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メンヘラが選ぶガチ鬱の頃に書いていた日記5選

この日記たちは高校卒業後特にやりたいこともなく元々バイトしていたコンカフェで食いつなぐ日々を送っていた18歳の頃の私が書いたものです。特にどこにも公開するつもりで書いていなかったし全て駄文ですので興味のある方のみご覧ください。


【過去日記1】
人の不幸話を聞くと、本気で苛立ってしまう。うざいとか興味ないとかではなく、本当にムカついてしまう。そして気の許す相手にその手の話をされると既に不幸な人間に追い打ちをかけるように罵詈雑言を浴びせてしまう。気の許すというかそこまでしても自分を好きでいてくれる人間に。不幸話に苛立ってしまう理由はなんとなくは察してて、自分の憂鬱や希死念慮を肯定する材料が自分には無いからだと思う。死にたいに理由がただ欲しい。死にたいと言えるほどの経験をしている人が妬ましい、なんの不幸もないのに死にたい自分が酷く惨めで脆いように思える。だからどうしても陰険でいてもいい理由がある人を貶めたくなる。不自由なくちゃんと育てられたつもりなのに結局出来上がったのは空っぽで何も信じられなくなった自分なのが嫌で、八つ当たりすることしかできない。これ以上ないくらいの弱い人間が自分だって感じる。

【過去日記2】
いつからか人と真面目に会話が出来なくなってしまった。将来のことを話そうとすると悲しくもないのに涙が出てきて会話が出来なくなる。本音が自分の口から話せる時は酒に酔っている時かブロンで遊んでいる時位しかない。そんな酩酊状態で真面目な会話など出来るはずなく普段とはかけ離れた自分でないと本当に思っていることも口に出せないという矛盾を抱えてしまっている。欲しい言葉をくれる人とばかり話して自分の思ってることを伝えるべき人には何も伝えられない。ずっとそんな感じで生きてる。いつだって都合のいい人はまともじゃなくて嫌な話ばかりしてくる人はちゃんとした人間なんだなって分かってるのに。どうでもいい人にばかり大事な相談をしてる気がする。酒や何か正気を飛ばせるものに依存するのは不完全で弱い人間の性でどうしようも無い。シラフでいないのは本当の姿の情けない自分が霞んで見えなくなるみたいで安心する。何も酒を飲んだりしなくたって嘘をつくだけで、陰険で最悪な自分が消えるようで少しだけ自分を好きになる瞬間が来る。嘘つきで正気じゃない自分の中に元の形なんてひとつもないから。ずっと自分として生きるのが限界で現実を消したくて理想だけ見ていたくて、だから自分が自分じゃなくなる瞬間に酷く依存する。

【過去日記3】
自分のことを他人に興味が無い、と自負していても口に出すとなんだか痛い人間になってしまうから自分で思ってるだけだった。けどそれが自他共に、になった事があって友人に「貴方は人に興味がないよね」と叱責されてしまった。それを聞いたところで ああ、やっぱりか としか思わなかったけどずっとその言葉が頭に残っていて自分の中身の無さみたいなものは他人に伝わっているのかと思うとまたすこし人と関わるのが億劫になった。他人に興味が無いっていうのは酷く寂しくて自分に酔ってるということでもある。普通に暮らしていて、口から出る言葉は嘘ばかりで本気で人を想えない。なにかに全力になったことも、大して努力をしたこともない。成功も失敗も無くてただ間違いなく生まれてきたことだけは間違いだって思いながら生きてる物凄く弱い人間。虚栄を張った裏側の本心とかもそんなになくて、ずっと自分の狡さや嘘をつくしんどさだけが募ってく。そんなものを募らせた先に大成なんかない。上手く生きられないなんて嘆いて、本当に見るべきものから目を逸らして腐り落ちていくしかない。そういう未来だけが想像できる限界だ。


