまだ行方不明になっており、この突然の死を周りの人間がどう咀嚼して生きていくかがテーマとなっている。

奇数章は死んだすみれの親友の主人公、真奈が生きる現在。
偶数章は進んでいるのか進んでいないのか分からない、花や自然が沢山出てくる世界の話。

真奈はすみれの死を受け入れない事で、親友の死を身をもって背負っていたが、
すみれの恋人の遠野が形見分けをして同棲していた家を片付ける事や、
すみれの死亡申請をすぐにした、すみれの母の切り替えの早さも真奈は受け入れられなかった。

形見分けの時、遠野が真奈に言う。死んだ人間は歩いているんじゃないか。だとしたらすみれは自分たちより先にいるんじゃないか。
偶数章では自然の温かさと厳しさの間で確かに誰かが歩いていた。

*****

マスクをしていて良かった。コロナの影響でぽつぽつとしか乗客のいない電車でわたしは、ぼろぼろ泣いた。
身近な人の死を自分の頭の中から引っ張り出して思い出した訳ではなかった。
自分で自分を許すまじと必死な真奈の姿にただただ泣いた。


わたしには誰かの死と自分の行動のきっかけを結びつけてしまう節がある。

高校の時、部活を辞めた。その直後、わたしに野球の楽しさを教えてくれた小学生時代のコーチが亡くなった。
どうして、途中で投げ出してしまったのだろう。
コーチや、野球を始めた頃の楽しかった事を思い出せば、もう少し頑張れたのかもしれないのに。

後悔を胸に、大学は部活で選んだ。いつも応援してくれてた人たちに、頑張ってる姿を見せるために。そして自分がまた後悔しないために。


わたしにとっては思い出が決断の材料となっている。

誰かの死を悲しむことは出来ない。
悲しいのはその人との思い出があるから悲しいのだ。
死はただわたしの目の前に事実としてあるだけ。


コーチの死をその時の自分の後悔の涙と混同させて、大学選びの決断の片棒を担がせてしまったと言ったら、コーチはなんと言うだろう。
ガッハッハとあの大きな口で笑って許してくれるだろうか。







この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?