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【半冬眠日記】1.時間優先の生活

「時間優先の生活がしたい」

秋頃からフツフツと考えていたように思う。なので少し仕事が落ち着くであろう1,2月、労働量を減らして、やりたいけどなかなか手がつけられなかったことをやり尽くそうと決めた。


もちろん労働量が減る分、稼げるお金も減ってくる。お金足りない問題を乗り切るために、家計簿をつけて生活費を把握、生活費の無駄の洗い出し、豊かさ感受量の高レベル化、足りないものは自分で作る精神づくり、人から余っているものを分けてもらう人間関係の構築、などなど1年かけて下準備は積み重ねてきたつもりだ。


本当は完全に冬眠できたらいいのだけれど、そこまではできないので労働量は半分に減らす。なので「半冬眠」。気づきがあれば日記を書いておこう作戦。大変だけど書いたものは自分の財産になるからね。


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期待なんかせず迎えられる新年

11月~12月は、はじめの勢いという慣性の法則で乗り切った。日々淡々と緩めることも早めることもなく、詰まりがないように、気持ちを整えながら過ごした。具体的には部屋の掃除と自分への問いかけをしっかりした。



その甲斐あってか平和な職場で働くことができ、できる範囲で家の掃除をし、気の乗らない忘年会の誘いを断り、風邪気味になることもなく、穏やかに2022年を迎えられた。



もともとクリスマスや年末、お正月を全力で楽しみたいと思ってこなかった。イベントごとへの「期待」が薄い。年末年始は特に、仲間とのパーティや面白い番組、外食、プレゼント、旅行・観光などなど期待することが多い。絶対に楽しんでやろう、楽しまなきゃいけないっていう雰囲気についていけない。



そんな「期待」からくる「焦燥感」も好きじゃない。
過ごす相手がいない、楽しむためのお金が全然足りない、激混みの中のおでかけ。無駄に焦らされているように感じてしまう。恋人同士で過ごす意味とかクリぼっちとかわからんし。場合によっては親戚の集まりで受験や就職、結婚、子供について焦らされる言動を受けるかもしれない。



普段の気の使わない日常をひたすら送りたい。自分なんかは、だんだんと年末年始の特番の生放送ゆえのガヤガヤグダグダが見るに耐えれなくなっていったが、今はテレビ自体がないので平和そのもの。年末年始もいつも通り、21時に寝て5時に起きる生活。とことんケの日が好きなのだ。


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地域のちっちゃい神社へお参り

初日の出に期待することもなく、7時過ぎに近所のおっちゃんに教えてもらったお気に入りの神社へお参りにいった。その間にホームベーカリーでつく用の餅米を仕込んでおいた。

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道中、雪が綺麗だったので、ハマっているVaundyのとぅるるるを落書きしてみたり。

誰もいないので作中の小松菜奈ちゃんみたいにくるくるしながら向かう。


くるくるしながら周りに音がないと気づく。
正確には自分の足音と鳥の声と水の音だけ。清々しくて気持ちがいい。そういえば学校のプールでは自由時間に深ーいとこまで潜って音が遠くなっていくのが心地よかったななんて思い出す。無音に囲まれると今までの世界が音で溢れていたことに気付かされる。



あとは、人間ひとりでは生きていけないんだなって思った2021年だった。自然と人とのつながりがないと本当に生きていけない。お金があればなんでもできる、なんて人もいるかもしれないけどあれは錯覚だ。必要なのは「感謝」。それに尽きる。ま、お金も必要なんだけどね。できるだけ最低限で行きたい。

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そんなことを考えながら到着。畑の中に古い鳥居とちっちゃいお社があるだけ。いつも通り景色がとっても綺麗。叶えたいことのお願いというより、2021年の感謝と引き続き見守ってくださいなという挨拶。

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帰ってきたらちょうどホームベーカリーが蓋を開けてね!ってアナウンスしてた。めちゃ簡単すぎて最高。甘酒も作れると気づいてしまったのでホームベーカリーへの愛がより高まる。

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鏡餅。しめ縄用のみかんが余っていたので仕上げにポン!あとはきな粉餅と雑煮用へ。つきたて餅はやはりうままままい。

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年末にやりきれなかった大掃除の続きをしてたら、かわいいお隣さんが来てくれた。部屋でみかん食べて、外でつらら採りをした。


真中

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