拗らせ哲学 #01 友達は面倒くさい
最近急に「哲学」という分野に興味が湧いて、とりあえずとっつきやすそうな本から読んでいます。久々に読書が楽しい。
読んでいて思うのは、僕らが悩んでいることなんてとっくの昔に散々議論されているということ。技術は進歩しても、人間の考えなんて2000年以上前から殆ど変わってないようで。
でも「なぜ考えるのかを考える」のは楽しいです。僕は他人の意見に振り回されてしまうことが多いので、自分の思考を俯瞰で捉えて理解することはメンタルを安定させることに繋がる気がします。
そんな感じで楽しく読書をしているのですが、せっかくなので読む中で身近な問題があればInstagramでシェアし、みんなの意見も貰ってみようかと思い立ちました。今回はその回答をピックアップしつつ、「友達」について考えてみたいと思います。
僕は悩み込むことが多く「また拗らせてる」と言われがちなのですが、個人的には哲学してる気分なんですよね。ということで題して『拗らせ哲学』です。
友達って面倒くさい?
たまに思うんです。「友達関係って面倒だなぁ」と。
友達がいるって幸せなこと。遊びたい時に一緒に遊んでくれる人、話したい時に話を聞いてくれる人。そういう人と巡り会えるのは幸運以外の何者でもないですよね。でも、だから無視できないんですよね。
人間どうしても遊んでられない時があります。僕の場合は展示前とか心身ともに余裕がなくなります。そういう時期って、普段遊んでいる友達とも疎遠になりがちで。というか自ら距離をつくります。
どんなに忙しくしようと、SNSでは相変わらずの日常が流れていて、楽しそうに遊んでいる友達の姿を見ては「俺はそんな事してる場合じゃないから」なんて言い聞かせて目を背ける。本当は遊びたいんだけど。
かといって「一緒に遊ぼうよ!」と言ってもらえても遊ぶ余裕がないし、返事すら億劫になる(それぐらいはしろよと思うけど)。結局は友達を“遮断”した方が楽だなんて考えに着地してしまう。
こういう時って、友が敵になったような気持ちになって。そのたびに「僕って酷いやつだなぁ」なんて思うわけで。そして最後にはこう言うんです。
友達って面倒くさいくない?と。
理想の友情を植え付けられている?
この友達が面倒くさい現象についてInstagramのストーリーズで質問してみました。「友達を面倒くさいと思うのはいけないことか?」「理想の友情とはどんなものか?」という内容です。以下実際に投稿したストーリーズ。
まず、面倒臭いと思ってしまうことにはどの方も否定的ではなかったようで(否定的なひとは回答もしないでしょうけど)、みんなも同じように面倒に感じてしまうときがあるのだなぁと少し安心。
・人間関係自体が面倒。面倒じゃない関係なんてない。
・お互いに面倒なこともさらけだせる。友達は面倒同士。
と、そもそも人間関係が面倒なものだからっていう意見もあり共感。
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そしてもう一つ、「理想の友情」についても色々と意見をいただきました。例えば
・ずっと変わらない距離感でいてくれる。味方であり家族。
・泣きたい時に何も言わず側にいてくれる。
・自分を犠牲にしてもいいと思える人。
・与えなくてもそばにいてくれるひと。
・頼り頼られ、心地よくもたれられる。
・迷惑をかけあえる。
・同じ空間で無言でいても居心地が良い。
・共感できなくても理解しあえる関係。
阿吽の呼吸。絶妙な距離感。「理想の」と聞いたのでそりゃこういう回答になるし、僕も理想といえば似た回答をしていたかもしれません。でも改めて考えてみると、僕らは友情を美化しすぎているのかもなと思いました。もちろん実際にこういう友達を持つ人もいるだろうし、それが最高なのは間違いないので、この回答が間違っているというわけではないですよ。
ただこういう関係が現実的にあるかと言われれば、個人の感想では「ほぼない」です。(僕がないだけかもしれませんけど)回答の中にも似たような人がちらほら。
・「友情はいい」という概念をメディア、外界から植え付けられている。
・辛い時は駆けつけるよってのが理想だけど世の中もっと淡白。
これはドラマや映画で散々「理想的な友情」を見せられているからなのかもしれません。例えば身を呈して自分を守ってくれるとか、ピンチの時は何もいわずとも助けにきてくれるとか。
そかしそれは、友情というより愛情なのでは?そもそも友情なんてなくて存在してなくって全ては愛情への過程?友情と言えるものがあるならいい意味で利用できる人間関係なのでは?なんてことまで考えてしまいました。
そして僕は思いました。もしかしたら僕らが望むべきなのは「理想の友達」ではなく「ちょうどいい友達」なのではないだろうかと。
ちょうどいい友達ってなんだ
じゃあそのちょうどいい友達ってなんだろう。そもそも人間関係って何をきっかけに生まれるんだろう。いくつかに分けて考えてみました。
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①利益が一致する友達
一つ目はお互いにとって良い影響を与えるかどうかです。あえてドライな言い方ですが「利用しあえる」関係(利用するといっても相手を陥れるとかではないですよ)が一つの友達の形としてあるのではと思います。
例えばサッカーをしたい少年がいたとして、1人ではドリブルやリフティングの練習しかできません。そこにもう1人サッカーが好きな子が現れたら、パスやトラップ、1vs1の練習ができるようになります。そうすればスキルもアップできるしお互いに「利益」がありますね。
