日記 おこられてるときに笑っちゃう

今わたし怒られてる、ってとき。
人はどんな反応をするのだろうか。泣くのか、怒るのか、真顔になるのか、黙り込むのか、叫ぶのか。
はたまた、笑うのか。

誰かを怒らせるのは、誰かに怒られるのは、私にとってとても怖いことだ。感情的に怒鳴られるのも、淡々と理詰めされるのもどちらも耐え難い。自分に非があるかどうかは関係なく、いくらでも頭を下げたいと思う。それでこの耐え難い恐怖から逃れられるなら。(といいつつ、実際納得できなきゃ謝りたくないとも思うけど)

そんな私の気持ちとは裏腹に、私は怒られたとき、ついヘラヘラしてしまうみたいで。みたい、だなんて他人事のようなのは、ヘラヘラするのに私の意志が伴ってないから。「人が真面目に話してるのにヘラヘラすんな!」と言われるけれど、そんなの私が一番思っている。今笑ったら余計怒られる、そんなことは今までの人生経験から分かりきっていて、笑おうだなんて思っていないのに。相手がヒートアップするにつれ、空気が冷えるにつれ、ヘラヘラしてしまうのだ。そしてさらに怒られる。

だから今日は、なぜ怒られてるのに、いや怒られてるからこそ笑ってしまうのかについて、じっくり考えてみる。


でも正直、考えるまでもないかも。怒られているときに笑ってしまうのは、多分私のプライドの問題なのだ。

そもそも、私は人に怒られているときに何をしても無駄だと思っている。私が何をしたって、相手がその溜飲を下げるに値しないのだ。と考えてしまっている。
これはおそらく、幼少期からずっと、親に怒られて、謝罪をして、それに対して「あんたの謝り方はうざい」みたいなことを言われる、というのを繰り返してきたからだろう。
誰かを怒らせたとき、瞬間的にできることは償いではなく謝罪だと、それしかできないと教わって生きてきたのに、同時に私の謝罪には価値がないとも言われてきた。おまけに、私は正しい謝り方を親から教わることができなかった。だから、自分の謝罪には価値がないと、怒られているとき私には何もできないと思っている。

その上で、何をしたって無意味なら、何かをするのはダサいとも思っている。これが私のプライド。謝ったって「うざい」と言われて終わるなら、謝り損だ。こっちが泣こうが怒ろうが真顔でいようが、言い返そうが受け入れようが無言でいようが、どうせ怒られる。何をしてもそれを理由にさらに相手はヒートアップしていくわけで、じゃあもうどうしていいかわからないし。どうしていいかわかんないなら何もしたくない。ダサいしだるいし。

そう考えて、そして気づいたらヘラヘラしているというわけ。




ここまで書いてみてなんだけど、私は自分の認識が間違っているのかもしれないと、ふと気づいた。

私は"笑おうだなんて思っていないのに気づいたら笑っている"と書いたけれど、それは違うんじゃないか。
私はたしかに、"笑おうと思って笑ってる"んじゃないか。

別に、謝ることは悪いことじゃない。親の言うとおり、私の謝罪は正しくないと自分でも思う。本当に申し訳ないだなんて、誠意なんて、とてもじゃないが感じられない。そういう謝罪をしてしまっている自覚がある。けれど、私は正しい謝罪の仕方を知らない。誰も教えてくれなかったし、誰に聞こうともしなかった。なら、間違っていてもそう謝るしかないし、それが全て無駄に終わるとも限らないだろう。私の謝罪の気持ちを、受け止めてくれる人もいるだろう。

そこまでわかっている。わかっていてなお謝らないのは、ヘラヘラするのはそれこそきっと私のプライドだろう。間違ったやり方でやって、それで相手をなおさら不快な気持ちにさせるなんて。間違っているのを知っているのにやり続けるなんて。自分の間違いにも気づかないバカだと思われるなんて。そう考えると謝りたくなくて、それでヘラヘラするのだ。なんもわかってないですよ、とそういうバカを自分から演じることで、相手に反省してないやつだと思われることに関して、自分自身を納得させているんだ。

少しわかりにくいかもしれないけれど、要は相手にバカだと思われるのが嫌だから、逆にバカのふりをすることで、"バカにされているのは実際の私ではなく虚像の私である。"ということにしているのだ。


反省できないやつのふりをしておけば、反省しているのに反省してないと思われる悲しみは感じない。だって誰からどうみても私は反省できないのだから。


最悪だ。気づきたくなかったなこれ。だってダサいじゃんこんなの。私はプライドに囚われてダサいことをし続けて、そして周りの人も不快にしてるわけだ。うっわー。気をつけたいなぁ。無理だろうけど。



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