手作り焼き餃子

先日1人で餃子を作りまして。

これが、とても寂しい。餃子は美味しいし正義だ。SNSのプロフィールにまるで肩書きのごとく「餃子」と書く人がいるぐらい、国民的な食べ物。でも、1人で食べる手作り餃子はセンチメンタルな味がする。

スーパーで買った冷凍食品のを家でチンしたり、王将のを買って帰ってきたりもしたことがある。美味しいなぁと思って食べる。でも「手作り餃子」は別なんだ。

味は美味しいし、美味しいと嬉しい。でも、寂しい味がする。そんなものを包んだ覚えはないのに、寂しい。

昔友達と餃子パーティをした。上手に包めないとか、皮が破れたとか、見た目が悪いとか、でも結局めっちゃ美味いとか、そういうのがものすごく鮮明に記憶されている。その記憶が嫌でも蘇る。その記憶と現在のギャップが寂しい味の正体で。

手作り餃子は1回作ると30〜40個になるのでもちろん食べきれず、冷凍して置いておくのだけど、それを焼くたびにまた同じ気持ちになる。あぁ餃子パーティがしたい。

しかし不思議なことに、水餃子にすると寂しさが半減する。「焼く」という工程も大事な思い出になっているから、それをスキップすることでいくらかマシなのだ。

緊急事態宣言も解除された。まだまだ油断ならないけど、みんなお出かけする予定を頭で立て始めているよね。みんなは何がしたいですか。僕は餃子パーティがしたいです。

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