ただしもしもう1人の子が野球がしたかったら?おそらく一緒にサッカーすることにはなりません。もしかしたらすごく優しい子で「野球は今度でいいからサッカーしよう」と言ってくれるかもしれませんけど、お互いの練習時間は半分になりますし、「昨日はサッカーしてくれたから今日は野球してあげよう」と気を使うことになります。
もちろんそれもまた思いやりがあって素敵なことかもしれませんけど、お互いに気を使い続けるのも難しいでしょう。それよりもお互いに目的が合致したほうが良い関係を構築できる。チームのような存在ですね。
面倒くさいから友達はいません。話したい時はチャットアプリ。
という回答もありましたが、これも「話したい」という互いの欲求を満たしあえるので、一種のチームワークと言えると思います。
ただし、一方が違う利益を求めてしまったらこの友情を終わりを迎えます。でもそうなったら仕方ない。永遠に続く友情もそうそうありませんから。(かなしいけど)
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②自分にとってプラスになる友達
二つ目は単純に自分にとって良い影響があるかどうか。1つ目と少し似ていますが、一緒に高め合うという感じではなく、ポンと背中を押してくれるような友達です。
・なにかを始めるときバカにせず「いいじゃん」と応援してくれる。
・何かあれば一番に話を聞いて欲しいと思える人。
という回答がありました。こんな感じで自分の気持ちをポジティブにしてくれる人っていますよね。たとえ普段から密な交流がないとしても要所でエネルギーをくれる人。また成長を祝福してくれるひと。それも友情の形だと思います。
リスクがあるとすれば、相手に負荷をかける程の背中ポンを求めすぎるとウザがられるということです。極端な話「毎日寝る前に私のこと最高だって言ってよ」とお願いされたら正直面倒ですよね。恋人ですら続くか怪しい。
そういった点では、相手が人間じゃなくてもいいわけです。本、映画、学習アプリなど、自分にポジティブに働くのであればそれも友情と言えると思います。いくら求めてもウザがられません。
猫だって一緒に暮らせば癒されるわけですから友達です。でも猫は人間に近いですね。求めすぎるとウザがられます。距離感は重要ですから。下手すると怪我しますし。猫と暮らしている人は人間との距離感も絶妙な人が多いきがする。。
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③タイミングが会う人
三つ目はただただタイミングが会う人。個人的になるほど確かにと思える回答が多かったのはこのパターンでした。
・結局タイミングが合う子がずっと友達。
・会いたい、話したいと思った時に連絡できる人。
・みんな生活リズムが違うのが前提。その中で合う人が友達。
・その人を思う瞬間だけ友達。
・何も考えずとも結果一緒にいるひと。
理想を考えれば「離れている時も友達だね」なんて思いがちです。が、実際は離れている時もその人のことを考えるのは大変です。みんなにはみんなの生活があります。そもそも離れている時もその人のことを考えるのであれば、それは恋や愛ではないでしょうか。
そうじゃなくて、タイミングがあう瞬間を楽しめる人。会っていない時間なんてどうにもならないし、どうでもいい。接する瞬間を楽しめれば十分だよという考え方。
ずっと誰かと繋がっていないと不安な人もいるかもしれません。SNSには誰かが必ずいるので、依存してしまう気持ちもすごくわかります。でも、依存してしまうと相手にとって負荷になってしまいます。もしずっと繋がってくれる人がいるなら、それは生涯のパートナーとして迎えるべきです。
・お互いに無関心な関係
・依存しない関係
という意見もありました。「無関心とかそんなん友達ちゃうやん!」と思いがちですが、もしお互いにそこまで関心がないのにたまにご飯食べたり「今日は寒いね」なんて言いながら散歩したりして楽しめる人がいたら、それはそれで最高な気がします。めっちゃ楽やもん。
面倒にしてるのは結局自分
最終的になんじゃそりゃという話になりますが、友達関係を面倒にしているのは結局自分以外の誰でもないです。僕らは理想的な友情を求めるばかり、相手に何かを求めてしまっているのではないでしょうか。
考えてみても人間関係で悩むことって、「会社で嫌な人と無理にでも過ごさないといけない」とかいうのを除いたら、恋愛しかない気もします。なぜ恋愛が苦しいのかというと、相手に何かを求めているからだと思います。
私のことも好きになってくれるのか?あなたの事が四六時中気になるのに貴方は違うの?一緒にいたいけどそれを伝えたら逃げられるかもしれない。
という感じで、相手にも愛を求めてしまい、不安もつきまとう。だからしんどい。面倒くさい。これを友情にも持ち込んでしまっている人が「友達は面倒だ」と思ってしまうのかもしれません。そもそも友達の誰かに恋していて、それに気づかず「友達が面倒だ」と言っている可能性もあり。
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最初に僕は「人間遊んでられない時がある。そうなると友達が面倒くさい。」と言いましたが、そもそも遊んでられない状況を避けるのも人間関係、そして何より自分の機嫌を損ねないためには大事なのかなと思います。
友情に悩んでしまう僕らは、もう少しドライに考えるぐらいがうまくいく気がします。結局は他人なんだから、分かり合えないのが当然。理解しようとしなくてもいい。なのにタイミングが合う人がいたら、それで十分。
最後にこんなことをつらつらと書いた僕に刺さる回答で終わります。
理想なんてない。考えるからあかんねん。
すみませんでした。それではまた!
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