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子供に対する終わりのない期待について

1歳の子供がいる。最近、よその子供と自然と比較している自分にショックを受けた。

自分が気にしていたのは発達度合いだ。具体的には、歩行能力や情緒面で他人と比較をして心配をしてしまった。これはまずい兆候だなと感じた。

なぜならば、子供に対するこういった期待は終わりがないからだ。他者と比べて劣っている点を見つけて不安がる行為は、本当にその子を心配しているわけではない。全部自分のための感情だ。

幼児期には運動能力や言語能力を心配し、小学校に上がれば通知表に一喜一憂し、その後は受験でどの高校・大学に行くのか、卒業後はどの企業に入るのか。期待し続けて、本人の人生を邪魔することになると思う。心配したり期待したりするのではなく、支援したり信頼したりするのが仕事なんじゃないか。

原点に戻ろう。

産まれるまでに考えていたことは何だったのか。

「健康に産まれてくれさえすればいい」

多くの人が同じことを考えていたのではないか。一番に願うのは生存、そして生存し続けるための健康。1日でも健やかに生きてくれればいいと願っていたはずだ。それなのに健康に産まれたら、今度は能力を際限なく望むのはなんか変だ。

子供に能力を望むのは、そもそもは「衣食住に困らないようになってほしい」「幸せに過ごしてほしい」という願いがベースにあったのが、そのうち能力だけを望むようにいつの間にかすり替わってしまうのだと思う。

子育て初心者だが、RPGゲームのボスを倒すためのレベル上げのように作業ゲーになってしまったら終わりだと思う。ゲームで言うステータス表示画面、現実世界では成績表や模試結果の紙だけ見て、子供本人の「今日感じたいろいろなこと」を知ろうとしなくなったらもったいないと思う。

幼児の成長に関して言えば、そもそも自分自身が言葉を覚えたのが3歳と遅かったらしいが、こうして30代まで生きることができているし、いつ何ができないといけないわけでもない。ただの目安だ。それに、どうして子供の劣った面ばかりに目が行くのか。例えば、身長は同じ月齢の子供よりある。

気がついた時に原点に戻ろう。

他人と比較しないこと。
健康でさえいれば良いこと。

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