ここまで生きられたのは、半分noteのおかげ。
半冬眠日記#18・・・
もうすぐ仕事がつらくて死にたくなってた頃から丸3年経つ。
その頃は、自分が1年後に生きていることが全く想像できなくて。占い師さんに「あなたは40代では〜」って言われた時は「そんな歳まで生きてるんだ…!」って思った笑
今のところ、おかげさまで楽しく生きられている。それはじっくり3年間かけて自分が頑張ったのもあるんだけど、半分くらいはこのnoteのおかげ。
2018年頃にアカウントを作って、現在27ヶ月連続投稿を記録。つぶやきやアルバムも含めると、気づけば400記事になっていた。
今では書きたいことが思い付いたら、タイトルや文が、頭の中でカタカタカタ…とnoteの記事が書かれるほどになった笑 なんで日常の一部になっているのか「noteのおかげ」を分解してみる。
⑴日記だけど最低限、人に見せられる記事になる
自分だけがみるアナログな日記だと推敲しないし、思ったキーワードをただ羅列するだけだと思う。それだとただの記録でまとまらない。
noteだと、
「なるほどと思った」
「なんか良い感じだった」
という感想に「何に」なるほどと思ったのか?「なんで」なんか良い感じなのか?を考える事になる。ふわっとしたまま書いている時もあるけど。
人が読んでも通じる記事になることで語尾が締まると思っている。微々たる数だけど、スキをもらえると嬉しいし。多少は人の役になってるかもしれない。連続投稿でnoteさんから褒めてもらえるのも嬉しい。
⑵忘れたくて書く、覚えたくて書く
悲しいこと、イライラしたこと、リアルな人に言えないことはnoteにぶつける。書くとネガティブな感情は脳みそから追い出される。書いたものを読んで反省することもある。要は忘れたくて書く。
逆に嬉しいことや勉強になったことを書き留めておくために書くこともある。過去の記事を引用することもあるし、書くことで知識経験が蓄積する。要は覚えたくて書く。
noteはネガティブにもポジティブにも対応してくれる。
⑶自分の気持ちがはっきりする
就活の面接対策と同じように、一度考えおくと問われる場面が来た時にスッと答えられる。noteでまとめておくと、そうだ自分はこういう人間だったんだ、こういう気持ちで生きていきたいんだってわかる。立ち返る一つの指標になる。
似たような出来事を1記事にまとめることもあるから、自分の視点の関連性に気づいたりする。
⑷自分で撮ったフィルム写真が活用できる
自分が撮ったフィルム写真を「みんなのフォトギャラリー」にアップすることで、気軽に使えることも、使ってもらえることも嬉しい。使う場面がなかなかないから、こういう場所で光を当ててくれてありがたい。
⑸シャボン玉をビー玉に変えてくれる装置
思考には消費期限がある。同じことをずーっと同じ温度感で思うことはできない。怒りが落ち着いたり、逆に増したり、どうでも良くなったり、やる気が無くなったり。
書きたい!って思った時にスマホでかける。メモ程度でも残しておければ家に帰った後で書ける。下書きのまま、あまりに時間が経っちゃうと書く気がなくなって消すこともあるけど、少なくとも数日間の消費期限はある。
書きたいことが思い付いた時、「あ!」っとなる。ふわふわキラキラしていて「シャボン玉」みたい。でもそのままだと、頭の中をふわふわ漂って弾けて消えてしまう。それをコンパクトに、でもキラキラさは変わらない「ビー玉」に変えてくれるのがnote。
noteを通して出てきた言葉や気づきはずっしり重みを持っている。子供の頃、カラフルでジャラジャラしたビー玉は綺麗で、意味もなく紙の箱に集めていた。同じように、大人になってからも自分という箱の中にキラキラのビー玉を集めている。
note、自分の記録を楽しくしてくれてありがとう。
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