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#2 聞こえなくなった声を聴きにいくために。

小さいころから、しんどくなったら「帰りたい」と無意識につぶやく癖がある。お家にいてもそう。
「どこに帰りたいの?」と聞かれると、言葉に詰まる。日本?出身地のアメリカ?家族のところ?わからない。どこに帰っても、「帰ってきた」と感じられない。いつからかそう思う。
 
帰る場所がどこかわからない。住所がわからないまま彷徨っている。そんな迷子の自分が怖くて、自分と向き合うようになった。自分と話して、何がほしいのか、何が苦手なのか、何が好きなのか知ろうとした。
少しずつ分かってきた気がした。言葉が輪郭を描く。言葉は細かく、柔らかく、鋭くなっていく。聞くと聴くは違う。目と眼は違う。ひとりと独りは違う。
 
でも。言葉で触れない自分を言葉で掴もうともがいているうちに、自分を掴む手は乱暴になっていった。自分の声を傾聴しているつもりが、無理やり言葉をはかせてしまっていた。そのことに気づいたときには、もう手遅れ。
自分を説明しろと言われたらいくらでも言葉を紡げる。だけど、吐き出す言葉に温度がないように思えて、自分のもののように感じない。自分の中のキラキラした何かが見えなくなってしまった。常に周りの世界と人に興味津々のはずだったのに、そんなワクワクが隠れてしまった。
 
尊敬している先輩にこのことを相談をしたら、こんな答えをもらえた。
僕は葉っぱばかりを成長させようとしていて、根っこが育ちきっていない植物みたいだと。根がしっかりとしていないから、いまにも自重で倒れそうなのだと。
 
そうか、根っこを伸ばしたいのか。なぜか腑に落ちた。しっくりくる言葉だった。自分の声をしっかり聴きたい。心の温度を戻したい。そう思うようになった。

モンゴルで聴くということ

国連加盟国で一番人口密度が低い国、モンゴル。日本語はもちろん、英語もなかなか通じない。自分が住んでいたアメリカ、日本、イギリス、すべての国から遠い。物理的にも、文化的にも、精神的にも。

遊牧民と都市民が混ざり合い、共存しているモンゴルは、自分の中の言葉を話せない部分にすごく近いはずだと思う。息が吸いやすそうだ。空が広くて、日当たりが良さそうだ。のびのびと根っこを伸ばせる気がする。

どんな人がどんな生活をしているのだろう。誰とどんな話ができるのだろう。モンゴルに行くのが、すごく楽しみだ。

こんにちは。

はじめまして。慶應SFCに通う1年生です。お散歩が好きです。猫派です。夏は所属している学生団体S.A.L.のスタディーツアーでモンゴルへ渡航します。

Noteではモンゴルで起きた小さな出来事を中心に、奇をてらうわけでもなく、かしこまりすぎるわけでもなく、考えたことを残していきたいです。読んでくれた誰かのための文章を書けたらなと思っています。よろしくお願いします!

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学生団体S.A.L.とは

国際問題啓発団体を自称しているが、実態として活動の幅はより多岐にわたる。フリーマガジン制作や、ドキュメンタリー制作、インタビュー活動から教育支援活動まで、多様で幅広い活動を行う10プロジェクトからなり、長期休みには、国内外のスタディーツアーを実施している。色々な視点、色々な方法で世界を肌で経験し、自分の世界を広げることができることのできる場所である(寄稿者主観)。

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