好きやけどさあ

 音楽が好きだ。難しいことは何にもわからないけど、好きだった。音楽は綺麗だから。
 別に、音楽は全てを忘れさせてくれはしないし、音楽を聴くだけでやる気がみなぎったりもしないし、音楽を聴いたら失恋の痛みが紛れたりもしない。ただ、音楽は暇つぶしになるし、それはつまり月並みな表現をすると、私の世界を少し彩ってくれるものである。だから好きだった。いや現在進行形で好きなんだけど。
 素直に好き、というのが辛くなった。才能も努力もないから。音感がないから音の高低なんてわからないし、リズム感がないから手拍子もできない。もちろん、音楽が転調したって気づかない、気づけない。かといって、今更理論を学ぶのももう嫌だ。どうせわからないのに。って思う。そんな人間が音楽を好きだ、ということがなんだか恥ずかしく感じて、言い難くなった。

 本当は、恥ずかしくなんてないことはわかっている。私と似た境遇の他人が音楽好きを自称していたって、私は絶対笑わない自信がある。普通のことだから。でも、自意識が邪魔をする。好きなのに何もわからない、何も知らない自分が嫌いで、好きということも嫌いになりそうで。もう嫌だな、と思う。音楽が得意な友達と、音楽の話をしたくない。したい。したくない。

 振り返ってみると、私の人生はそういうのばっかな気がする。似た事物を挙げていけばきりがない。

ファッション、メイク、髪型、態度、話し方、歩き方、座り方、笑い方、泣き方、怒り方、国語、数学、理科、社会、美術、体育、品性、知性、人との距離感のはかり方、家庭環境、幸福度、不幸度

全部中途半端だ。好きって言えるほど好きなのかもわからない、嫌いじゃないけど。 

 私の人生全般ダメだけど、ダメって言うほどダメじゃない。もっと詰んでる人はたくさんいて、そんな人たちの前で詰んだ!と嘆くのはきっと失礼にあたる。そんなわけないけど、そう思っちゃう。絶対良くないけど、そんなことになったら泣きわめくけど、もっとどうしようもないくらいダメだったら、アイデンティティ足るのになと思ってしまうときがある。短所にもできないようなダメ加減で、胸を張ってできませんと言えないダメ加減で、笑えず笑ってもらえないダメ加減で、私はどこに向かうのだろう。こんな中途半端な終わり方で、この話は誰のためにあるんだろう。

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