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長屋紳士録〜比類なく率直な人間観と正確無比な構図を再発見する朝
なかなか映画も野球も観に行かれず、なんとか食っていくためにはまあ仕方がないと仕事をする朝、かつて観た名作には手を出すまいと思いつつ、そろそろ小津(安二郎)かなと観念する朝であった
飯田蝶子が存命中に森光子の『時間ですよ』に出ているのを観ていた
あくまで個人的には貴重な経験だと思う
終戦直後のことはもちろん知らない
長屋の人々が時代の移り変わりを嘆きつつ、推定孤児を犬猫のように扱うのがよい
自らの再起に手いっぱいで、他人のことに関わり合っている暇などないというリアリティ、リアリズムだ
小津安二郎の美点は自己投影である
私生活では他人の子どもを身内のように可愛がっていたというが、この作品の頃はそういう気持ちではなかったかもしれないし、戦争で痛手を被り、手前の頭の上の蝿を追うのに精一杯な人たちの子どもに対する煩わしさが自己回復へと変わっていく様に胸を打たれる
後進の監督たちに唾棄すべき高踏趣味などと罵倒されながら、頭でっかちな人種と世代とは異なる人情のひとであったと思いたい
小津より少し下の世代である祖父母のことを考えた
この作品の時代に彼らは何を感じていたのか、血のつながらぬ祖父が自分のことをどう思っていたのか、本来は伯母である祖母にせよしかり等々
構図の正確さ、素晴らしさは相変わらずというか永遠に類を見ない
なにゆえこれほどバシッと決まっているのか意味がわからない
映画はもちろん、漫画を描きたい人にとって確実に通過儀礼なのだが、そのことがわかっている人、教えている人は皆無だろう
みんな、小津とそれから成瀬巳喜男は観たほうがいいよと言いたい
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