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死と恋愛と家族愛

わたしは、死を感じる出来事が起こるたびに家族を思って泣いてしまう。

特に地震。わたしは地震が怖くて泣いているわけではない。南海トラフ地震、小学生のときから何年も何年も言われてきたし避難訓練なんて他の都道府県より厳しくたくさんやってきたと思う。

地震に対する危機感をしっかり持つことができていると共に死に対する恐怖も植え付けられている。

ひとり暮らしを始めた大学1年生の春から死への恐怖が増幅した。怖いのは自分の死ではなく家族の死。
わたしひとりがこの世界にとり残されることへの恐怖。置いていかないで、ひとりにしないでと思う。
まだ身近な家族の死を経験していないからこそ、強くそう思うのだろう。

なんて自分勝手だろうと思うけど甘やかされて育ってきたんだからしょうがない。家にはいつも誰かがいてひとりになることなんてなかったし。それなのに地震が来たらすべて一気になくなってしまう、いなくなってしまう。そんなことならわたしが実家に帰ってる時に地震がきてほしいし全員一緒に死にたい、といつも思う。

そんなことを思って泣いてしまう。
ひとりでいるときだけじゃない、彼と一緒にいる時でも泣いてしまう。彼のことは大好きだし一緒にいてとても幸せだし安心をくれる人なのに。
彼の目の前で、先に綴ったような言葉を放ってしまう。そうすると彼はひどく悲しいような顔をする。わたしが死んでしまうのが怖いらしい。彼はわたしにいちばんをくれるのに、わたしは彼にいちばんをあげられない。そんな思いでまた泣いてしまう。

家族が死んだらわたしはひとりになる、孤独になってしまうと思っているのだ。例え彼が隣にいたとしても。

家族愛をいちばんに考えていると言うと客観的に見たら素晴らしいのかもしれない。

わたしは家族に無償の愛をもらい続けている。そんな大きな大きな、なんの見返りも求めない愛をくれるのは家族だけだから、わたしの誕生を喜んでくれた家族だけだから、そんな愛を失うのが怖い。愛を失ってどうやって生きていくんだろう。見当もつかない。

彼からの愛を信じていないわけではない。わたしのこと、ほんとに好きなんだなあと何度も感じているし本当にそうなんだと思う。

ただ、恋愛と家族愛では安心感や永遠の絶対的強さがちがう。恋愛はいつか終わる。恋愛は性愛だし。彼氏なんて称号なにで証明できるんだ。恋愛や性愛は生涯生まれた時からひとりとは決まっていないから絶対はないのだ。例えそれが家族へ昇格したとしても無償の愛、永遠の愛は血のつながった家族同士でしかあり得ない。縁を切ることは出来ても血のつながりは断つことができないから。家族は生まれたその瞬間に、関係性が確約されるのだから。わたしの母は彼女しかいないし、父は彼しかいないのだ。それは全て血のつながりが証明してくれる。

少なくともわたしたち家族はそうなのだ。そして絶対的愛情をわたしに注いでくれている。

彼がもし、家族になったとしても離婚という選択肢はどこかにあるし絶対的愛情を信じて受け取ることはできない。それを信じてしまって、裏切られた時のダメージを受けたくないし、絶対はあり得ないから。

わたしの個人的な感想に違いないけど、わたしは家族愛ほど絶対的なものはこの世にないと思っている。どうしたら恋愛を100%信じられるようになるのだろうか。

てか、100%目指さなくてもいいのか。
いつも極端な思考をしてしまうんだなー。
でも絶対とか永遠とか100%とか、変化のないものを求めてしまうものなのだろう。わたしという人間は。
いや、人間誰しもそうなのかもしれないな。


しかし家族への執着は、悪いことなのだろうか。


2024.08.29

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