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NISAの前に知るべき「投資」と「ギャンブル」の違い

「ギャンブル化」してしまう投資

日銀による想定外の利上げをきっかけに、この1週間で為替相場は1ドル152円から142円まで下落し、3万9000円台だった日経平均株価も一時3万1000円台にまで暴落した(8月5日時点)。

わずか0.25%の利上げでこれほど相場が動いた背景には、アメリカ経済の減速への警戒感が高まったこともあるが、個人投資家による投機的なポジションの積み上がりも一因であろう。

投資商品を勧める際に、「投資はギャンブルではない」と言う者もいるが、一歩間違えればギャンブルになる側面もある。そうならないためには、投資というゲームの正体を知ることが重要だ。

投資によって儲ける際、その利益は主に2つの要因からもたらされる。1つは投資先の企業の利益であり、もう1つは他の投資家からの支払い。

① 企業の利益
企業が利益を上げると、その一部を配当として株主に支払うことがある。
いま、企業が画期的な製品を開発すると、会社の業績が伸びることが期待される。将来、株主が受け取る配当の増加も予想され、株価が1000円から1500円に上昇することもある。この場合、配当が支払われるまで株を保有し続けて利益を得ることもできるし、1500円で株を売却して500円の利益を得ることも可能だ。

② 他のプレーヤー(投資家)からの支払い
新製品が思いのほか売れずに利益が増えなければ、配当も増えない。株価は元の1000円に戻る。しかし、そうなる前に株を1500円で売っていれば、500円の利益を得ることができる。この利益は他の投資家が1500円で買ってくれたおかげで実現したものだ。

このように、投資での儲けは、①企業の利益もしくは②他のプレーヤー(投資家)からの支払いによって成り立っている。

一方のギャンブルは、プレーヤー同士でお金を奪い合うゲームであり、その儲けは他のプレーヤーから支払われているものでしかない。

つまり、投資とギャンブルの違いは、企業の利益の存在にある。厳密に言えば、企業の利益が“増えているか”という点である。

業績の予想(①)に変化がなくても、買い手がいれば株価は上昇する。1000円だった株価が1500円に上昇すれば、500円の含み益が存在するため、株主は喜ぶ。しかし、このまま保有しても配当が増えるわけではない。この株価上昇の利益を実現するためには、1500円で買ってくれる別の投資家(②)を見つける必要がある。

株式市場では株価は刻々と動いている。企業の利益(①)の見通しが変わらないにもかかわらず、その動きの中で儲けようと一喜一憂するのは、別の投資家(②)から儲けようとするギャンブルと同じなのだ。

誰もが安く買って高く売りたいと考えるが、それを実現できるのは半数だけ。のこり半数は「安く売らされて高く買わされる側」に回る。

「ギャンブル投資家」が増えると値動きが激しくなる

政府が「貯蓄から投資へ」と勧めている背景には、賃金などの労働所得を増やすのが難しいため、配当などの資本所得を増やそうとしていることがある。これは①によるものだ。

政府が推進するNISAも長期的な資産形成を目的に作られた制度である。今日や明日に株を売却するわけではないので、日々の値動きに振り回されることなく長期的に少しずつ積み立てていくことが重要になる。

また、株価変動を安定させるためにも、長期的に株を保有する人々の存在が必要だ。

「株式持ち合い」という言葉があるが、これまで日本では企業同士で株を持ち合うことが多くあった。株を持ち合っている間は安定的に保有されているため、売買されることは少なかった。しかし、現在では持ち合いを解消する動きが進んでいる。

株を保有する者が、安定保有してくれていた企業から、NISAなどで株を購入する個人投資家に移ると、どうしても変動が大きくなる。

なぜなら、こうした個人投資家の中には、積み立てNISAを利用した長期保有目的の投資家だけでなく、日々の値動きに一喜一憂しながら売買する者も多く含まれているからだ。日経平均株価が4400円を超える過去最大の暴落を起こした原因の一つとして、個人投資家による信用取引の増加が指摘されている。

4万2000円を超えた日経平均が1カ月も経たずに1万円も下落したことで、長期保有目的でNISAを始めた者の中には、NISAを解約した方が良いのではないかと動揺している人も多い。しかし、こうしたときこそ投資の目的を振り返り、足元を見つめ直したほうがいいだろう。

また、株価自体の変動が、企業の提供する価値を表しているわけではない。株が暴落すると、「莫大な富が失われた」という表現が使われるが、本当の意味で富が失われたわけではないのだ。


長期的に高めるべきなのは「値段」ではなく「価値」

資産価格の変動に振り回されないために、小説『きみのお金は誰のため』の中でも、長期的に増やすべき「価値」について、先生役の「ボス」が1990年のバブル崩壊を例に説明している。

「アフリカの話を聞いていると、生産力やインフラの蓄積など、実体あるものが生活を豊かにしているとよくわかります。ですが、日本にいると、土地や株の価格が暴落したときにも、『莫大な富が失われた』と言いますよね。こうした値段の蓄積も大事なのでしょうか?」
「グッドポイントや」
ボスが体を起こして、人差し指を立てる。
「生活の豊かさは、一人ひとりにとっての価値の話や。価値と値段は、区別せんとあかん。たとえば、そのどら焼きにはどれくらいの価値があると思う?」
優斗はすかさず答えた。
「1個200円でしたよ。っていうか、さっきボスからお金もらうときに、話しましたよね。1個250円のどら焼きを、おばちゃんが200円にまけてくれたって」
ボスが笑いながら否定する。
「それは値段の話やな。どら焼きを売るお店にとっては、間違いなく200円の価値がある。そのお金が手に入るからや。ところが、優斗くんは売る人やなくて食べる人や。君がどら焼きを食べて手に入れたのは幸せや。それが価値や」
(中略)
「同じように、土地の価値は、生活の快適さ次第ということですね。水道や道路などのインフラが整って便利になることが大事で、土地の値段は関係ないということなのでしょうか?」
「みんなが便利やと思う土地は、みんなが欲しがるから結果的に値段は上がる。せやけど、その逆は成り立たへん。土地の値段だけ上がっても便利にならへんし、値段が下がったと言って、急に不便になるわけやない」
ボスは1990年のバブル崩壊を例に挙げた。2500兆円もあった日本の土地の総額が、5年後には1800兆円程度まで減少したそうだ。
戦争や災害でインフラがボロボロになったせいで値段が下がるなら問題だが、ただ値段が下がっただけでは、社会の蓄積が失われるわけではない。このときは、みんなが不安になって不景気になったが、土地の住みやすさが損なわれたわけではないと説明してくれた。
(中略)
「お金に目がくらむと、その当たり前を忘れてしまうんや。土地だけやないで。株でもなんでも同じや。全体を考えれば、値段自体が上がることには大した意味はない。それよりも、未来の幸せにつながる社会の蓄積を増やすことのほうが重要や」

『きみのお金は誰のため』126ページより

投資がギャンブルにならないためには、企業の利益が増えることが必要と書いたが、この企業の利益は、将来の消費者が支払うものだ。私たち消費者は、自分の生活が豊かになることに対してお金を支払う。

株などの投資は、個人のお金を増やすことが目的になりがちだが、会社の成長は将来の消費者である私たちの生活を向上させるものである。

社会全体を俯瞰して見ることで、投資というゲームの正体も見えてくるのではないだろうか。


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お金や経済の話はとっつきにくく難しいですよね。ここでは、身近な話から広げて、お金や経済、社会の仕組みなどについて書いていこうと思います。 …

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