【過去日記3】
まだ卒業したばかりだが、自分には本当に学校という場所が向いていなかったのだなと痛感することが多々ある。小中高と合わせても3年間程度しかまともに通ったことがなく通っていた時期もほぼ毎日遅刻という感じだった。学校 からの恩恵をあまり受けずに大人になろうとしていることは少し不安だが無いものは仕方ないかなと割り切れている。いつか後悔するのかもしれないけど、少々無理して通っている人や毎日楽しそうな同級生をみても青春とかいうものに価値を感じられたことは12年間で1度たりともなかった。ただ何となくそういう思考と圧倒的に足りない経験が自分の中の何処か空虚な所に詰まってると考えることもある。毎日生きている気がしなくて自分の将来も明日さえも他人事みたいに思えるのはきっと何かが足りないからなのか。

【過去日記4】
そこそこに人付き合いできる方だと自負しているが上手くできたことがないのが恋愛。モテないとか、人を好きになれない、とかではなく人並みに恋愛経験はあり人に好意を抱くことも少なくないのですが上手く恋愛できた試しがない。一人の人を愛しすぎてしまったり依存先を分散したいが為に気がつけば複数人と交際関係になってしまったり。極端なんですよね。人を愛することを自分の人生の中の余暇に出来ない。全てになっちゃう。そういうことが多いから、やっぱり愛されたいがそこにあるだけで人への好意や恋愛感情なんてないのかなと思ってしまう。恋なんか程よくやるのが1番と分かっていながらも誰かが愛してくれなければ生きてる意味が見いだせない。自分を自分で肯定できないからその分の穴が埋まらなくて恋愛すると誰かに依存してしまう。特に愛を受けずに育った訳じゃないし恵まれている環境がありながらも孤独に陥るのは結局ただ酔ってるだけだと思う。愛されたいだけが先行すれば相手のことを思いやれない。


【過去日記5】
在り来りなことだけど普通って難しいなって思うことがありました。何となく昔から、不自由するほどじゃないけどみんなと自分のズレを感じることが多くて引きこもっていた時期もあり自分と向き合う時間が多かった。高校から外の世界に出てみて(自分の中で普通だったことが全然普通じゃない!)と苦しくなりました。そして物凄い勢いで居場所がなくなり速攻で学校に行かなくなったのですが、3年弱バイト生活をして色んな人と触れて一般的にこう、普通はこう、みたいなのを少しづつ知って(なんだか、最近普通っぽくなってきたかも!)と思い以前より他人と接するのが苦しくなくなってきたと感じていた時でした。仲の良い親友に「なんか最近普通っぽいね、貴方は私と同じと思ってたんだけど」という旨を話され失望されたかのようなショックがありました。(実際そういう意味で言ってるかは分からないけれど)なんだか、そういうのもあるのか、って感じで普通って難しすぎる。ズレてると生き辛いし、普通だと親友を裏切ったみたいになるんですよね。人と関わるのが怖くなって、振り出しに戻った気持ち。

【あとがき】
まず、ここまでお読みいただきありがとうございます。
当時を今振り返ると他者に見せる理想であり素敵な自分と実際は空っぽで他人に関心など無い自分の二面性にとても憤りを感じていたのだと思います。人はそういうものだろうと折り合いはつけていたものの友人からそれを見抜かれた時にひどく苦しくて仕方なかった憶えがあります。今でも時折思い出しては虚しくなることもあります。
ただ同じような気持ちを持っている人がもしいるのなら、自分と似てるものを分け合える人がもしいるのなら、そう思って少し気恥ずかしいですが公開しました。

死ぬなとは決していいません。実際に私はずっと希死念慮や自殺願望を持っていてそれは今も変わりません。ただ自殺という行動に対する捉え方が変わっただけの話です。
心苦しさみたいなものは我々に辛い過去のトラウマが、悲しいという感情が、人といて生きていく以上どうしても付き合わなければならないものです。だから辛かったら死に逃げしても別に構わないと私は思います。誰も救うつもりはありません。結局は自分の中には平たくいうと損得勘定しかないです。
でもそれでも別にいいという事をただ知って欲しかったです。

終わり

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